ラ・フォル・ジュルネびわ湖2017
テディ・パパヴラミ(ヴァイオリン) アンヌ・ケフェレック(ピアノ)
【日時】
2017年4月30日(日) 時間 17:35~18:20
【会場】
びわ湖ホール 小ホール (滋賀)
【演奏】
ヴァイオリン:テディ・パパヴラミ
ピアノ:アンヌ・ケフェレック
【プログラム】
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K.331 「トルコ行進曲付」
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 op.24 「春」
※アンコール
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 より 第3楽章
ラ・フォル・ジュルネびわ湖2017の、私の聴いた4つめのコンサート。
アンヌ・ケフェレックは、1948年パリ生まれのピアニスト。
私は彼女の生演奏を聴いたことがなく、また録音も、だいぶ以前には聴いていたが、最近は長いこと聴いていなかった。
むしろ最近の私にとっては、ピアノコンクールの審査員としてのイメージのほうが強かった。
ただ、ラ・フォル・ジュルネにはよく出演してくれているようであり、今回もヴァイオリニストのパパヴラミとの共演があるとのことで、聴いてみたのだった。
聴いてみて、驚いてしまった。
こんなにも素晴らしいとは!
最初のモーツァルトのソナタ第11番、変奏曲の楽章からして、このシンプルな主題の扱いが、他のピアニストたちとは全く違う。
全ての音が熟考され、コントロールされて美しく鳴らされる。
愁いを帯びた、と形容できなくもないような、しっとりとした音。
その音で、高音部のたゆたうメロディと、低音部の同じリズムによる対旋律とが、絶妙な配分でそれぞれ心ゆくまで歌われる。
「あ、低音部も、こんなに美しいメロディで呼応していたんだ」と改めて気づかされた。
ここだけでなく、本当に、左手の単純な分散和音音型(ドソミソ、といったような)やアルペッジョ(第1楽章の最終変奏や第3楽章に出てくる)に至るまで、かくも歌うことができるのだと、つくづく思い知らされた。
そして、第1楽章の緩徐変奏。
一見、紋切型の装飾をつけただけのようなこの変奏が、実はいかに美しいのかを見事に知らしめる、本当に忘れがたい名演だった。
彼女のメロディの歌わせ方は起伏が大きく、大きな波を形成する。
フレーズの終わりはかなりの弱音となり、かつ大きくリタルダンド(減速)されることとなる。
フォルテ(強音)とピアノ(弱音)のダイナミックレンジも、けっこう大きい。
こう書くと、大変にわざとらしい演奏のように思われるかもしれない。
確かに、そうなりかけているところはあって、私も聴きながら「これはさすがに反則ではないか、モーツァルトはもっとイン・テンポで、カラッと陽気に演奏するのが本当じゃないか」と考えたりもした。
しかし、よく聴くとそのような「わざとらしい演奏」となる一歩手前のところで踏みとどまっているのである。
ペダルもたっぷりと使用しているのに、決してロマン派的な演奏ではなく、しっかりと「モーツァルトの歌」になっている。
しかし、モーツァルトではやや気になりかけた彼女のそのような起伏の大きい演奏スタイルは、次のベートーヴェンでは曲の様式に本当にぴったり合っていた。
モーツァルトよりも少し時代の進んだベートーヴェンの曲では、そのような起伏がしっくりくる。
また、こちらはアンサンブル曲のため、ソロ曲ほど自由なテンポ変化ができないのが、逆に幸いしている面もあったかもしれない。
いずれにしても、演奏技術、様式感、全てが完璧な演奏であった。
有名な第1楽章 第1主題、この伸びやかなメロディを、なんと美しく奏することだろう!
全くわざとらしさを感じさせない、フレーズの波も全く過不足のない、完全な意味において「自然な」歌である。
第2楽章や第4楽章のメロディにおいても、全く同様である。
メロディだけでなく、本当に全ての何気ないパッセージが美しく滑らかに、かつほどよい節度を持って、奏される。
また、フォルテの部分での強靭な和音も、力強いのに全く荒っぽくなく、ベートーヴェンにぴったりな、この曲にぴったりな、完璧に充実した音であった。
この曲の理想的なピアノ・パートの演奏、というほかなかった。
それと比べてしまうと、パパヴラミはあまりにかわいそうだった。
彼はやはり、コンチェルト向きのタイプなのだろう。
華やかさはあるのだが、室内楽となるとアラが目立ってしまう。
だいいち、音程が不安定である。
第1楽章、第1主題の「ソファミファソファミレドー(階名表記ではレドシドレドシラソー)」とか、第2主題の「ミファソー」といった16分音符の細かい音型が、おしなべて不安定だった(もちろん、あからさまに不安定というわけではなく、微妙なところではあるのだが)。
せっかくのこれらの主題の伸びやかな名旋律が、あまり美しく感じられない(それに比べてケフェレックが奏するときの美しいこと!)。
ヴィブラートのかけ方も、あるところでは大きめで、別のところではそうでもなく、一定しなかった。
全体的にややごつごつした感じになってしまい、ケフェレックの完璧な美しさと比べると明らかに見劣りしてしまっていた。
もちろん、彼だって優秀なヴァイオリニストのはずで、別の人との共演ならここまで気にならなかったかもしれない。
アンサンブルというのは、ある意味とても怖いものである…。
いずれにしても、そのすごさを思い知らされたアンヌ・ケフェレック。
今後もできるだけ聴きに行きたいと思う。
今年のラ・フォル・ジュルネびわ湖は、これで終わり。
最後の最後にすごい演奏が待っていたものである。
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