おひさしぶりです。

やすしです。

数年の飲酒により溶けた脳で

「2018年は勉強が流行る!!」と言って3ヶ月が経とうとしています。


最近学んだことは

「歴史的仮名遣いで、文中文尾の『あ行い』は、音便変化によるもの」(無き→無い など)

です!(合ってる?)

テストでやったのは「昔のを今になおせ」だから、書いてあるのは読めるけど、書けない。

漢字も読めるけど書けないのたくさんある。


Google先生に質問したけど伝わらなかったの図

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テストとかやっても点数悪いよ。

でも今度なんかでやりたいね。

カスみたいな結果、はやく見たい。



さて、「平成を振り返る」ということで、元号について語ろうと思います。

年号って言ったりもします。

現法律では「元号法」というのがありますので、元号と表記します。


「西暦に統一してほしい」とか、「いま平成何年なのか分からない」などあるけれど(自分もそう思ったことある)

元号が変わって何年目にどういうことがあったのか、時代がどう移り変わってきたのか。

「今、何年なのか」ではなく「何年の時にどうだったのか」で考えてみたいと思います。


元号が変わることを「改元」といいます。

明治以降これまでは天皇の交代で改元(*1)とし、天皇の交代は崩御(*2)のみとなっていました。

中学校とかでやったわ〜。

社会の授業うけてえ〜。


各所で話題に挙がっていますが、譲位による皇位継承は江戸時代以来。(*3)

今は情報が発達して、調べればすぐに様々なことを知れますが、江戸時代にはテレビもラジオもありません。

どうやって元号が変わったことを知ったんですかね〜。

瓦版ですかね〜。

大昔にはコッチでは元号かわったけど、アッチではそのまま使っている、なんてこともあったようです。(*4)

天皇が二人いた時代(*5)もあったしカオス。



しかし、「改元が予定されている」ってのがこんなに明らかになっているのは日本史上で初なのではないでしょうか。

平成は31年で終わる予定。

平成元年に生まれた人は三十路イヤーに改元。

平成より前に生まれた人も、平成になってから生まれた人も、自分や周りにどのような変化があったか、また変わらずにあるものなど、改めて振り返ってみるキッカケにはなりませんか。

西暦とはまた別の偲びがあるのではないでしょうか。


そんな感じで、次回は平成を振り返ろうと思います。

それでは皆様、ごきげんよう。





<注釈>

*1 一世一元の制 (元号法 第2項)


*2 崩御(ほうぎょ)

天皇、皇后、皇太后、太上太后の「陛下」と敬称される方が死亡した時。

他の皇族の「殿下」と敬称される方が死亡した時は「薨去(こうきょ)」

(敬称は皇室典範 第23条の定めるところによる)


*3 光格天皇(第119代天皇)

今上天皇より6代前、明治天皇の曾祖父。

文化14年3月22日(1817年5月7日)、仁孝天皇に譲位


*4 享徳の乱

享徳3年12月27日(1455年1月15日)〜文明14年11月27日(1483年1月6日)

戦国時代の始まりといわれる「応仁の乱」がこの期間に始まり、終了。

元号は享徳以後、6度の改元を経て文明へと至るが、関東地方では享徳27年まで用いられた。(文明10年まで)


*5 南北朝時代(1336年〜1392年)