松原友 山田剛史 京都公演 ヴォルフ 「メーリケ歌曲集」より | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

「メーリケの歌」

 

【日時】

2018年3月30日(金) 開演 20:00 (開場 19:30)

 

【会場】

カフェ・モンタージュ (京都)

 

【演奏】

テノール: 松原友
ピアノ: 山田剛史

 

【プログラム】
ヴォルフ:「メーリケ歌曲集」 より

1. 癒えたものが希望に寄せて

2. 少年と蜜蜂

8. 出会い

9. 飽くことを知らない恋

10. 徒歩旅行

12. 隠棲

13. 春に

17. 庭師

28. 祈り

30. 新しい愛

36. さようなら

44. 炎の騎士

48. こうのとりの使い

53. おわかれ

 

※アンコール

ヴォルフ:「メーリケ歌曲集」 より 18. 四月の黄色い蝶

 

 

 

 

 

カフェ・モンタージュのコンサートを聴きに行った。

今回は、松原友と山田剛史によるヴォルフの「メーリケ歌曲集」の抜粋である。

彼らによる前回のコンサートは、この曲集と同時期(1880年代)に書かれた、マーラーの初期歌曲集だった(そのときの記事はこちら)。

生年が同じだった、同級生のヴォルフとマーラー。

2人とも、19世紀末特有の濃厚なロマンと激しい狂気をもち、尋常でない才気を感じるけれど、この時期(1880年代)でいうと、私は僅差でヴォルフのほうに軍配を上げたくなる。

ブラームスもブルックナーも、ヴェルディだってまだ生きていたこの時期に、こんな音楽を書いてしまうとは。

しかも、彼はまだ28歳だった。

もし彼がもう少し長生きして、交響曲か交響詩、あるいはオペラを書いていたら、今頃マーラーやR.シュトラウス以上の人気と名声を博していたかもしれない。

もっとも、私たちはマーラーやR.シュトラウスが1890年代、1900年代と月日を経て書法の洗練を極め、初期の作品とは見違えるようになったことを知っている。

ヴォルフが長生きしたとして、遺された珠玉の歌曲の数々以上の傑作を書いたか、それともそうでなかったかは、分からないのだけれど。

 

 

ともあれ、「メーリケ歌曲集」。

この曲集の抜粋で私の好きな録音は

 

●シュヴァルツコップ(Sp) フルトヴェングラー(Pf) 1953年8月12日ザルツブルクライヴ盤(NMLApple MusicCD) ※第13、16、36、25曲

●ボニー(Sp) パーソンズ(Pf) 1989~1990年セッション盤(CD) ※第2、7、8、9、6、12曲

●ボストリッジ(Tn) パッパーノ(Pf) 2005年4月セッション盤(NMLApple MusicCD) ※第1、2、8、13、15、19、23、28、29、43、33、34、40、53曲

 

あたりである。

ボニー盤とボストリッジ盤は、私の好きな軽めの声質による(それについての記事はこちらこちらなど)、透明感あふれる演奏。

この曲集は、エレナ・ゲルハルト、ジェラール・スゼー、ディートリヒ・F=ディースカウ、ヘルマン・プライ、ディアナ・ダムラウ、ヴェルナー・ギューラなど、名盤に事欠かないし、彼らに比べるとボニーやボストリッジは薄味だと思われるかもしれない。

しかし、屈折しているようで実はまっすぐな、若者特有の純粋な優しさ、傷つきやすさを直截に表現しているのは、私にとってはボニー盤とボストリッジ盤なのである。

後期ロマン派的な濃厚さは曲自体が内包しているものであって、演奏においてそれほど前面に出す必要はないように思われる。

ただ、上記シュヴァルツコップ盤だけは、私には特別である。

濃厚は濃厚でも、他の名盤とは一味違った、細やかな迫真の表現力が彼女にはある。

そして何といっても、フルトヴェングラーのピアノ!

ケンプと共通するような(ただしより力強くスケールの大きい)、ほの暗く美しいドイツのロマン的精神を聴くことができる。

ロシアのロマンは現代においても一部残っているように思うけれど、ドイツのロマンは、20世紀の敗戦やその後の東西分裂といった苦しい出来事を経たためか、現代ではほとんど息絶えてしまった。

この録音は、一つの貴重なドキュメンタリーだと思う。

 

 

話がそれたが、今回の松原友と山田剛史による演奏は、例えばF=ディースカウにも似た力強く激しいものであった。

上記のボニー盤やボストリッジ盤のような静的な演奏とはずいぶん趣が異なり、曲によっては私の好みとは違ったけれど、「炎の騎士」のような烈しい曲では鬼気迫るものがあった。

それに、松原友も山田剛史も、演奏のレベルは高い。

声量がかなりあって音程も安定しているし、ピアノもかなり難しそうだがタッチがしっかりしている。

低音で蠢くような冒頭曲から、狂気的なワルツのような終曲に至るまで、異才ヴォルフの多彩な魅力を楽しむことができた。

 

 


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