6月は家にひたすら籠もる梅雨のカタツムリのような日々だった。まだ6月は終わっていないし、初めから梅雨だったわけではないが。

諸々あり、僅かばかりの私の手元ヘソクリが旦那の車検代に持っていかれたのが5月末。

そこはそれ、一応まだボーナスが出る企業に勤める旦那であるからこそ、回収の確約をして渡したのだが、基本、6月は気軽な外出は制限される日々となった。

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私は会社勤めの頃「生まれながらの馬車馬」「働いてないと死ぬ回遊魚」と言われていた。

30代前半で出産する気があるかと世間話になった時「産むギリギリまで働きたい」と言ったのがいつの間にか

「なおじ さんの夢は会社で破水することらしい」

に拡大されて周囲の常識になっていたほどだ。

いずれにせよ自分でも、具体的なスケジュールが空っぽの日々を過ごす自分など想像がつかなかった。
それが近日は、窓から雨を眺めることが主な日課となっている。

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とはいえ実際、ネット社会の恩恵を活かして、長丁場で名を馳せるアメリカTVシリーズの数々を見まくっているので「ヒマ」ではない。ちっとも。

洗濯も掃除も料理も皿洗いも全て放って60時間だの80時間だののドラマの世界へワープし続けるのは素晴らしく楽しい。

エンターテイメント、ブラボー

家事云々は気が向いた時にサクサク済ませる。この技量を私に叩き込んでくれた、家事代行のバイト3年間はまさに「身になっている」といえよう。

本当に人生、何が役に立つかわからない。

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そんな折、約3年ぶりに薬の処方を変えた。もちろん主治医と話し合った結果だ。

今までは主に抗不安剤を中心に適用してきたが、それに抗うつ剤を加えることになった。
調子は悪くない。
飲み始めた数日は全体に組み合わせを変えた抗不安剤が合いすぎて(?)眠気が酷かったが、慣れ過ぎて効いているのか疑問だった睡眠導入剤より頼りになるのではと期待している。

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さて、私は自分で思っていた以上に、家で1人で過ごすのが好きだったようだ。
実に快適だ。

だが何の御乱心か、薬を変え、金銭的都合で外出を控えるノンビリとした自宅生活の中、私は突然30件以上の就職願書を出した。もちろんネットで。

本当にアホな理由で申し訳ないが、私の魂が「やってみようぜ!」と前触れもなくピュアに叫んだのだ。

1次面接に呼んでくれたのは3社だけで、うち1つはもう落ちている。

あと2つの面接も交通費をキリキリ貯めて何とか受けようと思っている。だが、目的は「私という存在」を明確に相手に伝えられるかであって、受かるかどうかは重視していない。
全くお気楽な魂の叫びである。

歳をとっていて本当に良かったと思う。いちいち当落でアイデンティティに苦しまずに済む。

その根拠は社員登用面接官をやったことはないが、オーディションの審査員ならかつて何度も経験しているからだ。

度肝を抜き、目を見張るほどの人材ならともかく、最大の着眼点は「今、こちらが求めるニーズにジャストフィットしているか」の一点に尽きる。

実際、現在大活躍中の女優や俳優を若かりし頃とはいえ幾人も落とした。魅力や実力、可能性は申し分なかったが、その時のプロジェクトには合っていなかったのだ。

どんな場であれ、セレクションとはそういうものだ。

そして同時に知っている。
ニーズとは多様であることを。

今回の30社が全部駄目なら、また50社応募すればいい、と魂は言う。それのどこかに私こそをニーズとする相手がいる可能性は誰にも否定出来ない。

何故だろう。
夫と「志」と「目標」の話を終えた頃から、そして奇しくも新しい投薬を始めてから、私は私の未来に恐怖と後ろめたさを感じにくくなっている。

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どうせ余生。

そうのたまってから半年以上が過ぎた。
だがもしかしたら「余生」という言葉を
漠然と「簡単に生きられること」と勝手に決めつけていたのかもしれない。

「余生」とは人生を捨てることではない。それにハタと気づいた。
余生だからといって波風もなく努力も冒険も必要ないなんて、そんな訳がなかった。

己の真の願い。
それがどんな夢物語に見えても「そうか、私はそれを願っているのか」と恥や見栄を持たずにシンプルに受け止めること。
それが一見不可能に見える自分を否定せずに、今出来ることをやっていくこと。

まずは明日を生きられる命と体。
そして小豆大の努力であろうが、それを積み上げた今日の自分に頷いてみせること。

ある日、小豆の小山が崩れ去っても「そういうこともあるさ」と再び立ち上がること。
先ほどアイデンティティは崩れないと書いたが、もしその時ガッカリしたならば、その苦さもきちんと厭わずに味わいきってから次へ行くこと。

そのしぶとい静謐さこそが「余生」ではないだろうか。

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私の魂には辿り着きたい場所があるようだ。

今の「辿り着きたい場所」は
若い時分に願ったそれ(マスコミ業界)と似てはいるが特に固執はなく、遠い願いで、祈りだ。
「書くこと」「誰かの役に立つこと」
目指す場所は曖昧で霞みそうなほど遠い。

祈りのまま役立たずの生涯を終えるやもしれぬ。
しかしその祈りは、付随する努力は、意地や野望ではなく、私の芯から自ずと湧き出たように感じる。だからそれに従ってみることにした。

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水晶のように明確で信じられる一歩を
無駄も恐れず大切に踏み出す。
正直、怖いというより面倒だ。そう思うほどには年齢を重ねた。
たが私の中の燠火はまだ、そのように生きたいと告げている。

どうやらまだ、私の魂は私を解放してくれる気がないらしい。
まったく因果な性質に生まれついたものだとしみじみ思う、雨の午後である。