ハンブルク交響楽団 京都公演 シュテファン・ザンデルリンク ブラームス 交響曲第1番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

ハンブルク交響楽団

 

【日時】

2017年7月3日(月) 開演 19:00

 

【会場】

京都コンサートホール 大ホール

 

【演奏】
指揮:シュテファン・ザンデルリンク

管弦楽:ハンブルク交響楽団

 

【プログラム】

ベートーヴェン:「エグモント」序曲 op.84
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 op.67 「運命」
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68

 

※アンコール

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」 より 序曲

 

 

 

 

 

ハンブルク交響楽団の来日公演を聴きに行った。

指揮は、シュテファン・ザンデルリンク。

かの大指揮者クルト・ザンデルリンクの息子である。

異母兄弟の長兄トーマス・ザンデルリンクと同母の弟ミヒャエル・ザンデルリンクも指揮者とのことであり、指揮者家系である。

 

ハンブルクのオーケストラというと、北ドイツ放送エルプフィルハーモニー管弦楽団(旧NDR交響楽団)がまずは思い浮かぶし、その次には女流指揮者シモーネ・ヤングで有名なハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団が思い出されるが、ハンブルク交響楽団という団体の存在は今回初めて知った。

ハンブルクはドイツ第2の都市ということで、おそらく多くのオケがあるのだろう。

日本で言うと、大阪交響楽団のようなものかもしれない(大阪は日本第2ではなく第3の都市だけれど)。

実際に聴いてみると、ドイツらしいまろやかな音色のする良いオケだった(特に弦)。

全体的な楽団のレベルとしては、去年聴いたバンベルク交響楽団(日本での知名度はこちらのほうが高いのではないか)よりもむしろ上であるような印象だった(バンベルク交響楽団の記事はこちら)。

 

そして、シュテファン・ザンデルリンクの指揮。

彼の演奏様式は、古き良きドイツの伝統を継承しているといった印象を受けるものだった。

それこそ、父クルトとかなり共通している感じがした。

前半プログラムの「エグモント」序曲と「運命」交響曲は、上記バンベルク交響楽団の力強い演奏(指揮はブロムシュテット)と比べると印象が薄くなってしまったきらいがあったが、ブロムシュテットのようにピリオド楽器の奏法を取り入れるということはなく、モダン楽器としてのオーソドックスな演奏だった。

後半プログラムのブラームス交響曲第1番は、ドイツらしい味わいが存分に堪能できて大変良かった。

私は、この曲ではフルトヴェングラーやカラヤンの演奏が、本来好きである。

彼らは、各々の時代のドイツ音楽演奏の最先端を生きてきた人である。

そういう人たちに共通することの一つとして、「テンポの厳しさ」ということがあると私は思う。

前後の脈絡や全体的な構成を考えたうえでのテンポ設定があり、テンポを変化させるときであっても必ず連続性を失わない。

そのため、聴き手は「あ、テンポが変わったな」と意識させられることがあまりなく、自然に音楽の起承転結の渦に飲み込まれていく感じがする。

それに比べて、クルト・ザンデルリンクのような、最先端というよりは古き伝統を継承するタイプの指揮者の場合は、そういう連続性をそこまで気にすることなく、より自由にテンポを変化させている気がする。

彼の有名なシュターツカペレ・ドレスデンとのブラームスの録音でも、そうである。

自由にといっても、大きなテンポ変化はあまりないが、ちょっとした「味付け」程度のルバートがときにみられる。

テンポの一貫性、連続性に対する厳しいこだわりのある演奏とは異なり、ときに音楽が弛緩するというか、「のどかな」(悪く言えば「田舎臭い」)雰囲気になる。

今回のシュテファン・ザンデルリンクの場合も、そうであった。

第1楽章の第2主題の直前の部分だとか、あるいは展開部から再現部になだれ込む前のシンコペーションによる準備の箇所だとか、そういったところで彼はふっとテンポを落とす。

フルトヴェングラーにも同様のルバートはみられるのだが、フルトヴェングラーの場合は前後や全体における矛盾が生じないようテンポが厳しくコントロールされているため、音楽の流れは弛緩するどころか、むしろ緊張が高まっていく効果がある。

シュテファン・ザンデルリンクの場合はそういった脈絡への留意がなく自由な感じであり、例えば終楽章などでも、最初の1小節(正確には4分の3小節)で遅いテンポを採ったのち、次の小節から急にテンポを速めてしまう。

本来私はそういった演奏をあまり好まないのだが、今回はそういう自由な感興に従った「素朴さ」を十分に味わうことができた。

現代の日本において、こういった「古き良きドイツ」的な、まるでドイツの田園風景を思わせるような演奏を実演で聴くことのできる機会は、なかなかないように思われる。

テンポだけでなく、デュナーミクの点においても、フルトヴェングラーやカラヤンはドラマ性を重視し、第1楽章展開部や終楽章コーダなどでは怒涛のような盛り上がりが聴かれるが、ザンデルリンク父子の場合はデュナーミクの差をそれほど意識しては取っておらず、「緊張感あふれる」というよりは「味わい深い」感じの演奏となっている。

こういう、気負いなくくつろいで楽しめるようなブラームスも良いな、と今回感じたのだった。

 

 


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