平和運動あるある話 平和運動家には解らないのかもしれませんが | 雷電の日記帳

雷電の日記帳

発達障害者雷電の気紛れ日記です。

関 行男大尉
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/seki/sekitaii.html
2001年11月18日 ... 関大尉は敷島隊の隊長として神風特別攻撃隊の先駆けとなった。初めての特攻隊の 指揮官はぜひ海軍兵学校出をということに添った人選であった。関大尉の苦悩する姿が 記録に残っている。

●同盟通信特派員 小野田政と関大尉の会話記録 (「ドキュメント神風」より引用)

数日間下痢に悩んでいた関は、その日の夕方、マバラカット基地バンバン川の土手で同盟通信特派員の小野田政に会った。関の話しぶりは、特攻攻撃のやり方全般について、それほど気乗りしていない様子であった。関はこう語った。

 「ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて、日本もおしまいだよ。やらせてくれるなら、ぼくは体当たりしなくとも500キロ爆弾を空母の飛行甲板に命中させて帰ることができる。ぼくは明日、天皇陛下のためとか日本帝国のためとかでいくんじゃなくて、最愛のKA[妻のこと、海軍士官の隠語-訳注]のためにいくんだ。日本が敗けたら、KAがアメ公に何をされるかわからん。ぼくは彼女を守るために死ぬんだ。」

関大尉の気持ちは理解できると俺は思っています
m(__)m

平和運動家には解らないかもしれませんが。