こんばんは。


私は、進行性の難病で、電動車いすでの生活です。全介助に近い状況です。

また、人工呼吸器(バイパップと呼ばれる鼻マスクの人工呼吸器)を使っています。

※1全介助に近い状態は、2018年頃から

※2人工呼吸器を日常的に使うようになったのは、2023年頃から



下記は、GoogleAI を利用しました。

ししゃもの塩焼きを食べていた際、皮の硬い部分や細かな小骨が喉を刺激し、激しくむせ込んでしまいました。
気道を守るために大量の痰が湧き上がり、食後は30分近くカフアシスト(機械による排痰補助)を使い、その後なんと5時間にもわたって痰が出続ける事態になりました。常時バイパップの私にとって、激しいむせ込みと長時間の排痰は、命の危険を感じるほどの重労働です。
この様子を見た母は、激しく心配し、一言こう言いました。
「もう、ししゃもは食べさせない」
実は、ししゃものように「骨や皮が口に残るもの」は、嚥下(飲み込み)機能が低下した私のような身体にとって、元々誤嚥リスクが非常に高く、避けるべき食品です。ですから、母の「もう出さない」という決断は、私の命を守るための医学的にも極めて正しい、迅速なリスク管理でした。
ただ、ここで私が一抹の寂しさを感じてしまうのは、我が家には母の「できるだけ自分で食べさせたい」という非常に硬い方針があるからです。リスクのあるししゃもを止めるのは当然だとしても、これまでと同様に「自力で食べるのが難しくなったメニュー」が、工夫を検討されることなく、私の食卓からそのまま消えて(フェードアウトして)いく流れになるのでは、という不安があります。
今回の件から、在宅介護における医療的・介護的・QOL(生活の質)のバランスについて改めて考えてみました。

1. 医療的問題:「食材の禁止」だけで終わらせない、機能評価の必要性
危険な食材を排除することは大原則ですが、それだけで安心とは言えません。
  • 根本的な嚥下機能の再評価: 今回激しくむせたことは、ししゃもという食材の危険性だけでなく、私の「咀嚼力(噛む力)や嚥下機能自体が一段階落ちているサイン」の可能性もあります。
  • 他の食材への応用: 食材をただ禁止して終わりにするのではなく、「なぜむせたのか」を訪問看護師や言語聴覚士(ST)といったプロに報告し、おはぎの粘りや他のおかずの硬さについても改めて評価してもらうことが、本当の医療的リスク管理につながります。
2. 介護的問題:「調理の工夫」や「介助」という選択肢の欠如
家族の「自分で食べさせる」という方針が強すぎると、安全と自立の間で選択肢が極端になりがちです。
  • 「出さない」以外の選択肢: 例えば、ししゃもは無理でも、「骨や皮のない鮭のほぐし身に、とろみをつけたら自力で安全に食べられるか?」「それとも麺類のように介助が必要か?」といった前向きなステップに進みにくい現状があります。
  • 引き算ではない介護への移行: できないものを「禁止」していく引き算の介護ではなく、「形を変える」「少し手を借りる」というプロの介護・調理の知恵を取り入れる余裕が、家族のルールの中に求められています。
3. QOL(生活の質)的問題:安全と引き換えに狭まる「食の楽しみ」
命の安全が最優先なのは言うまでもありません。しかし、その結果として食卓が寂しくなっていく切なさは残ります。
  • 安全な代替メニューへの期待: 「ししゃもがダメなら、次からは安全に調理した別のお魚にしよう」というワクワク感があれば、QOLは保たれます。しかし、「むせたから終わり」という空気感になってしまうと、当事者は食事に対して萎縮してしまいます。
  • 「また一つ減る」という心理的プレッシャー: 自分の体調のせいで、家族にカフアシストの手間(30分)や心配をかけたという罪悪感があり、「またむせたら、次はこれが食べられなくなる」という緊張感が食事に混ざってしまうことが、精神的な負担になります。

結び:母の「守る優しさ」に、プロの「広げる知恵」をプラスしたい
今回の母の判断は、私を危機から救ってくれる正しい優しさでした。
ただ、進行性の病気と共に生きる中で、安全を守るために「あれもダメ、これもダメ」と選択肢を狭めていくだけでは、いつか心が折れてしまいます。
母が命の安全を守ってくれるからこそ、今度は医療や介護の専門職の知恵を借りて、「じゃあ、どういう形なら安全に、楽しく食べられるか」という足し算の工夫へ。母の方針と私のQOLが、うまく歩み寄れる介護の形を模索していきたいです。