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倉橋島のオープンセットについてついて追記しました。


 

こんにちは。

お読みいただきありがとうございます。

 

待ちに待った『孤狼の血 LEVEL2』が封切られました。Twitterでも感想がたくさん流れていますね。前売り券を買ってはいるものの、映画館の時短営業の関係もあって、いつ観に行くかはまだ決めていません。

 

公開を心待ちにしながらWebを見ていたところ、呉地域フィルムコミッションのページに『孤狼の血 LEVEL2』のロケ情報が掲載されていて、とても興味深く拝見しました。中でも注目したのが上林の少年時代の回想シーンで、少年時代に住んでいたバラック建ての建物とその周辺のセットです。鈴木亮平さんがとてつもなく凶暴なヤクザ上林を怪演されているわけですが、単にサイコパスなヤクザとして片付けられておらず、“人間上林”の形成を物語る上でとても重要な回想シーンとなっています。

 

なんとこれ、オープンセットだったんですね。ものすごく細かな部分までこだわり抜いて作られているのがわかります。特にすごいなと思ったのは、原爆ドームの頂部の象徴的な鉄骨が背景の夕暮れ空に映ることです。てっきりイラストやCGの合成なのかなと思っていましたが、ちゃんとセットで作られているんですね。これはびっくりです。

 

このページの説明によると、オープンセットは倉橋島(呉市内から音戸大橋でつながっている)に作られたそうですが、「倉橋島」ときいてピンときました。前作『孤狼の血』で倉橋島でロケされているシーンは、上早稲や大上が殺害された場所、日岡が大上の遺品のジッポライターを見つけ出す「養豚場」です。この養豚場は、もともと養鶏場として使われていた建物に養豚場のセットが組まれたそうで、ロケ地紹介などでも具体的な場所はほぼ出てこないのですが、場所はGoogle Mapを眺めて見つけ出していました。

 

で、前述のオープンセットを紹介している写真の背景を見ていて気づきました。このオープンセットが組まれた場所は、前作の養豚場の前の空き地だと思われます。吉田に上早稲殺害の事実を自白させた大上が、「中、見るけんのう?」と言いながらたばこをポイ捨てするあの空き地です。十中八九、いや九分九厘(←このフレーズ思い出しますよね?)ここで間違いないと思います。

 

 

*** 9/9追記 ***

7月の「孤狼祭」以来で、今週2回目を観てきました。劇場でパンフレットを購入しましたが、プロダクションノートに上林の生家のオープンセットは1作目の養豚場のロケ地に作られた旨の記述がありました。Google Mapで見つけた具体的な場所を書くのを忘れていました。ストリートビューでは正面に回り込めませんが、右脇の道を進んで坂の途中でタイムマシン機能を使うと建物や空き地が少し見える場所があります。航空写真を3D表示に切り替えて正面から俯瞰するとこんな感じです。

 

 


 

ここからちょっと脱線です。オープンセットのように原爆ドームの頂部が近くに見えて原爆スラムのあった場所となると、基町地区が有力です。そこまで具体的に考証されてはいないかもしれませんが、あの距離だったら旧広島市民球場のレフトスタンドの裏側あたりでしょうか。今の広島市こども文化科学館のあたりです。この一帯は、現在は公園や体育館、プールといった公共施設が並び、とてもきれいに整備されている場所ですが、私が子どもだった約半世紀前は、こども文化科学館からファミリープールにかけての一帯はバラック建ての家屋が密集している、いわゆる原爆スラムでした。サッカースタジアムの新設予定地から戦前の日本軍の遺構が見つかってニュースにもなっている広島市中央公園一帯も木造バラック建ての公営住宅が密集していましたが、昭和50年前後にその北側に建設された市営基町アパートへの移住が進んだ結果、原爆スラムは消滅していきました。

 

前の記事でも触れましたが、今作でチンタを前に焼肉を食べる場面や、店を出て幼少期の回想に入る場面がこの市営基町アパートの1階で撮られており、上林が焼肉店の女将さんに昔の話を振るあたり、基町地区で生まれ育った想定だと思います。

 

ただ、勘違いしないでいただきたいのですが、原爆スラムで生まれ育ったことが、即ち上林のような不幸な生い立ちという話ではありません。数年前にNHKで放送された『“原爆スラム”と呼ばれた街で』という番組で、当時住んでいらっしゃった方々のインタビューを拝見しましたが、住居の外見とは裏腹に生活水準は高く、毎日楽しかったと答えていらっしゃるのがとても印象的でした。昭和40年代に原爆スラムを全戸訪問し、その間取りを精密に調査して回った広島大学の調査に敬意を表したいと思います。

 

 

 

 


 

さて、ここからは、基町のことを書いていて思い出した約半世紀前の広島の情景、オッサンの独り言です。映画とは関係ないので読み流してください。

 

私は前述の基町の北側にある西白島という町に生まれて小学校低学年まで住んでいました。前述のこども文化科学館ができる前は、丹下健三氏の設計による広島市児童図書館がありました。具体的な場所は、こども文化科学館の正面入口のやや北側で、今のファミリープールの玄関口のあたりだと思います。外周がガラス張りの円形の建物で、今思い出してもとても斬新なデザインの建物で、幼稚園のころまで母に連れられて本を読みに行っていました。昭和40年代後半に原爆スラムが存在したのは児童図書館の裏手(本川側)から北側です。こども文化科学館の正面、旧広島市民球場のセンタースタンド裏側にハノーバー庭園というきれいな公園がありますが、当時は木造平屋建ての公民館や小動物を飼育している公園がありました。また、現在の県立体育館武道場の場所には「屋内プール」と呼んでいたガラス張りのプールがあり、小学校低学年まではよく遊びに行っていました。

 

記憶を書き出すときりがないのですが、現在訪れてもそれらの情景や雰囲気を感じることのできる場所は残っていません。バラックが密集していた川沿いは護岸整備されてきれいな緑地帯になっています。

 


 

コロナが落ち着いて帰省が実現したら、倉橋島の“養豚場”にも行ってみたいと思います。