私と他人は別の人間である。
というのを私は定期的に確認するようにしている。そうやって自分を保つようにする。
あと、他人は私が思う程、私に興味がない。
これも同じく。
私以外の人間はみんな他人。家族といえど、別の人間。だから、私以外の人物に完全になりきることはできないし、完全に理解することはできない。
昔はこの感覚の理解が難しくてしんどかった。ほんと何がしんどいか自分で理解できなくてしんどかった。
他人に感情移入しすぎる。同時に複数人の気持ちを察知して、自分がどう振る舞うべきか考える。
私を知っている人は、人によって私に抱くイメージが結構バラバラみたいだ。どれも本当の私ではあるけれど、所属するグループや人によって、私は私を変えている。ごく自然に。
誰しもそういうところはあるだろうけど、多分私は度合いがひどい。というのは自覚している。かといって、直すのは無理だ。無意識的にやってしまうから。
いや、無意識ではないのか。第三者的な感じで、自分自身を俯瞰して見ているもう一人の自分が、「まーたその場によって、人によって変えてるよ」って、指摘しているけど、もうどうしようもない。無理なものは無理。
他人の苦しみが耐えられない。だから、その人にできれば楽になってほしい。私がしんどいから。だから、その人が楽になる空気や言葉を探す。
偽善者と叩かれたり悩んだこともあるけど、自分の為なんだからしょうがない。開き直るしかない。
大人は楽だ。関わる人をある程度自分で選択できるし、関わり方も選べる。
子どもってそのあたり大変だよね。自由が少ないかわりに守られているのだけど。
あと、ダメだったことを何度でも思い返して苦しくなってしまうけど、私のことなんて誰も興味ないわってことを思い出すと、だよね、と少し落ち着く。また思い返す瞬間がくるけど。
このめんどくさい性格を悟られないように、私は何も気にしないおおらかな人物ですよーっていう雰囲気をつくるのが上手くなった。少しずつ。自分のめんどくささは自分が一番分かってるから、なるべく人に察知されないようにしたいと思って生きている。
だから、おおらかだねって、そんな風に他人から言ってもらえると嬉しい。まるで違うけど、一番嬉しい。
なんでこんなこと書きたくなったかというと、HSCとかHSPっていう言葉が少し前から出てきて、小児科医の先生のブログを読んでいたら、そういう子について出てきたから。子どもって辛いよなって思ってしまった。
私は少しずつ少しずつ、自分で自分と上手く付き合えるようになって、今わりと楽だけど、子ども時代はそれなりに苦労したよなって。この性質だけじゃなくて、他の性質(ASDっぽさ)とか家庭環境とかも関係あるだろうけど。
我が子も少し自分と似た傾向があって、でもだからといって、私と同一人物ではないのだから、全く同じ行動・感情なんてことはない。事実、私の理解のはるか上をいく行動を、子どもはするし。疲れるけど、面白くもあるよね。疲れるけど。
自分の子にはいらない苦しみは味わわせたくない。その思いが強すぎる気がして、ちょっと都度都度、ちゃんと自制しなきゃな。なんなら我が子だけじゃなくてどの子どもも、生きやすいといいなと願い過ぎてる。
自分の中で思うのは自由だけど、私の外に出すのはまた違うよな。気をつけないと。
ただ、助けを感じたら、助けを求められたら、手をさしのべられる大人にはなりたい。