明けましておめでとうございます。
本年も変わらずよろしくお願いいたします。



住所録のデータがふっ飛んでいたことにギリギリで気がつき、悲鳴を上げながら急いで届いていた年賀状を掘り起こしたため、送れていない方がちらほらおられます。


申し訳ありません。。 
ぼちぼち元の住所録復活させます。


何が問題かと言うと、
年1回この時期しか使わないのに、
住所録ソフトとHDがいくつもあるので、
一体私は何のソフトで書いていたか
データをどこに保存していたか
すっかり忘れてしまっていることです。


あとデザインと宛名のデータの管理を違うPCで管理するのでややこしかった。。


HDDの中に保存してた大学時代の論文のために集めた資料や当時書いた文章とかを、久しぶりに掘り起こしました。


いやぁ、当時の文章、
何書いてるか全く分からん。



先生に何度も修正させられるはずです。
懐かしい思い出。


今年はどんな年にするか。




ピアノのレパートリーをまた増やしたいのと、ブラームスの全曲制覇を進めることと、
作曲をすることと、
作品解説をより濃いものにすること。


他にもたくさん。


日本舞踊は
下手な1面が表に出ないようにすること、
柔軟体操を毎日することと、
カセットをデータに興せるように機材を揃えること。


知的好奇心は
去年に引き続き落合陽一さんを追いかけること。


目標を部屋の壁に書いておこうかな。



今年もよろしくお願いいたします。


今年は本当にこの人にお世話になりました。





考える選択肢ととても狭かった視界を
広げてくれた人。


「私達とは頭が違うから」とか「生き急いでる」とかこの人を否定する考え方の人もいるけれど、
この人の考え方、生活感、仕事ぶりを見てて
普段の私はいかに考えるのを放棄してるかが改めて分かった。


それはせっかく生まれ持った頭と身体に失礼だし勿体無い。
この人のそっくり真似はできないまでも、
物事に対する考え方や、これまでの常識に疑問を常に持つスタンスは学ぶべき点だと思いました。



その上で、
まずは2年後が楽しみ。





魚が食べた過ぎて、お刺身盛り合わせ頼んじゃった。



ピアノのための12の練習曲/ドビュッシー


ドビュッシー『12の練習曲』は1915年9月30日に完成され、「ショパンの思い出」に捧げられました。


ちょうどその年、それまで健康の不調と第一次大戦への苦悩などからしばらく作曲ができていなかったドビュッシーですが、ショパンの楽譜を校訂する仕事をきっかけに、創作力を取り戻すことになりました



この練習曲では、ただ技巧を追求するための作品として作曲されているわけではないことは実際に演奏してみても分かります。



ドビュッシーのピアノの師であったマルモンテルはショパンの礼賛者でもありました。




彼が晩年にこのタイプの曲を作曲したということは、

ショパンの楽譜出版に携わることで、

彼の影響を受け、触発され、

この作品を通じて、彼自身の音楽性のあり方を見直したきっかけにしたと思われます



練習曲でありながら、運指法が指示されていないのは、ドビュッシーの意図だったと言われています。 

それは、演奏者の腕や手の構造には違いがあるため、各人に合った運指法を各自で追求していくこともまた、課題の一つになっているということです。




ショパンの場合と同様に、ドビュッシーの練習曲集も単なる技巧の錬磨のためだけのものではなく、どの曲も卓越した技術と高度な音楽性が結び付いていて、教育的な役割の練習曲の範疇に留まらない優れた芸術作品になっています。




今回演奏する第1番〈5本指のための〉には、副題として「チェルニー氏にならって」と書かれています。


何かの冗談だろうと思いました。

それはなぜか。

曲からツェルニー先生を尊敬するフレーズはほとんどないと言って良い程断片になっていて、全てドビュッシー的になっていたからです。


これをチェルニー礼賛と受け取る人は、ドビュッシーの人となりを知らない。希代の皮肉屋だった彼は、もちろん反対の意味で使っています。

ドビュッシーは「子供の領分」(1908年)でクレメンティの「グラドゥス・アド・パルナッスム」(パルナッスム山への階梯。これも練習曲)にあやかった「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」を第1番に置いています。



青年期のドビュッシーが指の練習の曲にかなり苦しめられた記憶を、この1番に収めました。



今回の1番も単純な音階、連符の断片が散りばめられているところは、所謂速弾きの練習のイメージをしていたと思います。


それが短く切られた断片であること、また和声の新しい動きという点は、副題の皮肉の通り、ツェルニー先生の否定と同時にツェルニー先生が生きた頃より進歩した音楽を表し、音楽の可能性を見せつけているのだと考えられます。


冒頭は単なるドレミファソで、「おとなしく」と但し書きがついています。

ショパンは「ハ長調はすべての指が同一平面上に乗るため非常に音がそろえにくい。」と指摘しました。

苦労している左手を尻目に、右手が茶々を入れる。そうこうしているうちにテンポはどんどん上がり、ジーグのリズムでしめくくられる。

この練習曲の中間部は、ドビュッシーがモーテ夫人を通じてショパンの秘法を伝授されていたような痕跡がある。


左手の音型はドビュッシーの専売特許の全音音階ではなく、ショパンが考案したシステムと同じ音列である。そして曲の最後は、ショパンによれば「難しい」ハ長調ではなく、「楽な」変ニ長調の音階がものすごいスピードで走り抜け、とってつけたようにハ長調の和音のゴールに到達する。


まるで全編が反チェルニー、ショパン礼賛を見ているみたい。


音楽が正しく受け継がれていて、かつドビュッシーの改良や想いが手に取る様に分かるこの曲は大好きな曲の1つです。


2/24