鶴嘴さんのブログ

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全国の旧鉱山や旧炭鉱の調査を行っております。

Amebaでブログを始めよう!
おはよう御座います。

ツルハシです。

さて、今回はと言いますと長崎県の知り合いから連絡があり、

「栢木炭鉱が大事になっとります!」

内容は、以前に炭鉱調査へ入った長崎県松浦市 旧栢木炭鉱の坑口が土砂崩れによって崩壊しているとのことでした。

周囲の詳細な確認をお願いしたところ扁額が埋まらず坑門から剥がれ落ちていると報告を受けた。
崩落前の坑口


崩落前の写真2
この坑門に埋め込まれた扁額が…

このように1つ1つバラバラに散らばっていたとの事でした。

坑門は、完全に崩れて土砂に埋まっていたと聞いた。

そして、続いて この扁額をこのまま朽ち果てさせてもいいのかという見解となり2人で話し合う事となった。

結論、自宅で一時保存する事となったが、後日地元の研究者が保存するという形となった。

しかし、皆と話し合う中で やはり、地元の市町村で文化財として保存できないだろうかという話になる。

一時的、そして後々に保存する方がいない場合は
こちらで保存する形になるだろうと思う。

今後、このような炭鉱跡や鉱山跡が増えると予想される、鶴嘴屋コミュニティもできることはさせていただきますが県や市町村などからも協力があればと願います。

はい、こんにちは!
ご無沙汰しております鶴嘴屋のツルハシです。
実は、昨年末から持病の心臓疾患が悪化して毎年恒例の年末年始鉱山調査を中止いたしました。

しかし、年が明け何とか歩けるまでに回復いたしました。
昨年に山口県美祢市の旧吉部鉱業所 美祢炭鉱へ伺った時の話しだが地主さんが美祢炭鉱の事務所を
解体するとの事で看板を寄贈という話しは前回したと思います。

その時に配置図や図面、書類等も寄贈していただいた。

その中に旧東吉部鉱山の名が書かれていた。

昭和42年に作成されたものであった。

鉱種名、鉄、マンガン、ケイ石と書かれてもいる

今までわかっていなかった事がどんどんわかってきた。
現在この地に旧吉部鉱山跡が残る。

そして、年代別の航空写真でも確認、
昭和20年代、30年代、40年代と航空写真を確認したが山を触った形跡がみられない。
昭和50年代の航空写真の中で昭和56年の写真には
いきなり鉱山施設が姿を現す。

事務所や鉱員詰所、選鉱所に薄っすらではあるが
トロッコ線の軌道も確認できる。
では、現地を直接歩いてみよう。

ありました。

大切坑です。

大切坑前は、混混と坑内水が流れ出ている。

透明で綺麗な坑内水。

大切坑へ近づいてみましょう。

坑内は、シートパイル(打込矢板)で内壁を固めている。

支保工は、
レールをボルトで組合せて支えていたようだ。

資材等は、同じ県内からの炭鉱などから持ってきたものだろうか?

坑門は、400〜500mm幅でコンクリートを使用し
ている。

坑口前から選鉱所方向を見る。

こちらには、トロッコ線が選鉱所と鉱員詰所の方に敷かれていた。

さて、下の道路側へ下りてきた。

こちらが選鉱所だった場所である。

この鉄骨の建物は、昭和60年代の航空写真から写っていた。

その片隅には、選鉱所のものであるコンクリート擁壁と鉄製の階段。

鉱山の範囲は、狭いものの鉱山施設に中々資本をかけた構造だと感じた。

今回わかった事は、この鉱山も吉部鉱業所経営だったという事と操業年代は、そんなに古くないという事。

吉部鉱業所が旧美祢炭鉱の採炭を再開したのが、
昭和55年9月、前文の航空写真を見れば同じ年代位に栄えた鉱山なのかもしれないと思う。


さて…

コロナという感染症が世の中に出てきたのはいつの日だったかと考える程の年月が経ちました。

そして、ようやく昨今 コロナの感染者数が大幅に下がり、

福岡県でも一桁の感染者数となりました。

しかし、ワクチンは 3回目の接種を勧められ、
変異株が次々と出てきています。

現在は、感染予防対策とワクチン接種の効果で、
感染者数が下がっていますが油断すれば逆戻りする可能性があると思います。


そんな中で、炭鉱の特別授業が再開されました。
2年ぶりの再開です。

数校様からの依頼があり、各校様々な形で授業を
行いました。

お手紙だけの依頼や山の中の遺構を見に行くという小学校もありました。

鶴嘴屋は、炭鉱と鉱山であれば、
どのような形の授業でも受けております。



今回も変わりなく、
フィールドワーク順路の整備と安全確認を行いました。

狩猟解禁月とかぶりましたので役場との連携も大切になります。

しかし、数年間の年月というのは驚かされる事ばかりで、

林道や遺構が包み込まれるような形になっていた

外側から見れば山にしか見えない程の草木が繁茂しておりました。

そして、授業当日、
(旧新目尾炭鉱 火薬庫)

(旧新目尾炭鉱 火薬庫)

(天満宮)

今回、初の山の中の遺構を見に行くフィールドワークの風景です。

炭鉱事業所の名前が残る天満宮から山の中の排気坑道、炭鉱の火薬庫を巡り歩きました。

生徒さん達も驚きの声を上げていたといいます。

やはり、
見た事もない想像もできないような巨大な遺構を見る事は、話だけの炭鉱とうものを一気に現実味を帯びさせると思います。

想像ではない実感、です。

フィールドワークというものは大切で、
見て学ぶ物が多く残る地区はできるだけフィールドワークを授業に盛り込むことが必要だと感じます。

2年ぶりの炭鉱特別授業でしたが、
やはり、コロナの影響で一番 我慢してきたのは生徒さん達だと思います。

今回、久しぶりに生徒さん達の笑顔を見れてとても嬉しかった。