失敗は成功のもと
例え失敗しても、それを経験として違うやり方を試してみることで成功に近づくこともできる
有名すぎる諺ですが、俺もかってはそうでしたが、これができない発達障害者は多いと思っていますよ。
当たり前すぎる話ですが
自分のやり方は間違っていないハズ、としか考えられない人間は違うやり方を試してみようとはしない
自分のやり方は間違っていた、と考えられる人間だけが違うやり方を試してみようとできる
のですから。
やり方が間違っていたと認められる人間「だけ」が、失敗は成功のもとを行える
というワケです。
発達障害特性の一つとして有名なモノに、こだわり、囚われというモノがありますよね?
なにか一つのやり方にこだわりすぎる、囚われてしまう
というワケですよ。
こういう人間が自分のやり方は間違っていたと認められますか?違うやり方を試してみようと思えますか❓
つまりそういうことです。
一つのやり方にこだわる、囚われている限りは成功に近づくことはできない
意外に思う方もいるでしょうが、戦前の日本の方が現代よりも、こういう教育の仕方をしていたんですね。
だから戦前は発達障害が社会問題にならなかったのかもしれません。
一つのやり方にこだわらず、囚われることなく、様々なやり方を試せて、成功に近づくことができる発達障害者
こういう当事者は障害者ではありませんから。
追記
自分のやり方が間違っていたから失敗したと認められない人間は、当然ながら失敗した理由を自分以外の存在に求めます。
他の人間のせいにするということですよ。
悪い意味で発達障害者らしい当事者、周りを混乱させる当事者ほど
僕は間違っていない、間違っているのは他の人間だ❗
と言いたがるのは、これが理由なんですよね。
他の当事者ブロガー様が
発達障害者が定型者に嫌われるのは「真面目にふざけたことをする」からだ
と前に言ってましたが、意味は同じでしょうよ。
自分のやり方、考え方が間違っていたと認められるか❓否か❓
これができるか❓できないか❓が定型者社会で生きる当事者の運命を左右するんです。
さらに追記
俺も当事者自身ですが、発達障害者が語る定型者社会で生きる処世術というモノにツッコミたくなることはありますよ。
それはどこの異次元世界の話ですか❓
とツッコミたくなるんです。
こういう当事者は、やはり思い込みが激しい、自分の考え方が間違っているということが認められないんでしょうね。
仕事してきます。
自分の誤りを認められない人間は生き辛くなり、認められる人間ほど生きやすくなる。
発達障害関係ないよね。