歯!!!
歴史を紐解けば、その不調と痛みが元凶のひとつとなって命を落とした偉人、貴人、軍人、平民は数知れない。
幼い頃から「眠りながらでも日々歯を磨け!」と薫陶を受けてきた私ですら40代後半となればこの有様である。
まあ、しこたま酔っ払った夜、半ば正気を失って仕事に没頭していた夜、肉類だのジャンクフードをモリモリ食べながら気絶するように寝た過去が、一度や二度ではないことも白状せねばなるまいが。
ともあれ、今の私の口腔内は不思議なことになっている。目立つ腫れも出血もなく、レントゲンでも「もしかしたらこの治療痕の跡が…」と推察はするものの「犯人はこいつだ!」と特定するに至っていない。
そして痛いは痛いのだが、市販の痛み止め数粒で半日は消滅してくれる。また常に魂と格闘するほどの痛みではなく、口内にいる小鬼がキャッキャと踊っているような変な感触が続く時もある。
しかしかかりつけ歯科医は恐ろしい預言をのたもうてくれた
「どこか1本で済む話じゃないかもね〜」
や〜め〜て〜!!!!
下手に痛みに強い体質が災いした。
思考言語を「☆×◯◽︎△〜!!!」と意味消失させるほどの突き抜けた痛みでなければ「ちっ!不快だぜ!」で日々は滞りなく過ぎていく。
「元気ハツラツ!」とはいかないが、まあ日常生活に問題はない。常にちょっとぐったりしてるくらいだ(←意外と大問題)。
それでも市販の痛み止めが効く率、効果時間も3月末の当初に比べればずっと安定してきた。ありがたいことだ。
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私の勝手な見立てで言うと歯痛は、並々ならぬ意思を持って臨んだ3月の官公庁バイトが終了したせいだろうと思う。
きっちりしっかり、何ひとつ後悔することなく終わらせられた仕事は本当に久々だった。そうなるように全力を尽くした。
まあ、単に燃え尽きたのだ。
「あと数日、全うすれば任務完遂する」
そう思った末日近くに歯痛が始まったことは無関係ではないように思う。
そんな、かなり迷惑な置き土産をしてくれた官公庁バイトだったが、収穫は大きかった。
「今の私の働ける力」の再認識と、
「今の私の働ける限界」を見事なまでにデータ化してくれたからだ。
内容も充実しており、先方にも私にも無駄や中途半端さはなかった。
「ねえ、なおじさん3月の予定どうなってる?」という知人からの気楽な一言で始まった1カ月限定の定期バイト仕事だったが、それを終えた私の中では「働く」という行為への意識が変わった。
4月もライター系の仕事を受注してはいるが、それは官公庁での「働く」とは全く軸を異にするものだと感じている。
3月のそれに引き比べて些少のギャランティしか私に残さないのは重々承知だが、その差にすら清々しい納得がある。その根拠と理由を私の細胞レベルで学習し終えたからだ。
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世は「高リターンなブラック仕事」か、
「低リターンな自由仕事」に
大きく2分されていると思っていた。
少なくとも私という素材ならば、そのどちらかを選ぶ道が最もナチュラルだと思っていた。
知識として、その間や遥か遠くに「楽で高リターン」や「自由じゃないが安定リターン」な仕事もあるとわかっていたが、どちらも踏み出すのをためらわれる未開の地だった。
まあ「楽で高リターン」は悪魔と魂の取引をするに等しいので甘言に触るまいと今でも思っているが、
「自由じゃないが安定リターン」な仕事の世界は垣間見えた。
だからこそ私がそれまで知っていた
「高リターンなブラック仕事」
「低リターンな自由仕事」
が何故存在し、何故そのようであるのかを明晰に知ることができた。
曰く「安定した程良き収入は、重なる基礎仕事を果てなく粛々と繰り返してのみ存在し得る」
これは「粛々」を維持するための休息まで意味する。
「ブラックな勤務体制での比較的高収入」
「他者との距離を空けたまま自由に動く低収入」
どちらも社会に関わる力が強すぎるか、弱すぎる。良し悪しではなく(ブラックで低収入はもってのほかだが)力学的な理解だ。
前者は人生そのものと言い換えてもいいだろう「健康や命」を差し出す危機と隣り合っている。
後者は限りなく自由だが「名声と価値」がなくては金銭の上昇には繋がりにくいほど立場が弱い。
だが、そのどちらかの立場だからこそ世に貢献できる仕事もある。特殊な内容であればあるほど。
なるほど。幸運不運は関係なく
私の生活が定まらないわけだ。
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「体に叩き込まれる」
というのは実に偉大だ。
もちろん知識で実感と確実な想像を得られる御仁もいるだろうが、私は思っていたより「肉体派」だったらしい。
最後に降りてきた「疲労歯痛」と呼びたくなる苦行も含めて、私は体で理解した。
金を稼ぐこと、己が楽しむこと、健康を保つこと。どれも捨てずに明日に繋げるのは実に難しい。
幸不幸でも、運勢でもない。
誰がいつやっても難しくて当然なのだ。
鬱の元凶になりやすい「ライター仕事の修羅場」でも、クサクサした気分になりやすい「糊口をしのぐ短期バイト」でも、行き詰まった時に今までは薬と周囲の励ましの言葉で乗りきってきた(乗りきれなかった時もあった)。
だがこれからは「あの3月、私はどのように働き、それを完遂したか」の経験が、その支えに加わり、己に冷静さを呼び覚ますだろう。
そう、これは「成功の感覚」のひとつだ。
そして今私を苛む歯痛は「その感覚を無闇に崇高化してはならない」と戒めている。
私は確かに経験を得た。学んだ。学べた。
これは「自信」と呼んでいい。
それを得た私はかつてより良く生きるだろう。
だがそれで世界の全てを知ったわけではない。突然若返りもしないし、その時にできることしかできない。これからも学びは続くだろう。
多分そうやって、人は先へ進む。
歯痛を甘く見るつもりはないのでキチキチと通院予定を組んではいるが「置き土産」以上の恐怖は持っていない。
もっと別の物が嬉しかったが、これも私が「成功」した証の聖痕だろう。
繰り返す。本当はもっと別の物が良かったけれど!!!!!
ひとつの聖痕だと思えば、
痛みも何処か愛おしいものだ。