映画 「禅」を観ました。
無料動画
で
道元の声が 中村勘九郎 に似ているなぁ、似ているぁと思って wikiで調べたら 勘九郎 (十八代目中村勘三郎)の息子(中村勘太郎)でした (笑)
ウチは曹洞宗だったので、いつも法事には禅宗のお坊様がお経を上げに来ていました。
でも、空海とか親鸞とか、法然とか栄西とか、日蓮とかはとても好きだったのに、どういうわけか 開祖の道元はあまり好きではありませんでした。
なんだかイケスカナイ ヤツ!(アタシったら何様?!
)と思っていたのです。それが変わったのは、典座(てんぞ) をしてから。
随分前に アートセラピー、ドリームセラピー を学んでいた頃。
やればやるほど、絵を描けば描くほど、夢を分析すればするほど、自分の内の修羅が大きくなりもうどうしようもない、というところまで追い詰められた時に、臨済宗のお寺へ通い始めました。
(あの一休さんも白陰禅師も臨済宗なんですね~)
3年目の時、典座(食事を作り、供膳する係)役を仰せつかった時に、先達が「みやざきさん、典座をするのならこの本を読むといいよ」と言って貸して下さったのが 道元の「典座教訓」。
道元が入宋した時に出会った老典座に「なぜあなたほどの老僧が飯炊きなんかしているんだ
」というようなちょっと小馬鹿にしたようないいっぷりだったのが、その老典座の生き様、言葉に打たれ、典座の心構えを書いた本です。・・・で、感動して一気に読んだ覚えがあります。
道元への イケスカナイ ヤツ
という思い込みが 一気に「ウチは曹洞宗でよかった!」と思うようになりました (笑)永平寺第78世貫首も「みやざき」でしたしね~。
(リアルタイムで観た NHKスペシャル 永平寺 104歳の禅師 良かったですよ~ 無料動画を探したのですが、残念ながら見つかりませんでした・・・・・)
話を 「禅」に戻して。
道元のこんなセリフがありました。
ありのまま
受け入れる
自らを殺すとは仏を殺すことだ
他者への依存は自らの仏を否定することだ
よいとかわるいとかの考えを捨て、考えること、あるいは悟ろうとすること、一切の意図や思いを巡らすことを止めるのだ
これを悲思量という
悟りを目的に坐禅するのではない
只管打座
そのものが 悟りである
他でもずっと聞いていた言葉で知っているつもりの言葉だったのだけれど、今改めて聞くとまた全然違うように聞こえるのが不思議・・・。
「よいとかわるいとかの考えを捨て、考えること、あるいは悟ろうとすること、一切の意図や思いを巡らすことを止めるのだ」
800年も前に 道元が言っていたんだねぇ。
・・・かなり びっくり。
アクシオトーナル アライメント アドバンス【聖なる経路の活性化】 モニターさん 募集中

ヤングリヴィング社のエッセンシャルオイルを使ったワークあなたの内なる神と出会う 【ル・トゥールのワーク】 男性性、父性編
※6月21日 夏至の日 スタート 満員御礼

なぜヤングリヴィング社のエッセンシャルオイル?
