こんばんわ!
うーとーとー。
真夜中の更新だからって、
べつに うとうとしてるからじゃないですよ←はい?
うーとーとー とは
手を合わせてお祈りをするときに使う方言です。
今日
6月23日は
沖縄戦で亡くなった全ての方達を
追悼する
沖縄だけの特別な日
「慰霊の日」
70年前
第二次世界大戦 日本軍とアメリカ軍。
日本で唯一、
地元住民を巻き込んだ地上戦となった沖縄。
学生のときに教わったことが
現在でも確かならば
6月23日は
指令総監の自決をもって
組織的機能がなくなった日だそうです。
最後の指令は
「最後の1人になるまで戦え」
当時の戦況が どれだけ不利で
でも、国のために身を投じる覚悟の表れを
ものすごく感じる一言だと思いました。
4人に1人の割合で
住民の住民の方がお亡くなりになった計算もあるそうです。
わたしの
おじいや おばあが
中学生の頃の出来事。
おばあは、
「海が黒くなるぐらい、たくさんの船が来た、空には数えたくないくらい、たくさんの飛行機が飛んでいた」
と話してくれたのを覚えている。
それ以上は聞けなかった。
どんな気持ちで過ごしたのだろう。
激動の時代を
生きてくれて ありがとう。
今の、恵まれた
豊かな時代をつくってくれて
ありがとう。
とても強い人たち。
おじいやおばあがいなければ
きっと、おとうさんやおかあさんもいない。
そして、きっと、わたしもいない。
「命(ぬち)どぅ宝」
とゆう言葉もある。
生きているとゆうこと
命があるとゆうことは
当たり前のようで、そうではない
尊いものだと思わずにはいられない。
最後の激戦地となった
糸満市摩文仁には
平和記念公園があって
追悼集会が行われます。
そこには
「平和の磁(いしじ)」という
沖縄戦で亡くなった方たちの
名前が彫られた石碑が
ずらっと並べられています。
日本軍もアメリカ軍も
関わった人たち全て。
毎年、名前が新たに刻まれます。
70年たっても、
不発弾が見つかったり
遺骨収集されたりと
まだまだ傷あとはあります。
二度とこのようなことが起こらないように。
起こさせないようにするのが、
わたしたちの世代なんだと思います。
できることは何だろう。
何気なく過ごしている
いまの日常は
ほんとうにありがたいな。
わたしはこの先、
結婚して子どもを授かるだろう。
生まれてきてくれた子にも
青い空
青い海を見せたい。
そして、慰霊の日のことを話すだろう。