人は低きに流れる。
とは、誰が言った言葉だか忘れたが最近それをしみじみと感じている。
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多少のバイトや就活のデータ作成はあるものの、へそくり的手持ち資金を夫の車検代に持って行かれたため(ボーナスが出れば返してもらうが)、近日は家にずっとこもって暮らしている。何しろそれが一番出費が少ない。
今まで御用聞きだの試写会だの発表会だのと、ライターとして見聞と当世流行を繋いでおこうと研鑽のつもりでしていた外出も、今はせっかくの招待状に欠席と書いて戻すばかりだ。
ただでさえ仕事のない我が身が、このような隔絶状態に置かれて嘆かわしくなるかと思ったが……
どうしたわけか素晴らしく快適だ。
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主はネットメディア普及による「安価で映画見放題」なオンデマンド視聴の満喫が、この快適さを呼んでいる。
また「いつ眠っても起きてもいい」という解放感も大きい。
もちろん夫との夕食は作るが、どうも気が乗らないと数時間前に連絡しておけば、よく出来た我が夫は自分で外食して帰ってきてくれる。
自分はどうも食に執着が無いらしく、朝昼晩卵かけご飯でも平気な人間だ。何だったら牛乳で腹を満たしても問題ない。
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朝起きた時の気分、お天気の様子、更年期的不調、それ以前にいまだコントロールしきれない「メンタル」。
そんな頼りなく予定の立てられないものを主軸にして生きていい毎日というのは、想像以上に極楽だった。
いやいや待てよ、とは思う。
夫の稼ぎのみでは生活に支障をきたすから仕事やバイトをしていたのではないか。
それ以前に「文筆家」としての自分の確立を望んでいたからこそ、数々の努力を重ねてきたのではないか。
生きなくては。
そのために仕事をしなくては。
そして自立しなくては。
立派とは言わずとも、後ろ指指されない程度の社会人でいなくては。
それが今叶わずとも、いつかそうなれるための努力をしなくては。
たとえ文筆の仕事が途絶えていた時でも、何がしか世に触れよう、見聞を広めようとしていた己は何処へ行ったのだ。
だが、半ば強制的に放り込まれたエアポケットのような閉鎖生活が恐ろしく我が心に叶ったのも現実だ。
自由な想像力や「物事を楽しむ活力」のようなものが身の裡で目を覚ますのを感じる。自分でも驚いている。
例えば、朝の小雨が嬉しい。
例えば緑の匂いが強くなるのを感じるだけで気分が高揚する。
午後のうたた寝で見た夢の幸福感に何時間も身を浸し、思うまま夢の続きを妄想したりする。
玉石混淆とはいえ、様々な映画やドラマを酒に溺れるように楽しめる。
アンテナとソナーは私の感覚ひとつ。
それだけで気ままに空を飛び続けている、そんな表現が多分一番近しい。
余分なものを削ぎ落とし、身も軽く宙に舞う。
どうしよう。楽しいぞ。
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とはいえ、金銭的意味からしても、ずっとこの生活を続けるのは難しいだろう。
だが心身共に手綱を離して生きる日々を、私はずっと憧れながらも、会社を辞めてすらも、自分に完全に許す気にはなれなかった。
それが一時的とはいえ図らずも手に入った。
ある意味プライスレスにとんでもない贅沢を手にした自分が、どこまで堕落してしまうのか恐ろしかった。
そして今回の状況を見るに、恐怖は半分当たっていて、半分は外れていた。
真っ当な社会人でもなく良妻でもなく、何の生産性も無い日々を過ごす。
嗚呼、この拭い切れぬ罪悪感。
だが同時に、優雅に趣味性高く、ふわふわと己の感覚に正直であり続ける
「ご機嫌うるわしき私」の至福。
どちらを私の本来とすべきか。
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ふとそんな迷いに打ち震える夜に、耳につけたイヤフォンからたまたま観ていた邦画の脇役の声がした。
役名もなく演者のクレジットもわからない街のじいちゃんがストーリーとは関係のない背景で仲間と歓談していた。
「まあ、美味しいとこをボチボチつまんでいけばええやないの」
弁当か何かを分け合っていた人のように思う。聴いた時は何とも思わず、映画を観終わって急にそれだけが脳裡にリピートした。
何とクールで日本的な!
素晴らしく平和で、穏便で
実にスマートな!
そうだ、それがあった。
私は割と喧嘩上等!白黒つけようぜ!な性格ではあるが、伊達に中庸と馴れ合いに満ちた日本国で生き抜いてきたわけではない。
自立心も、野望も、
身の軽さも、有り余る自由も、
知ったならばどれも捨てる必要はない。
その時に合わせて、その場に合わせて、
ボチボチと楽しむ。
自負に基づくならば「ボチボチ」の塩梅は私の細胞が知っているはずだ。
その判断が粋か野暮かは
経験を積まねばなるまいが。
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今季、またひとつ
己の殻を破れたような気がする…とは、
似非に粋人ぶった余生者の戯言だろうか。