最初に言っておく。「諸説あり」。
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女子の憧れ「天蓋付きベッド」。
Amazonで探せば優雅なレースで覆われたそれがワンサカと出てくる。何故にそれが憧れかと言えば当然、王族貴族上流階級の寝室によくあったものだからであろう。
だがここにひとつの疑問が呈される。
何故、ベッドは天蓋及びそこから垂らされるカーテンに仕切られねばならなかったのか?
絶対王政の象徴ヴェルサイユ宮殿華やかなりし頃から言えば「王妃の寝室」といえども、そこは始終侍女や侍従、果ては各大臣まで出入りするパブリックな場所であったようだ。
その中で「個の安寧を立脚」するにおいては天蓋のカーテンをぴっちりと降ろすのが最も分かりやすく確実だったろう。
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だが最近、私は興味深い解説を目にした。
曰く、絶対王政以前の中世後期〜ルネサンス初期(毛織り物が盛んになる前)は「布」がとても貴重だったという話である。
言われてみれば、あくまでも挿絵程度に過ぎないがヨーロッパ中世時期の部屋の絵は
「カーテンがない」
石造りを基本とし、採光を窓に頼っていた時代の建物に、カーテンが施されていたパターンは少ないように思う。
日の出と共に起き、日没と共に素朴な夕食を取っただろう農民たちはともかく、やれ祝勝会だ仮面舞踏会だと夜を使い倒していた特権階級の眠い朝はどうだったのか?
そりゃあ部屋の全窓に希少な布を使ってカーテンをつけるくらいだったら、ベッドの上部から垂らすのが金策としても合理的だったろう。レースなんて頼りないものではなく、きっちりとした厚みのある「カーテン」をつけて、心ゆくまで眠ったに違いない。
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と、2階寝室に大きく特殊なサイズの窓を持つ私は思う。
既成のインテリアカーテンにサイズがないため、引っ越当初は私が綿布を重ねて似た感じのものを手縫いした。しかし数年で日焼けにヤられた。
後に100均のシャワーカーテン(本来は横に使うもの)をタテに3枚並べて吊るせば目隠しになると判明したので、ここ数年はそれで乗りきっている。
これが意外と、夏の南方直射日光もしっかりと和らげてくれる。しかも100円だ。何度でも買い直せばいい。
ブラボー、100均!
だがひとつ問題がある。
季節に合わせ、きっちりと朝日が暦通りの正確さでシャワーカーテンを通り抜け、部屋に差し込んでくるのだ。
ならそれで早起きすればいいじゃないかと世の良識的な人は言うと思う。だが馬鹿を言わないでほしい。
確かに夫は朝8時前後には家を出る。
しかし日によっては付き合いで終電で帰ってくるのだ。せめて7時くらいまでは寝かせてやりたいではないか。
だがお天道様は一切それに躊躇することなく、季節によっては朝4時過ぎにはピカーッ☆と差し込んでくるのだ。
私が窓寄りの位置を占めているため、夫にそこまで直射の光が当たらないのが唯一の救い。それでも太陽に無理矢理虹彩を開かれる私の心地としては、爽やかさを通り越して腹立たしい。
今日など特に用事もないのに何故5時30分に起こされなければならないのだ。
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ウチの寝室にも厚い布地の天蓋付きベッドが欲しい。
先の「布不足論」を元に私が呟くと「そんなベッド、この狭い部屋に入るわけないじゃん」と旦那には一蹴された。
それはそうだ。だが規格外のカーテン発注も阿呆のように価格が高い。
踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損、との阿波踊りの有名な出だしが脳裏を掠める。もうこの際、天蓋付きベッドを買う方がマシではないのか?
私は今の借家をとても気に入っている。日当たりもいい。採光は充分だ。洗濯物もよく乾く。だが何故カーテンリールをあんな天井近くにつけたのかは、いつか元々の家主を探しだして問い詰めてみたいものだと思う。
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ここだけの話、旦那と私の睡眠の質が極上でないのはカーテンの状況にも一責任あると思えてならない。
何事も一長一短。
念仏のように私は繰り返す。だが見ろ、その為にちょうど良く陽が高くなった午前10時、下手に早起きさせられた私の瞼は和らぐ陽射しに誘われるようにくっつきそうになっている。
ええい!駄目だ駄目だ!
今から掃除だ洗濯だ!
そう叫ぶ理性の声がノイズを孕んで
柔らかく遠くなっていく……。