ミュシャ展 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

国立新美術館開館10周年・チェコ文化年事業
ミュシャ展

 

【会期】

2017年3月8日(水)~ 6月5日(月)

 

【会場】

国立新美術館 企画展示室2E

 

 

 

 

 

カンブルラン/読響のコンサート(記事はこちら)に行った後、評判の高い「ミュシャ展」に行ってみた。

アルフォンス・ミュシャ(ムハとも表記される。1860-1939)は、チェコのモラヴィア生まれの、アール・ヌーヴォーを代表する画家とのことである。

彼の作品のうち、代表作である連作「スラヴ叙事詩」をはじめとする多くの絵やポスターが展示されていた。

やはり印象的だったのは「スラヴ叙事詩」(1912-1926)で、とてつもなく大きい画面(4~8mとのこと)いっぱいに描かれた全20作は、かなりの迫力があった。

スメタナの「わが祖国」に触発され、スラヴ民族、チェコ民族の独立を願って描かれ始めたというこの連作は、1918年の念願の独立をはさんで長い年月をかけて制作され、スラヴやチェコの歴史のワンシーンを一つ一つ取り上げながら、最後はスラヴ民族、チェコ民族の独立を祝う絵で締めくくられている。

特に、キリスト教以前の時代の様子を描いた絵である「故郷のスラヴ人」と、上述の最後の絵である「スラヴの歴史の神格化」が、とりわけ印象に残った。

なお、私は美術の素養は全くないのだが、全体的に同時期のフォーヴィスムやキュビスムなどの絵に比べると古典的なスタイルで、見ていて分かりやすい感じがした。

 

また、ミュシャがより若い頃に制作したポスターなども展示されていて、1900年のパリ万博でボスニア・ヘルツェゴビナ館の内装を担当した際の作品などを見ることができた。

1878年のベルリン会議により、ボスニア・ヘルツェゴビナがオスマン帝国からオーストリア・ハンガリー帝国の支配下に移ったため、万博にこのような展示館が作られるようになったという。

こういったことをきっかけに、彼はスラヴの歴史を調べ、民族意識に目覚めるようになったようである。

チェコ人などスラヴ民族は、何世紀にもわたってドイツ人やトルコ人に支配されてきた。

苦しい第一次世界大戦ののちに、スラヴ民族が各々独立を遂げた際には、ミュシャもさぞ嬉しかったことだろう。

しかし、独立というものは、一筋縄ではいかないものである。

スラヴ民族と一口に言っても、チェコ人、スロヴァキア人、セルビア人、クロアチア人など、細分化している。

これらがそれぞれ別々に小さな国家として独立するのか、それともいわゆる「汎スラヴ主義」に従うような形で一つの強大な国家を作り上げるのか。

結局、あいだを取ったような、「チェコ・スロヴァキア共和国」「セルビア・クロアチア・スロヴェニア人王国(ユーゴスラヴィア王国)」といった2、3の民族でまとまって独立するというやり方になったのだが、残念ながら長続きはしなかった。

ナチス・ドイツから干渉を受けたミュシャの晩年も、悲劇的なものだったようである。

戦後は戦後で、同じスラヴ民族であるロシア人から干渉を受けた彼ら。

冷戦終結後は、状況はやっと少しは改善したのだろうけれども、長きにわたり搾取されてきた結果なのか、はたまた共産主義時代の名残なのか、彼らの国の多くは貧困の問題を抱えている。

それに、国家としてどれだけ「細分化」すればいいのかという問題もあり、コソボ地区など一部の地域は今世紀もなお完全な解決を見ていない。

ミュシャの願ったスラヴ民族の世界は、現代において実現していると言えるだろうかと、彼の描いた壮大な絵を見ながら考え込んでしまった。

 

 


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