松本和将 京都公演 モーツァルト シューマン 幻想曲 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

「幻想曲」

 

【日時】

2018年10月15日(月) 開演 20:00 (開場 19:30)

 

【会場】

カフェ・モンタージュ (京都)

 

【演奏】

ピアノ:松本和将

 

【プログラム】

モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調 K.457

シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17

 

 

 

 

 

カフェ・モンタージュのコンサートを聴きに行った。

松本和将のピアノ・リサイタルである。

モーツァルトのピアノ・ソナタ第14番を、モーツァルトおよびシューマンの幻想曲で挟む、といったプログラム。

日本を、いや世界を代表するベートーヴェン/ブラームス弾きの一人と言ってもいいかもしれない彼が、モーツァルトやシューマンの幻想曲をどう料理するか。

 

 

前半のプログラムは、モーツァルトの幻想曲ハ短調とピアノ・ソナタ第14番。

これらの曲で私の好きな録音は、

 

●ピリス(Pf) 1974年1、2月セッション盤(CD

●シフ(Pf) 1980年セッション盤(CD

●フアンチ(Pf) 2006年浜コンライヴ盤(CD) ※幻想曲のみ

 

あたりである。

ピリス盤とシフ盤は、典雅かつ溌剌とした、私の思うモーツァルト像にきわめて近い演奏(シフはやや「典雅」寄り、ピリスはやや「溌剌」寄りという違いはあるけれど)。

フアンチ盤は、それよりは少しロマン派風の色を帯びた、それでいてべたつくことのない、美しい演奏である。

 

 

これら3盤はいずれも「軽やかさ」が鍵となっているけれど、今回の松本和将の演奏はもっと重厚な、ベートーヴェン風のものだった。

それこそ、同じハ短調であるピアノ・ソナタ「悲愴」を彷彿させる。

幻想曲は、「悲愴」ソナタ第1楽章のグラーヴェの序奏のように重々しくいかめしいし、ピアノ・ソナタ第14番冒頭の速いテンポで上行するアルペッジョは、「悲愴」ソナタ第1楽章の主部を思わせる。

第2楽章にいたっては、途中で「悲愴」ソナタの第2楽章とよく似た主題さえ登場する。

第3楽章が疾走感のあるロンドであることも共通している。

モーツァルトのこれらハ短調の幻想曲およびソナタが、若きベートーヴェンにいかに大きな影響を与えたか。

私のイメージするモーツァルト演奏とは違ったけれど、モーツァルトからベートーヴェンへ、そしてロマン派の作曲家たちへと続く流れを再認識させてくれる演奏だった。

そう、私は夏に聴いた彼のモーツァルト初期ソナタのコンサートでも、同様のことを感じたのを思い出した(そのときの記事はこちら)。

 

 

後半のプログラムは、シューマンの幻想曲。

この曲で私の好きな録音は、

 

●リヒテル(Pf) 1961年セッション盤(NMLApple MusicCD

●アンデルジェフスキ(Pf) 2013年4-5月セッション盤(NMLApple MusicCD

●プーン(Pf) 2018年私家音源(Patreon登録者限定公開)

 

あたりである。

いずれも、豊かなファンタジーを溢れんばかりに湛えた名演。

ただ、贅沢を言うならば、リヒテルはスケールがやや巨大に過ぎ、アンデルジェフスキは解釈がやや個性的に過ぎ、プーンは雰囲気がややショパン的に過ぎるきらいがないではない。

シューマンの心にぴったり寄り添うような、「これぞ!」という演奏にはまだ出会っていないような気がする。

その他、ホロヴィッツ盤、ポリーニ盤、アルゲリッチ盤、アンスネス盤、ル・サージュ盤、ラ・サール盤、エッカードシュタイン盤など名盤には事欠かず、それぞれ素晴らしいし、先月のリーズコンクールでのユリニッチの演奏もなかなか良かったのではあるけれども。

 

 

今回の松本和将の演奏は、前半のモーツァルトと同様、ベートーヴェン風の重厚なものだった。

バックハウス盤にそっくりである(細かな違いはあるけれど)。

彼は(バックハウスも)、シューマンの幻想曲を、まるでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第33番ででもあるかのように弾く。

私がシューマンにおいてイメージする、自由なロマン的精神の飛翔ともいうべき演奏とは違っているけれど、それでも感動的だった。

どっしりと地に足ついた、立派な第1楽章。

勝利を高らかに告げるような、輝かしい第2楽章。

そして、ベートーヴェンのソナタ第32番終楽章のような、静かで落ち着いた第3楽章。

いずれも堂に入った表現であり、迫力があって、巨匠の風格さえ感じられた。

そういえば、この曲はボンのベートーヴェン像建立のための寄付を目的として書かれたとのことであり、ベートーヴェンの連作歌曲集「遥かなる恋人に寄す」からの引用もみられる。

もしかしたら、松本和将のような解釈が、本来シューマンの意に適っているのかもしれない。

 

 


音楽(クラシック) ブログランキングへ

↑ ブログランキングに参加しています。もしよろしければ、クリックお願いいたします。