キャスリーン・バトル ジョエル・マーティン 大阪公演 ヘンデル オンブラ・マイ・フ ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

キャスリーン・バトル プレミアム・ナイト

 

【日時】

2017年10月16日(月) 開演 19:00

 

【会場】
ザ・シンフォニーホール (大阪)

 

【演奏】

ソプラノ:キャスリーン・バトル
ピアノ:ジョエル・マーティン

 

【プログラム】

ヘンデル:オンブラ・マイ・フ(オペラ『セルセ』から 懐かしい木陰よ)
シューベルト:あらゆる姿をとる恋人 D558

同:夜と夢 D827

同:ます D550

同:若い尼 D828

メンデルスゾーン:新しい恋

同:歌の翼に

ラフマニノフ:夜の静けさに op.4-3

同:春の奔流 op.14-11

 

 ― 休憩 ―

 

リスト:ローレライ

オブラドルス:いちばん細い髪の毛で

トゥリーナ:あなたの青い目

G. & I.ガーシュウィン:サマータイム(オペラ『ポーギーとベス』から)

同:バイ・シュトラウス(ミュージカル『ザ・ショー・イズ・オン』から)

R.ロジャース & O.ハマースタインⅡ:私のお気に入り(ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』から)

黒人霊歌:ハッシュ

同:私の小さなともし火

同天国という都

同:証人

 

※アンコール

黒人霊歌:Heaven is one beautiful place

山田耕筰:この道

プッチーニ:私のお父さん(オペラ『ジャンニ・スキッキ』から)

黒人霊歌:Over my head I hear Music in the Air

同:Swing low, Sweet chariot

 

 

 

 

 

キャスリーン・バトルの歌曲リサイタルを聴きに行った。

読者登録させていただいているブロガーさんの記事のおかげで、この公演を知ることができた。

 

 

キャスリーン・バトルというと、私にとってはまずモーツァルトである。

かつての私は、モーツァルトの歌というとシュヴァルツコップが好きで、彼女の声種にあった伯爵夫人やドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィーラはもちろんのこと、より軽めのスザンナやツェルリーナでさえも、シュヴァルツコップのアリア集でばかり聴いていた。

本当はもっと軽めの声で聴きたかったのだが、シュヴァルツコップの声の表現力に比べると、より軽い声を持つ本来のリリコ・レッジェーロの歌手たちの歌はどれも「ただ歌っているだけ」のようにしか聴こえず、満足できなかった。

そんな私は、その後バトルを聴いて初めて、本来のリリコ・レッジェーロの軽やかな声を持ち、かつシュヴァルツコップに負けないほどの豊かさで、スザンナの逸るいたずら心だとか、ツェルリーナの若々しいコケットだとかを、歌唱そのものによって表現する歌手を知ったのだった。

そんな彼女のモーツァルトは、下記のような録音で聴ける。

 

●モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」 カラヤン指揮ベルリン・フィル 1985年1月セッション盤(CD(全曲)/NML(抜粋)/Apple Music(抜粋))

●モーツァルト:「フィガロの結婚」 ムーティ指揮ウィーン・フィル 1986年9月セッション盤(NMLApple Music

●モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」 カラヤン指揮ウィーン・フィル 1987年ザルツブルクライヴ盤(DVD

●モーツァルト:オペラ・アリア集 レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団 1993年4月セッション盤(Apple Music

 

いずれも、実に明るく軽やかで美しい歌声、そして巧みな表現力である。

 

 

その後、私はバトル以外にも、より清澄な声を持つバーバラ・ボニーと、さらに清澄な声のクラロン・マクファデンを知った。

「より清澄な」と書いたが、これはバトルが劣るという意味ではなく、声の性質の違いのことである。

バトルの声は、明るくさわやかでカラッとしていながらも、少しコケティッシュな味わいをも含んでいて、その絶妙なバランスが彼女の大きな個性であるように思う。

ともかくも、この3人は三者三様ながら、3人とも理想的な「モーツァルトのリリコ・レッジェーロ」だと私は考えている。

その後、彼女たちよりも後の世代で、彼女たちに匹敵するような「モーツァルトのリリコ・レッジェーロ」を、私はまだ知らない。

モイツァ・エルトマンだろうか?

それともアンナ・ネトレプコ?

もちろん素晴らしいのだが、上記3人ほどの「天上の歌声」ともいうべき明るく透き通った声質は、持っていないような気がする(ネトレプコは、本来もっと重めの声というのもある)。

また、クルレンツィス盤で歌っているファニー・アントネルーやクリスティーナ・ガンシュは、かなりの表現力を発揮していて、私は期待しているのだが、彼女たちがクルレンツィスの指揮でない場合にどう歌うのか、まだよく知らない。

 

 

モーツァルトのことばかり書いてしまったが、バトルはモーツァルト以外の歌でももちろん素晴らしい。

 

●歌曲集(モーツァルト、R.シュトラウス、フォーレ他) レヴァイン(Pf) 1984年8月ザルツブルクライヴ盤(Apple Music

●「So Many Stars」(ジャズ風アレンジによる黒人霊歌、民謡集) 1994年11月セッション盤(Apple Music

 

あたりの録音でも、彼女の歌唱力が味わえる。

 

 

そんなこんなで、私にとって特別な存在の一人である、キャスリーン・バトル。

今回、14年ぶりの来日とのこと。

現在69歳の彼女が、次に来日してくれる機会が、あるかどうかも分からない。

今回を逃していたら、一生聴けなかったかもしれない。

教えていただいて、大変ありがたいことだった。

 

 

実演を聴いてみると、やはり素晴らしい歌声だった。

69歳ともなると当然のことながら、往時ほどの声の張りは聴かれなかったし、声量も小さめではあった。

しかし、明るく軽やかで、かつどこか艶のある彼女特有の「天上の歌声」は、失われていなかった。

ヘンデルからラフマニノフまで、またジャズから黒人霊歌まで、様々なジャンルの歌を披露してくれたが、いずれも素晴らしかった。

有名な「ます」や「歌の翼に」も伸びやかで美しかったし、よく知らなかったオブラドルスやトゥリーナも、ロマンティックでとても良かった。

ジャズや黒人霊歌でのリズム感もさすが。

叶うことなら、一曲でもいいからモーツァルトが聴きたかったけれど、贅沢は言うまい。

 

 

なお、ピアニストのジョエル・マーティンという人は私は知らなかったが、音色に透明感はないものの、独特の色彩のある音を出す人で、意外とうまかった。

また、ジャズ特有のリズム感も、しっかり身につけているように思った。

そして、彼はどの曲でも自分で譜めくりをしていた。

めくりにくそうな箇所もあるため、うまくめくれなかったり、2~3ページ一気にめくってしまったりすることが、何度かあった。

普通なら焦ってしまいそうだが、彼はいつも余裕綽々としていて、ときには片手だけで主要な音だけをうまく選んで弾きながら、めくり直していた。

「緊急事態」であることを全く感じさせない彼の対処の見事さには、舌を巻いた。

 

 

キャスリーン・バトルという人は「骨」のある性格で有名のようだが、そんな彼女の伴奏をするというのは、なかなか難儀なことなのではないだろうか。

本番中なのに、バトルはまるでリハーサル中であるかのように「もっと音を大きく」だとか「もっと柔らかく」だとかいったような指示をちょこちょこ出していて、ピアニストは大変そうだった。

それでも、曲間で十分に声を休めて準備しようとしているバトルをよそに、さっさと前奏を弾き始めてしまって、バトルにストップをかけられるといったことが何度もあったから、当の本人はもうほとんど気にしていないというか、慣れっこなのかもしれない。

 

 

そんなこんなで、リサイタルはあっという間に終わった。

アンコールの有名な「私のお父さん」はとりわけ素晴らしく、軽やかで洗練されていて、イタリア・オペラのアリアでしばしば聴かれるような「どぎつさ」が全くなく、どのソプラノ・ドラマティコが歌うよりも美しかった。

観客は決して多くはなかったけれど、みな心から感動したのだろう、最後のほうはほぼ全員スタンディングオベーションだった。

そんな喝采に応えて、バトルはアンコールを5曲も歌ってくれたし、悠々と喝采を受ける彼女の立ち居振る舞いは、まさにディーヴァそのものだった。

 

 

思えば、先日聴いたゲオルギューも、本当に素晴らしい歌声だった(そのときの記事はこちら)。

ゲオルギューはまだ50歳そこそこであり、声の張りもまだまだ十分にあって、バトルと単純には比較できない。

しかし、2人とも、今でもなんと美しい声を持っていることだろう。

もっと若くて大きな声を持っている歌手はたくさんいるけれど、盛時を過ぎたはずのこの2人の声の美しさに到底及ばない。

声というものは、楽器以上に、天性の占めるところが大きいということなのかもしれない。

とはいえもちろん、2人とも十分以上に努力しているだろうし、特に声を維持するために細心の注意を払っているのだろう。

気をつければ、何歳になっても歌える、ということなのか。

クラシック音楽に限らず、あらゆるジャンルの若い歌手たちに、伝えたい事柄である。

声を大切に!

 

 


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