一度だけ映画の主演をしたことがある。
まだマスコミ業界に憧れてはいても、何のツテも力もない大学2年の頃だ。
最初に種明かしをすると知人の卒業制作映画に出ただけのこと。
だが結果的にそれが私と映像エンターテイメントの具体的な最初の邂逅になった。
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思い出深いエピソードはいくつかある。そして長くはなるが、ともかく順を追って話そう。
作り手は小中高と同じ学校に通った馴染みの女性。だが親友というほどの距離ではなかった。
実際、件の大学2年時に実家経由で彼女が会いたがっていると知らされるまで、私は彼女が東京の照明美術専門学校に進学したなどとは知らなかった。
ただ彼女がとても綺麗な少女だったことは覚えていたし、冬の御茶ノ水で再会した時も今思えば再会のシーンをそのまま本物の映画に(私は後ろ姿)しても遜色ないだろうと思うほど可憐で透明感があった。
専門学校は2年過程で、彼女は春に卒業したら故郷に帰る予定だと言った。美術や映像の知識はあくまで学んでみたかった興味の範囲で、ごく普通の事務職に就く予定だと聞いた。
私は、私なら、せっかく学んだ機会をそう簡単に戸棚に仕舞えやしないと思ったが、彼女自身は涼やかに微笑んでいたので、家庭の事情とか、そもそも思い出作りだったのかとか、突っ込んだことは聞けなかった。
その卒業制作映画を手伝って欲しいと言われた。特に主演女優探しに手こずっているのだという。
小中高と私は委員会の役職も多く経験したし、知らない人に話しかけることもできる性格なので、広げようと思えば異様に早く交友関係を広げられる。
それは誰もが基本的に奥ゆかしい性質を持つ故郷の人間としては珍しいタイプだった。そこを見込まれての2年ぶりの連絡なら得心がいった。
任せろ。必ずイメージに合う女性を見つけて口説き落としてみせる、とアドレス帳を繰り始めた私に彼女は慌てて言った。
「そうじゃなくて、なおじちゃんに主演して欲しいんや」
……はぁ⁈
私は「いや、あんた、そんな綺麗な顔で何言ってんの。私程度でいい主演なら自分が出ればええやん」
と当然の返しをしたが、
「あたしは作り手と演者を兼ねられるほど器用でないんや。それに今回の作品は演技力が求められるし」と言われた。
確かに私は中学で一時期演劇部に入っていた。しかし「夏になったら泳ぎたくなった」という一方的な理由で1年の7月で水泳部に移った。演劇部は部員数も十分足りていたので理由に首を傾げられはしたものの、引き留められはしなかった。
その顛末を同中学だった彼女は知っていただろうが、それだけの経歴しか持たぬ私に「演技力」?!
全く理解できなかったが、彼女の目は確信に満ちていた。
私も主演云々に行き着く話の前に古い友人に対し「どんな協力も惜しまない」と言葉にしていたし、人前で喋って動くことも苦にならない質なのは確かなので「よくわかんないけど、監督のあんたがそれでいいなら…」と承諾した。
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そうして数日後、私は生まれて初めて「撮影現場」なるものに足を踏み入れた。
彼女を含めた7〜8人のチーム。屋内でのまとめ撮り(時系列に関係なく撮れるシーンを撮ること)にまず1日かけた。外ロケのシーンは国鉄御茶ノ水駅周辺で計3カットほどで、翌日に手早く撮られた。
1日目、元々「手伝う」イメージだった私は、何か運んだり支えたりのお役に立てないかと、渡されたOL風の衣装を着てメイクされながら周囲をせわしなく見回していた。
だからこそ気がついたのだと思うが、彼らは素人目に見ても決して手際が良くなかった。
私も撮影機材類を目にしたのは初めてだったが、おそらく彼らにしても理論は学んだにせよ、高価な機材を手馴れるほどには触らせてもらえてなかったのだろう。
私がそこで「ああ、そうなのか」と腑に落ちたのは、それまで多くの俳優のインタビューを読んで末尾に必ずと言っていいほどスタッフへの感謝の言葉があったこと。また誰かの言葉で読んだ「僕ら俳優チームは」という言い回しだった。
彼らが手探り状態であり、機材の位置や角度も一発で決められない様子も相まって「これは私が手伝う領域ではあるまい」と悟った。そして考えた。
旧知の彼女を含め卒業制作ということは、これが彼らにとって「映画を作る」最後の機会かもしれない(当時は今ほど動画が手軽に撮れる時代ではなかった)。
そして彼らには、将来に繋がろうが繋がるまいが、我が子が望んだからという理由で学費を出し、この場を与えてくれたそれぞれの親がいるだろう。
そんなチームが今、何をやっている?
決まっている。
「私をより良く撮る為の準備」だ。
私は間も無く、その準備を、そこに込められた思いを一身に背負うことになるのだ。
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今の私なら、そのプレッシャーで鬱症状を引き起こしたかもしれない。
おかしな話だがギャランティが決まっていればまだ良い。それを手掛かりに、与えられたミッションの重さを数値化できる。
それによって「わけのわからない不安」は「見える化」され、自分の落とし所を見つけられる。
だが「青春の一頁」というプライスレスに過ぎる代物を背負わされては不安の肥大に歯止めがかけられない。
本当に若い時期の私の神経は太く、そして明晰だったと自画自賛する。
その時、身が引き締まる思いはしたものの瞬時に正しい答えを導き出せたのだ。
曰く、撮影本番までテンションを切らさない。余計な興奮も慌てもしない。
「お願いします!」の声がかかるのが3分後だろうが30分後だろうが、同じクオリティの私でいること。
ちなみに余計な興奮をしないとしたのは私が汗っかきの体質であり、顔に汗をかいて大きなメイク直しが入れば、このギリギリの緊張感で進んでいる現場に迷惑をかけるだろうと思ったからだ。
「僕ら俳優チーム」ができることをやる、とはそういうことなのだろうと体で認識した。
その認識は後に取材者となった時に大きな助けとなった。
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台本は当日に渡された。当時はメールはおろかFAXすら自由に利用できなかったし、映画といっても正味10分ほどの短編だったからだ。
私は一読して「演技力を求められる」の意味を理解した。
ストーリーは単純で、新米社会人の女性が仕事でも恋でもつまずきながら、それでも未来に希望を持って再び歩き出す…というものだった。
誰が見ても一目瞭然だと思うが、ポイントは「彼女が如何にして再び希望を見出したか」に尽きる。
だがそれに当たるシーンが何と
「机の上、飲もうとしたガラスコップの水の揺らめきに彼女が“きれい…”と呟き、心に溜まっていたものを吐き出すように泣き崩れる」というものだった。
しかも長回し1カット。
つまりカメラは正面から1台固定のみ。
カメラ位置を変えると照明も立て直さなければならない。彼女らのチームには時間的にも技術的にも荷が重かった。
当時も直感的に「こりゃヤベェ」と思ったが、経験則的に今なら断言できる。
宮沢りえか深津絵里か、せめて新垣結衣を連れて来い!このシーンがキモなら、多少名が売れててもポッと出の新人じゃ心もとねぇぞ!
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後から聞いてわかったのだが、本当は主人公の心の再生を描く為にこんなシーンが用意されていたそうだ。
「溢れる涙を拭いながら、公園の並木道を歩く女性。だが彼女は途中でふと立ち止まり、空を見上げる。
カメラはそんな彼女からゆっくり引いて行き、やがて彼女を取り巻く公園、その向こうの都市群、そして美しい青空へとパンアップ(カメラフレームを上に上げる)していく」
だが「そんな撮影はウチの機材と君たちの腕では無理」と先生からダメ出しを喰らったのだそうだ。
そりゃそうだろう。
やや小難しいことを言うかもしれないが、
・まずそんなに美しい青空で必ずロケできる日取りの可能性が低い。
・それだけ公園を広く使うなら、おそらく公園に払うロケ代が高額。安く済むかもしれない遠くの公園の場合、都市群の映り込みは期待できないし、移動にも金と時間がかかる。
・カメラ移動レールが必須。
・障害物が多い並木道から公園をナメて撮り、空まで一気にパンする為にはクレーンでないと対応不可。クレーン操作には高い技術が必要。
当時は「ああ、確かに卒業制作でそんなに大きな機材は無理そうだねえ」でモヤっと納得した。
だが今にして考えると、おそらくだが専門学校そのものが、機材にあまり触らせずに理論だけ教える、頭デッカチ貧乏体質だったのではないか?と思えてならない。
せめて現代なら、ドローンレンタル(これも高額ではあるが)とか、映画用キャメラのデータとスマホ撮影データをトリッキーに組み合わせるとか、手があるかもしれないが、とにかく当時としては卒業制作レベルのものではなかった。
技術もそうだが、まず機材と金額的に無理。
本当に何故、この撮影が可能だと思ったのかなぁ⁉︎ 旧知の彼女チーム!!!
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ともあれ、撮影規模はギュギュっと縮小され、黒いカーテンの前にテーブルと椅子、そしてガラスコップと女優の演技力に全てがかかる演出に切り替えられた。
理由はわかったけど、そこまで180度方向転換しなくても良かったんじゃないかなぁ⁉︎ 旧知の彼女チーム!!!(もはや笑)
まあ、できる限りはやった。自分なりに感情は込めたし、後の発表上映会でも「女優さんの熱演は良かった」と先生のひとりから言葉を頂いた。ただし上手な演技だったとは一言も言われていない。
また、私がこれによって女優を志すこともなかった。
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いずれにしても良い噺のネタになり、後の仕事での気づきにも一役買う発端になった、微笑ましい思い出である。
ただひとつ、どこの時系列にも分類できないのだが忘れられない旧知の彼女の言葉がある。
「例えば友達で海に行ったとしてさ、私は穏やかで安全な波打際で遊ぶ大勢の子やったと思うんよ。
けど なおじちゃんは1人でもズンズン海に入って行くような子やったね。
私らはそれに驚いたり面白がったりするだけやったけど、私、最近思うんや。
なおじちゃんには私らには見えへん何かが見えてて、せやから海に怖がらずに入っていけたんやないかって。
それってすごいなあって」
何の流れで話した言葉なのかは記憶にない。
ただ、幼い頃から「女の子」のメイン集団から離れて生きてきた自覚はあった。
旧知の彼女はメイン集団のリーダーではないものの比較的中心におり、誰からも愛されていた。
メイン集団と私はお互いの立ち位置を尊重し、どちらかが一方を蔑むようなことはなかった。「私はココが気持ちいいからココに居るだけ」という根源的欲求を容認しあっていた。
それでもやはり存在として華やかなのはメイン集団であり、憧れていなかったといえば嘘になる。
彼女のことは私も皆と同じように好きだった。嫌いになる要素がない子だった。
私のことも程よく好意的に見てくれているとは思ってはいたが、先の告解は意外だった。
「みんなと違うもの見てたのは確かやけど(笑)。見てた方向が違うだけで、特にすごいもん見てたわけやないよ」
と私は返したと思う。
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その思いは今でも変わらない。
だが映像文化を長く取材して、作る大変さの一端を知る今、ずっと「まぁ細かいことはいいや。また会えたのが嬉しいし」で追求を止めていた、
「何故彼女が私に主演を依頼したか」のミステリーが玉手箱のように紐解かれる気がする。
先にも述べたように彼女の卒業制作プロジェクトは一時、頓挫して当然の要因を持って頓挫した。
だが彼女にとっては青天の霹靂に近い、まさかの行き詰まりだったのではないか。彼女が不勉強だったとは決して思えないので私としては「何教えてたんだ、学校!」に全て帰すことにする。
それを立て直す案は立ったものの、マシンパワーがマンパワーに変わっただけで困難なことには違いない。
その恐ろしさを最も感じていたのは彼女だろうし、思い出す限りあのチームの中での責任者も彼女だった。
自分がもしそうだったらと思うと身の毛がよだつのを抑えられない。
どうしても状況は打破しなければならない。だが打破できるパワーを持った人材に心当たりがない。そんな、あまりに絶望的な。
そしてもしも、考えて考えて頭が真っ白になった世界に、ふと1人海へ歩みだす不可解な少女の幻影が立ち現れたとしたら。
2年の音信不通を越え、携帯がない時代に卒業名簿をひっくり返して相手の実家に伝言を残す、賭けのようなことまでして彼女が掴もうとしたもの。
夢のような、何か。
その夢なる幻影が本物だったのかどうか、彼女が卒業できただけでは証明できない。皆に愛された笑顔で何度もお礼を言ってくれたが、それでも確信は持てない。
当時の精一杯だったことは誓ってもいいが、宮沢りえでも深津絵里でもない私が奇跡を起こせたとは到底思えない。
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それでも、
私が好ましいが縁遠いと思っていた少女から寄せられた憧れの眼差しは、
くすぐったさと共にひとつの願いを後押しする。
きっと、誰かが見ている。
私がもがく様を、獣性を持って暗い森を駆け抜ける様を、己の不甲斐なさに焼き殺されそうになりつつも自身の極星を見落とすまいとする、死に近い瞳を。
ひとりきりでもいいから海を探検したいと腹を括ったつもりでいた、遠い日の私を見ていた少女がいたという事実。
それが私を今日も少し、支えてくれる。