旧高鉾 炭鉱 | 鶴嘴さんのブログ

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全国の旧鉱山や旧炭鉱の調査を行っております。

今回、
四国へ足を伸ばそうと思ったのは四国にも炭鉱があったと知ったからだ。

全国 北海道 東北 中国 九州地方だけではなく四国 中部 近畿 関東地方にも各炭田があったという。

知ったが最後 現地に行きたい病を発症してしまった…


そして 今回 遠い未開の地という事で、
四国 徳島鉱石クラブの阿部様にご協力いただいた。

実際にお会いできませんでしたが文面により何かとお世話になりました。

誠にありがとうございました。



さて、
四国は愛媛県から上陸したのだが資料が揃っているこちらから、

徳島県 勝浦炭田に向かう。

生比奈地区 福原地区10kmの間を勝浦 炭田という。

今回の炭鉱は中間の高鉾地区にあった炭鉱、

(昭和20年代 旧炭鉱配置図)

戦後の物質不足や雇用安定のために採炭されていた。


地区を歩くとしよう。

資料によると選炭施設は無く採炭は手掘や手選、篩分によっておこなわれていた。

運送はトラックにて小松島まで搬送していたようだ。


他の施設遺構には期待できないだろう。

何か痕跡があればと歩くと、

かなり気になる石垣を発見。

よく見ると上部がひらけている。

登ってみよう、

やはり 軌道らしき跡がある。

この位の屈折ならば トロッコは 走れそうだ。

足元には、

石炭がゴロゴロと。

見るからには、

品質が良さそうな石炭だが。

あまり質的によくなかったときいた。

純炭分57.50% 純炭に対するCal 7966とあまりわるくは感じない。

しかし 資料を読むと大部分が微粉炭で、
微粉の中に灰分や岩石細粉が混在していると記載がある。

又加工、練炭 豆炭 タドンの製造はおこなっていなかったという。


この炭田の石炭が喜ばれなかった理由となったという事だ。



大量の石炭が転がっているのだがここら辺がそうなのだろうか、

下へおりて見てみてもはっきりとわかる。


その軌道跡を歩いて行く、

坑口発見。


丸太で柵をしてあります、

坑口は数ヶ所あるようですが開口している坑道はこれだけのようです。

川の対岸に数個の坑口が残っているとの事ですが配置図から見て勝浦 炭鉱のものと推測する。


開口しているので内部も見てみよう、

岩盤は脆くはなさそうだが奥で崩落している。

坑道は10m位 奥から右へと入ってます。


山の斜面を水平に掘削しているようだ。

藤川層 中層群を採掘していた。


坑口を後にして軌道に沿って西側へと歩いて行くと傍示地区の交差点へ到着。

数戸の民家がある。

ここで 当時の事を知る方を探します。

戦後数年で閉山した炭鉱だけに大変だろうと思ったのですが運良く1人目でお会いできた。

地元の方によると、
掘り出した石炭をトロッコで西側 傍示地区へと搬送、トロッコをひっくり返して選炭していたとの事。

やはり 石垣の上部をトロッコが行き来していたらしい。

トロッコを人力により押していたとの事も言ってました。


貴重なお話をありがとうございました。



今回 勝浦炭田を探索したのだが、
炭田内の他の炭鉱も探索してみたかったのだが別の用事もあるので また今度という事にしましょう。



さて 次へと走りだしたとたんに…


バ、バイクがパンクしたぁ~

何をそんなに慌てるかというと、

こんな 山奥でパンクするのは マズイ…

やはり 予備チューブを持参するべきであった。

あたふた しましたが隣町のスズキの車屋でパンク修理してもらいました。


本当にありがとうございました。






(資料 徳島県 勝浦炭田概査報告より)