第68回日本音楽学会全国大会(続き) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

第68回日本音楽学会全国大会

 

【会期】

2017年10月28日(土)、29日(日)

 

【会場】

京都教育大学 藤森キャンパス

 

 

 

 

 

日本音楽学会の全国大会に関する前回の記事(こちら)の続きである。

前回は、パネルディスカッションの“作曲家の自筆資料は私たちに何を語るか――着想から「作品」へ――”というコーナーについて簡単に書いた。

今回は、そのほかに聴講した講演について書きたい。

 

 

A-1 シェーンベルクによるシューベルト作品分析――シェーンベルクの所蔵楽譜における書き込みを手掛かりに―― (山口真季子さん)

 

これは最後の最後しか聞けなかったのでよく分からないのだが、レジュメを見たところでは、シェーンベルク所有のシューベルトの楽譜には

 

・弦楽四重奏曲 第13番 イ短調 「ロザムンデ」 D804

・36の独創的舞曲 D365

・ピアノ・ソナタ 第7番 変ホ長調 D568

・ピアノ・ソナタ 第14番 イ短調 D784

 

などがあるようである。

シェーンベルクは、よくやるようないわゆる「モチーフ解析」はせず、

 

・和声や転調の分析(三度関係調への転調、偽終止からの転調)

・「並列」の分析(発展や展開よりも、反復や並列が多い)

・不規則な楽節構造

 

といったところに着目していたようである。

ベートーヴェン的な「発展的変奏」とは異なる、シューベルトならではの新たな側面からの考察に道を開いたとのことである。

シェーンベルクのシューベルト分析、なかなか的を射ていそうである。

 

 

A-2 無言歌的連作楽曲集――シューベルトの《即興曲集》D899の検証―― (加藤幸一さん)

 

シューベルトの「即興曲集」は、4つの曲からなっていて、一見ピアノ・ソナタのようにも見えるけれども、ソナタではない。

ソナタでないのであれば、全く別々の曲と考えるべきか、あるいはひとまとめの「連作」として考えるべきか、という話。

発表者は、連作として考えることができる、との主張だった。

その理由としては、

 

・ソナタのように、開始と終結楽曲が同じ調だったり、その間の曲がその完全な関係調だったりするわけではないけれども、楽曲同士の調整に関連がある。

・「連作」歌曲集である「冬の旅」で各曲に登場していた、「4つの同音連打音型」と「3つの音階上行音型」が、この「即興曲集」でも4曲それぞれところどころに出てくる。

・ある楽曲での「不完全性」が、別の楽曲で補完される(これは詳細は失念)。

・4曲が対称性を構成している(これも詳細は失念)。

 

とのことである。

これは、ありえそうなことである。

シューベルトは、「即興曲集」を連作楽曲集として考えていたのだと、私も思う。

それにしても、音型的に「冬の旅」とこんなに関連があったとは。

調性にしても、ハ短調→変ホ長調→変ホ短調→変ト長調→変イ短調→変イ長調(→ハ短調)と考えると、最初と最後の調が違ってはいるけれども、関係調を移ろいながら、何となく循環してきているのが分かる。

この「循環」というのが、発展的なベートーヴェンのやり方とは違う、シューベルト特有の手法らしい。

なかなか面白かった。

 

 

A-3 ブラームスの作品118及び作品119を構成する小曲の配列順位の探求――カノン群の音程的配列原理の調査から―― (三島理さん)

 

カノンの音程は、楽曲の並び方を決定することがある。

代表格がバッハの「ゴルトベルク変奏曲」で、第3変奏に一度のカノン、第6変奏に二度のカノン、第9変奏に三度のカノン、……というように3曲ごとにカノンの音程が広がっていく。

実は、それがブラームスにも当てはまる、という話。

「自作主題による変奏曲」も、「シューマンの主題による変奏曲も、「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」もそうだという。

今回は、それに加えてブラームスの小品集作品118と119をまとめて一つの連作と考え(ブラームス自身がそう考えていたふしがあるとのこと)、それぞれの曲に出てくるカノンの音程を見てみると、この全10曲の順番が暗示されている、と発表者は主張していた。

確かにそうかもしれないのだが、問題点もいくつかある。

 

・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」では、各カノンの音程は、全て最初の「テーマ」から数えた曲順を規定していた。しかし、ブラームスの場合は、第1曲からだけでなく、途中の曲からの曲順も規定している(と発表者は主張)。そうなると複雑怪奇になってしまい、「後付けでいかようにも作れるのでは」と思えてしまう。

・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」では、各カノンは完全なカノンだったが、ブラームスでは多くの場合、曲の途中にカノンが数小節出てくるだけである。したがって、これらの短いカノンが本当に曲順を規定するほどの重要性を持つのか、という疑問が生まれる。

 

色々な意見があるだろうが、私としてはどうにもこじつけっぽい気がしてしまった…。

とはいえ、チャレンジングな興味深い研究を聞かせてもらったと思う。

 

 

A-4 アントン・ブルックナーの《交響曲第6番》における調計画――同時進行する調の流れの視点から―― (石原勇太郎さん)

 

ブルックナーの交響曲第8番は、複数の調が同時に存在していて、一つの調性を明確に定めることができない。

それが、最終的に終楽章の最後で「ハ長調」という一つの明確な調に結集していく。

交響曲第6番でもその萌芽がすでに現れていて、冒頭では「イ長調」と「ニ短調」という2つの調性が同時に存在している。

「イ長調」のほうは、全楽章を通じて響き続けており、「ニ短調」のほうは、「ナポリの六度」的な関係調を経たりもしながら少しずつ変化し、最終的には「イ長調」のほうに近づいて統合される、という話。

まぁ、これはありうる話とは思った。

ブルックナーでは、最初に調が不安定なことがあるが、最終的には安定した調に落ち着く。

感覚的に、納得がいく。

しかし、調性の不安定さによる緊張とその解決については、ヴァーグナーでもドビュッシーも同じである。

ブルックナーにだけ、そういった「複数の調性の併存」とそれらの「統合」という概念が当てはまるのかどうかは、よく分からない。

発表者も、これが誰からの影響であり、また誰に影響を与えたか、ということについてはまだ研究中、とのことであった。

また、私としては「複数の調性の併存というよりは、教会旋法の影響だったりはしないのか?」ということも気になる。

今後の、研究の「詰め」が待たれるところである。

 

 

F-1 トマス・タリスの典礼用ラテン語声楽作品全曲の定旋律技法 (牧野環さん)

 

イングランドの作曲家トマス・タリス(1505~1585)は、

 

・アイソリズミック定旋律(6拍子の定旋律)や厳格定旋律(聖歌をそのまま引用した定旋律)といった、定旋律を厳格に保持した作曲技法

・パラフレーズ定旋律という、定旋律に多くの音を付加したり欠落したりさせる、自由な作曲技法

 

という対照的な技法を使い分けていた。

そして、これらのどちらをよく使ったかというのは、そのときどきの時代の情勢によるとのこと。

1530年代以前の曲には、比較的厳格に定旋律が用いられている。

1540年代という、宗教改革の影響が強かった時代(ヘンリー8世によるいわゆる「首長法」は1534年に制定)には、定旋律が自由にパラフレーズされている。

1550年代のメアリー朝の時代(メアリー1世はカトリック)には、また定旋律が厳格に使われるようになった。

1560年代以降のエリザベス朝の時代(エリザベス1世はプロテスタント)には、また再び自由な書法が顔を見せ始めた(ただし厳格なものもあり。タリスも歳を取ったということか?)。

時代に翻弄されたというべきか、時代の移り変わりにうまく乗ったというべきか。

同時代のパレストリーナの有名な逸話(トリエント公会議と「教皇マルチェルスのミサ」の話)はどうやらフィクションのようだけれど、この時代の作曲家たちが、お上(教会や王侯など)とうまくやっていくのには、きっと大変な苦労があったのだろう。

同時代の他国の作曲家の書法はどうだったかとか、もっと色々と掘り下げていくとどんどん面白くなりそうな話題だと思った。

 

 

私が聞いた講演は、以上である。

こういう貴重な機会があったら、また色々な話を聞いてみたいものである。

 

 


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