ちょうどその年、それまで健康の不調と第一次大戦への苦悩などからしばらく作曲ができていなかったドビュッシーですが、ショパンの楽譜を校訂する仕事をきっかけに、創作力を取り戻すことになりました。
この練習曲では、ただ技巧を追求するための作品として作曲されているわけではないことは実際に演奏してみても分かります。
ドビュッシーのピアノの師であったマルモンテルはショパンの礼賛者でもありました。
彼が晩年にこのタイプの曲を作曲したということは、
ショパンの楽譜出版に携わることで、
彼の影響を受け、触発され、
この作品を通じて、彼自身の音楽性のあり方を見直したきっかけにしたと思われます。
練習曲でありながら、運指法が指示されていないのは、ドビュッシーの意図だったと言われています。
それは、演奏者の腕や手の構造には違いがあるため、各人に合った運指法を各自で追求していくこともまた、課題の一つになっているということです。
ショパンの場合と同様に、ドビュッシーの練習曲集も単なる技巧の錬磨のためだけのものではなく、どの曲も卓越した技術と高度な音楽性が結び付いていて、教育的な役割の練習曲の範疇に留まらない優れた芸術作品になっています。
今回演奏する第1番〈5本指のための〉には、副題として「チェルニー氏にならって」と書かれています。
何かの冗談だろうと思いました。
それはなぜか。
曲からツェルニー先生を尊敬するフレーズはほとんどないと言って良い程断片になっていて、全てドビュッシー的になっていたからです。
これをチェルニー礼賛と受け取る人は、ドビュッシーの人となりを知らない。希代の皮肉屋だった彼は、もちろん反対の意味で使っています。
ドビュッシーは「子供の領分」(1908年)でクレメンティの「グラドゥス・アド・パルナッスム」(パルナッスム山への階梯。これも練習曲)にあやかった「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」を第1番に置いています。
青年期のドビュッシーが指の練習の曲にかなり苦しめられた記憶を、この1番に収めました。
今回の1番も単純な音階、連符の断片が散りばめられているところは、所謂速弾きの練習のイメージをしていたと思います。
それが短く切られた断片であること、また和声の新しい動きという点は、副題の皮肉の通り、ツェルニー先生の否定と同時にツェルニー先生が生きた頃より進歩した音楽を表し、音楽の可能性を見せつけているのだと考えられます。
冒頭は単なるドレミファソで、「おとなしく」と但し書きがついています。
ショパンは「ハ長調はすべての指が同一平面上に乗るため非常に音がそろえにくい。」と指摘しました。
苦労している左手を尻目に、右手が茶々を入れる。そうこうしているうちにテンポはどんどん上がり、ジーグのリズムでしめくくられる。
この練習曲の中間部は、ドビュッシーがモーテ夫人を通じてショパンの秘法を伝授されていたような痕跡がある。
左手の音型はドビュッシーの専売特許の全音音階ではなく、ショパンが考案したシステムと同じ音列である。そして曲の最後は、ショパンによれば「難しい」ハ長調ではなく、「楽な」変ニ長調の音階がものすごいスピードで走り抜け、とってつけたようにハ長調の和音のゴールに到達する。
まるで全編が反チェルニー、ショパン礼賛を見ているみたい。
音楽が正しく受け継がれていて、かつドビュッシーの改良や想いが手に取る様に分かるこの曲は大好きな曲の1つです。
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