と記事にしている俺ですが、これを俺の発達障害を例に具体的に書いてみますよ。
何回か書きましたが、俺は発達障害特性が理由で手先の器用さが平均的定型者の約6割ぐらいしかありません、このことは障害者職業センターで証明されていること、歴史史料で言う一級史料で証明されていることなんですね。
では以下のようなことを言う人がいたらどうでしょうか❓
雷電は手先の器用さが平均的定型者の約6割ぐらいしかない、これは障害者職業センターでの能力テストという一級史料で確認されていることである
(これは事実)
プラモデル作りは手先の器用さが要求される趣味である
(これも事実)
したがって雷電の趣味の一つがプラモデルというのは合理的に考えてもデタラメである
事実は全く間違っていないが、その事実から「合理的」に考え出された結論は全く間違っている
なぜこんなことになるのか?というと
この考察からは好きこそものの上手なれという感覚が抜け落ちているから
なんですね。
あと
雷電の世代はプラモデル作りは男の子の嗜みであったという感覚も抜け落ちているから
なんですよ。
一級史料でも「当たり前のことだったから」書かれていないことってのはある
んです
当たり前のことをワザワザ史料に書く人はいない
のですから。
「その時代に」当たり前のことは史料には書かれていない
この感覚というか考え方を無視か軽視して歴史を語ると
雷電は手先の器用さが平均的定型者の6割しかないからプラモデルは作れないという完全に間違っている結論になる
んですよ。
おやすみなさい(・ω・)ノ
発達障害だから○○だ、と当事者が発達障害語りするのも同じレベルだと俺は思っています
(・ω・)y-~
(。・ω・。)ゞ