タイトルに惹かれて、こんな本これ↓を読んでました。





これが。。。。予想外にとても面白かった

ルソーの話、駱駝・獅子・小児の話、空海のこと、十牛図・・・・ 。
「うつ」のことを調べていて、手にとった本だったのですが、思いの外とても深かったです



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なぜ生きるか?ーーーーーーなぜなし


「生きる意味が分からない」という悩みについて、相談を受けた側は何を考え、どう答えることが出来るのでしょうか。
もちろん、お手軽な「これが生きる意味です」というものがあるはずもありません。
それでは、どこから考えていくことが出来るのでしょうか。



「如何なるか是祖師西来(これ そしさいらい)の意」

「庭前(ていぜん)の柏樹子(はくじゅし)」


 
これは、禅問答の一つです。「祖師である達磨さんがインドから中国の方にわざわざ来られた(西来)のは、一体どういう意図があったのでしょうか?」と弟子が師匠の趙州(じょうしゅう)に質問をした。
すると趙州は、「庭さきの柏の木」と答えたという話です。

「どういう意図があったのでしょうか?」と弟子は尋ねた。師匠はそんな弟子の質問に全く答えていません。 
というか、相手にしていない。それは、弟子の問いが「なぜ?」という類のものだったからです。
「なぜ?」「どんな目的で?」「どういう意図で?」といった質問自体が、弟子の迷いを見事に反映しているのです。

そもそも「何かのために」という意図があったと考えて、それを知ろうと「なぜ?」という問いを発すること自体が、「頭」の理性中心の発想なのです。
「愛」と「欲望」の話で考えてみれば、「~のために」と見返りを期待して行われたものは「欲望」ということになります。
つまり、純粋な「愛」の行為には「~のために」というものは含まれないのであって、もし「なぜ?」に答えられるような理由が含まれているようでは、その行為は「欲望」の仕業ということになります。
この禅問答は、そういう発想に対する厳しい戒めを含んでいるのです。

さて、ここで趙州の一見はぐらかしたような答えは、単なる戒めだけなのでしょうか?
ここには、実はきちんとした趙州の考えが示されています。

庭さきに生えているこの柏の木は、何かの目的があってどこからか歩いてきてわざわざ植わっているわけではない。
あるべくしてただそこにある、ただそこに生えている。
そういう「あるがまま」にあるものに対して、人為的な計らいが、目的、意図、意味などを勝手に付与して見ているに過ぎない。
そういうことが、この趙州の言葉には込められているのです。

そう考えていきますと、「生きる意味が分からない」という問いについても、「この人は、生きる意味や目的がないと生きてこられなかったんだな」と分かる。
確かに、そういうことを考える時期も必要ですし、それはそれでその時期には大切なものでしょう。
「私は○○になりたい」とか、「○○のために私は生きる」というふうに人生の目的を考える。

ところが、あるところから先に行くと、そういう考えで進むのではなくなってきます。
目的や目標というものは、ある種の導入に過ぎなかったことが分かってくる。
そして、それまでとは逆に、目に見えたり言葉に出来たりするような「目的」に向かって生きるということの貧しさや窮屈さも分かってきます。
そしてはじめて、何か大きな「流れ」が私たちを運んでいるのだということが感じられてくる。
つまり、「自分らしく生きる」ということを追いかけてゆくうちに、主語の「自分」が消え、天命とでも言うべき大きな力が自分を動かし生かしていることに気づくのです。



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精神科医が書いた本だったのですが、良い意味で期待を裏切られました~

最後の一行。

つまり、「自分らしく生きる」ということを追いかけてゆくうちに、主語の「自分」が消え、天命とでも言うべき大きな力が自分を動かし生かしていることに気づくのです。


本当に、本当に・・・その通りでしたよ





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もう・・・探求の旅は終わりました・・・。

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