またもやご無沙汰しております。

今現在といえば、相変わらずこれといった書き物仕事はなく、それどころか先日、締め切り遅延でご迷惑をおかけした編集者さんと、ランチをご一緒した。

その方からはもう大きな仕事は来ないだろう。しかしこのランチで詫びや手打ちの手順は踏んだので、これからも要所要所でお食事やお話を楽しむことは可能かと思う。

実はそのようにして「これからも知人ではあるが仕事関係で絡むのはナシにしようランチ」をしたのはこれで3人目だ。
いずれも実力のある方々ばかりで「フリーになったなおじさんと仕事をしたい」と思ってもらえたことは感謝と自尊心を満たした。

何故仕事が上手くいかなかったかというと、これはもう「鬱の名残」のひとことに尽きる。
通常であれば相談するなり、次の手を提案するなりしてクリアしてきた小さなミス。それが自分でも気がつかないうちに心身を蝕み、相談も次提案も恐怖にしか感じない。そうこうしているうちに時間は過ぎ、締め切り遅延となる。

いずれもプロジェクトが頓挫することはなくすべて世に出たのだが、その陰に私の遅延を尻拭いしてくださった、他スタッフや部下のみなさんの働きが透けて見える。

某電通の過剰労働の例を待つまでもなく、雑誌もネットも細かい仕事を言ったらキリがない。
昔はそれをすべて社員や契約社員が抱えて深夜まで頑張っていたのだが、世の趨勢につれて「アウトソーシング」、いわゆる細かい仕事はフリーに任せて、社員は健康でクリエイティブな生活を保つというのが、理想の潮流になった。

そんな中アウトソーシングたる私が、鬱で伏せったり、相談のタイミングが遅過ぎたりしては、外注している意味が無かろう。
かえって仕事を増やすだけにすぎない。


おかしな話だが私の仕事のセンスやまとめあげる腕に関しては、否定的な意見は聞いていない。

しかし、だからといって私は天才ではない。岡本太郎がいくら締め切りをぶっちぎっても、それは岡本太郎クオリティが仕上がる代償であるし、仕事としても折り込み済みだろう。
私は駆け出しの人や、異業種から意気込みだけで来た方々よりは上手くまとめる腕があるだろうが、ハッキリ言えば私程度の腕は業界に一定の数がいる。

部下や他スタッフにヘルプを頼まなくてもそこそこ良いものを上げてくる人々。どちらかといえば、そうでなくては本当は「フリーランス」を名乗ってはならない。

私は世にどのように思われようとも、文筆を人生の芯にするという気持ちに変わりはないが、その姿勢が出版(雑誌)業界で求められている「フリーライター」かというと、お互いの為にも何か違うのではないかと、数年前から思っており、最近とみにそれが腑におちてきた。

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きっかけはやはり金銭的困窮のため外出を控えた一時期だった。
何度も書いたので端折るが、己の心の赴くままに本や映画に耽溺し、それが自分の中でどう感銘を与えたのか、その作品から自分が思い描く世界とは何かと己に問うてみる。
そんなことをじっくり思索する午後の、何と充実していたことか。

このまま閨秀作家にでもなってしまえば美しいのだろうが、そこは当たるも八卦、当たらぬも八卦の一億総小説家の混沌世界である。
また、自分がマンガ編集者だった経験から分かるのだが、自分がピュアに書ききりたいものと、世に出すためのインパクトの在処は必ずしも一致するとは限らないのも知っている。

かつて小説を書いた時(学生時代も、社会人になっても)それはどこの賞レースにも出す気はなかった。自分が下手に出版社にいる気恥ずかしさもあったが、ただ当時の友人に回し読みしてもらう、実に原始的な同人会が楽しかった。

長く出版界にいて、私の「文筆の悦び」はデビューして有名作家になることではないと痛感したのもあった。そりゃあ、私のアウトプットと世のニーズが合えば、その称号を戴くのに全く異存はないが。

私は純粋に己から湧き出るものと対峙したい。その想いは家に籠った時期をへてさらに強くなった。

【読者の年齢層がどうとか、今求められているエンターテイメントはどうか】その丁合いをとり、狙いを決めるのはかつての編集仕事での絶対的な縛りだったし、そこをクリアする案を出すのも経験にある。

だがそこから先は「その狙いを書き切れる人を探す」ことだった。フィーリングがバッチリな人が見つかることもあれば、作家ビジネスとして書き分けや対応を身につけている素晴らしい巨匠もいた。

「センスが近いけれど本質ではない人」でスタートするのが一番キツかった。その人も私も未熟だったというのもあるだろうが。何しろ書いている本人が「自分の世界のみを伸び伸びと書ききれない」ジレンマを抱えて苦しむ姿は見ていても苦しかった

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だから私は今、こう思っている。
自分が本当に書きたいものを探し、湧き上がるパッションのままに書こう。と。
それが私にとっての根源的な〝文筆〟だと。

それとは別についに優雅な有閑マダム生活にも別れをつげなければならない預金残高になってきた。
真面目にこの夏で就職を決めるつもりだ。
…決まるといいなあ。決まって〜!

今度の就職のテーマは「どんな形でもいいから、日本のマスコミ業界の縁の下を支えたい」。実は3月のお役所バイトで縁の下であることの重要性とプライドを学ばせていただいたことが大きい。

目指すは出版や放送業界のトップや長ではなく【スーパーアシスタント】である。
自分がプロジェクトリーダーだったこともあるからシミジミとわかる。良いアシスタントが着くかつかないかで計画の半分は決まる。

かつて私がお世話になったお歴々には及ぶまいが、このリスペクトの気持ちは本物だ。

また、アシスタントであれば主婦業も自己趣味もすべて投げ打つ立ち位置にない。
やっと見つけた「自分の中から湧き出る書きたい気持ち」に寄り添う時間も定期的に取れるかもしれない。

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まあ、今の時点ではどの就職先も手続きは進んではいるが夢の最中である。若い子の就職活動ほどにドキドキはしていないが、できれば叶えたい。

この生活ビジョンを考えついた時にピンと来たからだ。
きっと私は幸せになれる   と。

もちろん根拠はない(キッパリ)

ただ何故か良い風が吹いて、良い波が来たような気がしたのだ。

すべて妄想かもしれないが(冷静)

だが、そんな爽やかな心の風を感じること自体、もう久しくなかったことだ。
それ自体が奇跡。
ならばどう転んでも構わない。
さあ社会人になろうと思ったあの頃のように、ただ清々しい希望の風に己を預けてみよう。

どうぞ、温かくお見守りください。

追伸
あ、落ちても受かっても報告しますね