共依存改善セッションを受講された方より、ご感想いただきました。

シェアさせていただきます。

 

 

 

なぜこの講座を受講しようと思いましたか?

    

自分で共依存と認識していてもずれていくのでずっとぶれずにみていただくことをお願いしたかった。

 

 

受講して良かったこと

    

ひとりだと状況がよくなると気楽になってぶれるので、そういったときでもぶれてる等メッセージをいただいてこうやっていつもやり過ごして本質をみなかったんだなあと痛く思いました。

 

 

受講して変化したこと

    

自分が勝手に作り出した恐怖がみてみると大したものでないことが多く、怖くなってもいいじゃないかと思うようになり、自分がいつも緊張していることが分かった。

 

恐怖から抜けた時力が抜けた実感があるとそこに戻れるようにいろいろ試行錯誤していくようになった。

いつも具体性が欠けたまま落ち込むことが多かったが、具体的にとらえようと諦めないようになった。

 

 

メッセージなんでもどうぞ

    

石川さんのメッセージに真っ白になってなにも返答できなかったり、自分が理解できないとき、あとで思うと石川さん側ならそれしか書きようがないんだなあと思うようになりました。

気持ちは楽になりましたが、すぐに戻ってしまうので、引き続き淡々と続けたいと思います。

ありがとうございました。

 

 

この方は、最初「自分の気持ちを見ていこうとするんだけれども、途中でわからなくなってしまう」ということをおっしゃっていた。

(まぁ、最初は抑圧してきていた恐怖や不安な感情にめちゃくちゃ振り回されていたから、そこをある適度落ち着いた状態に戻す必要もあったけど)

 

自分の気持ちを掘っていっても、浅いところでやめてしまう。

ちょっと触っただけでわからない、となってしまう。

 

○○ということがあった

私は腹がたった

なぜなら○○と感たから

私には○○という経験があるから

私は○○と思っていた

私は○○と思っている

だから○○なんだろう

 

こういう流れがずっと続いて、同じところからそれ以上にはいけなかった。

 

 

なぜか??

なんでいつもやりすごして本質を見れなかったか?

 

自分に疑問を持たないから。

自分が○○と思っている、ということをサラッと流してしまう。

つっかからずにどんどん先へ行っているような気がするかもしれないけど、それでは浅いところの平行線でしかない。

 

なぜ、私は○○と感じたのか、反応したのか。

当たり前のところを疑わない。

曖昧なままにしておく。

 

自分のことがわからない、と言いながら、

自分の「当然○○である」

という前提のところにものすごく揺らがない自信がある。

 

疑わないから、ものすごく漠然と「○○と感じた、思った、思っている」で終わらせる。

何に対してどう感じたのか、それはなぜか?という具体的なところに着目しない。

絶対的に信じているから、矛盾をうまくよけながら曖昧に思考していく。

 

感情や気持ちも大事

でも、事実や具体性も同じくらい大事

両方見れてはじめてニュートラルに物事を捉えられるようになる。

 

漠然とした前提

そこを疑うのはとても難しい。

 

でも、その前提があるから恐怖や不安が無くならないんであれば、正体を明確に捉えてじっくり分析する必要がある。

わからないことにしておけば、何もしなくていいけれど苦しいだけ。

ハッキリわかれば、じゃあ私はどうしよう、と選べるようになる。

(この、ハッキリ見るというのにみんな怖さを感じてやらないんだけどね)

 

今のしんどい世界から抜けたいんであれば、価値観や前提を刷新していくことは必須になる。

結局、今の自分を確認しない限りは刷新していけないってこと。

 

まだまだ出来ることはたんまりとありますね。

おつかれさまでした!

 

日々発信しているインスタはこちらからご覧いただけます

 

●メルマガ登録はこちらに空メールをお送りください

rieishikawa-apply@xs193463.xsrv.jp

 

 

●公式ラインはこちらからご登録できます