私は勉強が苦手だった。
楽しかったのは小学校まで。
何故なら小学校までの授業は基本、読解力さえあれば何とかなるからだ。
小学校にも暗記物はあるが漢字さえクリアすれば、他はゲーム感覚で覚えられる分量だ。
さらに私は抜け道を持っていた。
読書だけは早く始めていたのだ。読書が苦でなかったのが何故かは知らない。
娯楽が少なかったのもあるが、おそらくは環境上、意思の薄い頃から雪崩のように書物に触れていたせいだろう。その中で深く考えることなく「生きる術」として会得したと思われる。
手っ取り早く言えば、私は「国語の国からの帰国子女」だった。
しかし中学からはそうはいかない。
つるかめ算をxyの方程式に当てはめられず、今までの書物では飾り程度しか出なかった英語……よりにもよって日本語とは決定的に文法が異なる言語……との付き合い方で躓いた時点で、私は「帰国子女」としてのマージンを使い果たしていた。
我が故郷に大した高校受験戦争がなかったのは幸いだった。家から通える距離の公立普通科の高校へ、出来る範囲で無理せずツルリと入った。
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高校では当然(笑)早くから理数系は投げ出していた。
アホだったなあと思う。
父はよく「何でも死ぬ気になればできるんじゃ!」と私を叱咤していたが、当時は「そんなこと言われてもねえ…(薄笑)」と流していた。
だが後に皮膚医学や栄養学を「誰かに読んで理解してもらう為」の雑誌編集の仕事として取材すると、それはもう確かに「死にものぐるい」ではあった。
それぞれお忙しい先生方にインタビュー時間をさいていただいたことを無にせず、一般の方に楽しく読んで頂く物を仕上げるのが責務。
そうなるとまずは己がそれを誰かに平易に語れるくらいには理解していないと始まらない。
取材前の予習も必要だったし、補足書物も締め切りまでの時間内で可能な限り読んだ。
それだけで何かの試験に受かるような知識を得たわけではないが、どの学びも前向きに習熟してみれば興味深いことばかりだった。
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穴ぼこだらけの入り口で構わない。
ともかくモヤッとでも概要を掴めればいい。時間は誰にだって有限だ。
あとはその穴を何処まで深く細かく埋めていくかは置かれた環境の必然の具合による。
それくらいの気軽さというか、素直さが十代の私には欠けていた。
下手に「帰国子女」のマージンに甘えていた私は「完璧ではない理解」が存在する科目を気持ち悪いと感じ、苦手だと勘違いしたのだ。
この広い世界、そこに存在する真剣な学びに「確実で完璧なスタート、楽チンなステップ」などありえない。
わからなくて当たり前、ピンと来なくて当然。まずは当てずっぽうでも何でも、まず「自分で」概要を掴もうとする真っ直ぐな意気込み。
それさえあれば正直、高校初期くらいまでの学びならどうにでもなったはずだ。
大学受験はもう色々と勉学とも学問とも違う分野なので、どう努力しても東大理学部に受かったとは思えないが、あそこまで早くから投げ出し、イヤイヤながらで勉強する必要はなかったと思う。
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大人になった今でも、好きな勉強は多くない。始めて青色申告をした時は基礎簿記に半泣きになっていた。
だが現在は知っている。
私が自明でわかる世界など、とてつもなく小さいことを。わからなくて当たり前だということを。
だからまずは素直に「そういうものだ」と受け入れてみる。それがピンと来なかろうが、何かに置き換えが効かなかろうが、私が知らない「そういう」世界なのだ。
そうして初めて「わからない」ということが「わかる」。素直にそこにあるものを咀嚼していくうちにやっと「より何処がわからないのか」が見えてくる。
そして大事なのは「何処までわかりたいと自分が欲しているのか」という自問だ。ひとつの目安と言っていい。
何のかんの言いながら大学を修了し、仕事で問答無用に様々な学問に触れた私が知ったのは「世界に底はない」ことだった。
学べば必ずその先があり、研究すればするほど疑問は募る。
多分、ノーベル賞を取った方々とて言うだろう。「まだまだ未知の部分は大きい」と。
だから私が己の鬱に「これで終わった、完全に克服した」と真実の意味で言う日は来ないのだ。
「ここで一度、整理しよう」と思う区切りがあるだけ。
それくらいの素直さでいよう。
たまに、いつかは世界の果てまで理解出来る日が来ると思っていた、万能感に満ちた幼年期が懐かしくはあるが、その感覚が未来を阻んでは元も子もない。
私はまだ知らないことの方がずっと多い。
何かを苦手と感じる直感を無下にはしないが、何であれ頭から否定しているだけでは結局何も分からず、怖いままだ。
余談ながら幼い頃「未知」という名前の友人がいて、その音の美しさを羨ましいと思っていたが、字面的に「いつまでも何も知らない」という意味の名前は如何なものかと思っていた。
だが今ならわかる。とても良い名だ。
世界の真の姿が短い言葉に詰まっている。
未知を怖がる必要はない。
この世界は何処までいってもそうであり、だからこそ希望があるのだろうから。