余生をおくる私の体型は「ドラム缶タイプ」である。「ドラエもんタイプ」ではない。ココ注意。
何故ならドラエもんは腹回りがボリューミーなだけであって、手足はちょこんと小さく、それに沿って全体のフォルムが円を描いている。あんなに愛らしい姿と一緒にしてはバチが当たる。
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私の胸回りは下垂とも少し違う横広さ。集めればソコソコのカップになる分量はあるが、ぱっと見は只の「胸板が厚い人」。
自慢じゃないが首もしっかり太い、
中学時代、合唱部と水泳部を兼任したおかげで、首から背の筋肉(水泳)、膨らむ肺とそれを支える大胸筋〜腹筋が鍛えられ(合唱)、合計して出来上がった肉弾頭の上半身を持つ。
腰回りは説明の手間も要るまい。
立派なオバさん腰。
で、何故かこの流れで比較すると尻が小さい。センチでいえば胸に劣る。しかし、スラリとした脚線を作るほどは小さくない。
膝の皿は旦那を上回る大きさでガッチリ。
ふくらはぎは屋内プールのない弱小水泳部の冬季練習で、アホのように階段乗降をやり込んだ結果、パパンがパン。
検証結果
「上から下までほぼ同じ厚み」
↓↓↓
ドラム缶、完成
この体型のデメリットは想像がつくだろうし、書いてて悲しいので割愛。
しかし、メリットはある。
メンズの衣服がぴったり合うのだ。特にボトム。裾上げは簡単なものなら自分で出来るし、春夏の「足首を見せておしゃれに」なんてカジュアルパンツは、私の絶好の餌食。
トップスはレディースでもシャツ以外のカットソー系なら大きめを選べばどうにでもなる。
最大のメリットは、
横にスタイル抜群か
痩せ体型の人が並ばない限り
つまり単体で見れば
「ちょっとぽっちゃりだけど、
まあ中肉中背?」と
人が騙されてくれるのだ。
くっくっく。
あとは過去のいくつかの騙されてくださった人々の事例を脳に焼き付け、自分で自分に「中肉中背だ」と暗示をかければ。
あら不思議、
どうも本当にそう見えてくるらしい。
ここ数年、チャレンジを繰り返した結果だから、信憑性はゼロじゃない。
どうやらほんの少し真実を含んだ虚偽多めの暗示は、虚偽こそがパワーとなって、限りなく真実に見える、という現象を起こすようなのだ。
他の場でも常々思うのだが、
「より強く信じた者の言うこと、思うことが“その場の”真実を左右する」。
客観視では大変そうで可哀想な境遇であっても、本人が「この生活、ご機嫌なのよ〜」と本気で思って、そこに良い感じの笑顔が加わると、
何故か対面した私の目に、彼女を包む世界が朝ドラの中盤苦労シーンのように見えてくる。
つまり苦労はしているだろうが、それを糧にするヒロインに見まごう。汚れたカーディガンすらレトロな趣に感じられる。
そして「あれ?さっきまで可哀想だと思ってた私の認識の方がズレてた?」とこちらが強迫観念に駆られる。
こういった「受け手」の現象は、それこそインタビューの現場でよく遭遇する。
予備情報、第一印象、それらが話しているうちに、押され、曲げられ、捩じ伏せられていく。良くも、悪くも。
この場合、どちらが真実か?という問いは意味を持たない。場を制した事柄だけが真実と認定するに値する。
なので私は「ギリギリの客観的元手としてのドラム缶体型を維持し“中肉中背”を真実に変えよう」と、心に決めた。
暗示を与える側も
それ以上に受ける側も
場数を踏んできた私には
体感としての勝算がある。
強く思った者が場を制するのだ。
ただコレ「駅のホーム」では効力が薄い。比較対象が多すぎ、アピールもしにくく、しかも凝視されやすいから。
だから私はホームにいる時はもはや覚悟を決めるか、意味もなく端から端まで歩きまわっている。おかしく思われない程度にゆったりと、しかし誰かが凝視するには難しいスピードで。
さて、今日はマイナンバーカードをうけとりに区役所に出向く日である。
私は余生のパートナーを受け取る時、
その場を制することができるだろうか。