センチュリー豊中名曲シリーズ Vol.7
【日時】
2018年7月14日(土) 開演 15:00 (開場 14:15)
【会場】
豊中市立文化芸術センター 大ホール (大阪)
【演奏】
指揮:飯森範親
トランペット:ハンス・ペーター・シュー *
管弦楽:日本センチュリー交響楽団
(コンサートマスター:松浦奈々)
【プログラム】
スメタナ:連作交響詩「我が祖国」 より ”モルダウ”
ネルーダ:トランペット協奏曲 変ホ長調 *
ドヴォルザーク:交響曲 第8番 ト長調 作品88
※アンコール
カルダーラ:シンフォニア *
ドヴォルザーク:チェコ組曲 ニ長調 作品39 より 第2曲 ポルカ
センチュリー響の豊中名曲シリーズを聴きに行った。
なんと、ブロ友さんにお誘いいただいたのだった。
ブロ友さんにお会いする、というのは今回が初めてのことで、こんなふうに交流が広がるなんてことは、ブログを始めた頃には思ってもみなかった。
初対面ながら気さくにお話し下さり、音楽界の裏話や表話など色々伺って、大変楽しいひとときを過ごさせていただいた。
チケットも、1階真ん中の良席をいただいてしまった。
本当にありがとうございます。
演奏のほうも、素晴らしい出来だった。
「モルダウ」はもう有名になりすぎた感のある曲だけれど、飯森範親が振るとぱっと華やぐ。
ネルーダのトランペット協奏曲と、アンコールのカルダーラのシンフォニア(トランペットと弦楽合奏と通奏低音(チェンバロ)のための)は、ともに私にはなじみのない曲だったが、トランペットの世界ではおそらく重要なレパートリーなのだと思われる。
飯森範親&センチュリー響は「ハイドン・マラソン」というシリーズコンサートを実施しているけれど、それを思い出させるさわやかな美演だった。
第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの掛け合いや、あるいはトランペットと第1ヴァイオリンの掛け合い、またヴィオラによる内声など、美しい聴かせどころがサッと的確に指示され、音楽的に表現されていてさすがだった。
なお、ソロ・トランペットのハンス・ペーター・シュー(ウィーン・フィルの首席トランペット奏者)は、ナカリャコフのような余裕のある技巧は感じられなかったけれど、明るく力強い音色が印象的だった。
後半は、ドヴォルザークの交響曲第8番。
この曲で私の好きな録音は
●ターリヒ指揮チェコ・フィル 1935年セッション盤(CD)
●アバド指揮ベルリン・フィル 1993年11月ベルリンライヴ盤(Apple Music/CD)
●エリシュカ指揮 札響 2013年4月19、20日札幌ライヴ盤(CD)
●ネゼ=セガン指揮ロッテルダム・フィル 2016年12月ロッテルダムライヴ盤(Apple Music/CD)
あたりである。
チェコの森のような味わいのあるターリヒ盤/エリシュカ盤と、現代らしく洗練されたアバド盤/ネゼ=セガン盤。
もしもフルシャが録音したら、これら2つの要素の両立した最高の名盤になるかもしれない(先日のバンベルク響との来日でもこの曲を演奏していたようだが、名演だったことだろう)。
今回の飯森範親の演奏は、すっきりした躍動感という点ではネゼ=セガン盤に近いが、それともまた違う。
ネゼ=セガンほどの緻密さはないけれど、どこか華があり、センスが感じられる。
弦はつややかに響き、管は美しく効果的に鳴らされる。
第1楽章の序奏主題、あるいは第3楽章や第4楽章の主要主題、こういった泣かせどころのメロディが、何ともあでやかに奏される(第3楽章の「入り」のルバートが絶妙)。
第1楽章や第4楽章の、盛り上がりの頂点で序奏が高らかに再現する箇所なども、実に感動的。
しっかりと大きく盛り上がりながらも、響き・テンポともにパキッと引き締まっている。
全体に、日本人指揮者に多い泥臭さ(あるいはその裏返しのわざとらしさ)のない、スマートな演奏だと思う。
今回の演奏会では、飯森範親のセンスの良さを再確認できた。
日本人指揮者の中で私が好きなのは、西本智実は別格として、藤岡幸夫、飯森範親、沼尻竜典、下野竜也あたりである。
とはいえ、まだヤマカズもカワケンも実演を聴いていないので、何とも言えないところではある。
今後もできれば色々な指揮者の演奏を聴いていきたい。
(画像はこちらのページからお借りしました)
↑ ブログランキングに参加しています。もしよろしければ、クリックお願いいたします。