・・・・・・今にして思えば、うちの夫は一生懸命生きている誠意あるアスペルガーだった。 家族と一緒に見ているテレビを消すのも、
① 感覚過敏や癇癪スイッチが出ることへの怖れから、人のことをかまっていられないほど自分に集中したい気持ち。
②違和感にフオーカスしてしまう特性、
③もともと人がそこにいるという存在を認識しづらい特性
と、こういうことなんだろうが、コロナ禍がはじまったときなど、どの番組を見ても夫の嫌いな2人の政治家が入れ代わり立ち代わりひっきりなしに出てきて、頻繁にチャンネルを変えていた。・・・・・アスペルガーの知識がない家族から見たら、モラハラ行為にしか受け取れない。
・・・・・・でも、夫がチャンネルを変えるのは、ほんとうにこれだけの理由だろうか? と考えてみる。 すでにあきらめて黙って合わせているわたしもかつて、そういう夫に文句を言ったことはなかっただろうか?
あっと思い当たる。夫はたしか 「あんな奴の言う事を聞いても役に立たないから、見なくてもいい」 と言ったよ。 そう、夫はいつもそれが正しいかのような正論をくっつけて、自分を正当化していた。
わたしは前の記事にさりげなく2回も書いたけれど、そこには、空気を読めない人は、空気を読んで生きている世間一般の人が馬鹿に見えるという本音が隠されているのではないだろうかと思っている。
「馬鹿に見える」とは、印象付けるためにわざと極端に書いているけど、世間一般男性脳の強い人から見れば、女性脳の強い人のことがしばしば 「どーでもいいことにごちゃごちゃ悩んでいる。意味わからん。バカだなア ハハハ。」 くらいに思うことはよくあると思う。
・・・・・で、そう思うことは決して悪いことでも恥ずかしいことでもなくて、脳の違いというだけだろう。 そしてたいていの人は、その 「バカだなア」 と思う相手の資質がどこかで役立つこともある認めているから、おたがいうまくやっていけるのだろう。
ふつうの男性脳でもそうなのだから、空気読めないタイプのアスペルガーさんなら、もっと男性脳が極端になるのではないかと思う。 「バカだなア」と感じる度合いが大きくなり、バカな人の資質が、他で役に立つということに思いが及びにくい。バカな人に正しいことを教えてやりたくなる。
そんな、めっそうもないと思うアスペルガー(空気が読めないと自覚している人)さんは、自分のほんとうの感情がわかっているのだろうか?
このタイプのASD族が世間一般の多くの人がバカだと思えるのは、自分に見えないものについてどーだこーだ言ってるのだから、そう思って当然だし、仕方がない。
でもそれが、自分のあずかり知らないところで役に立つこともあるってことは認めるべきで、相手の領分に入りすぎてはモラハラ行為になると思う。
ブログの世界にもそうした人がいる。 人の記事に違和感を感じた時、意見をするくらいにとどまればいいけれど、何度も同じような正論のコメントを送り付けてきたり、裏で傷ついた傷ついたと騒いで、記事を書いた人に罪悪感を感じさせる行為は、行き過ぎればモラハラ行為になるんじゃないか。
そもそも世間に発達障害の知識を広めようとした目的とは何か? 正しさをきわめて分類区別するためだろうか? 理解しあい共存していく目的のために、正しさはそんなに必要なの?