ご挨拶遅れまして申し訳ございません。
昨年は大変お世話になりました。村越麻菜です。
本年は初月から大変冷える気温となっておりますが
ご体調いかがお過ごしでしょうか。
辞めて1年が経過しようとしております。
ふと会社のことを思い出し恋し寂しくなる時がございます。
おかげ様で、息子も2歳となり元気に過ごしております。
地元でパート勤務として過ごしております。
町工場の事務として毎日同じ作業をしております。
仕事で言えば普通不変な人生となりました。
「目配り」「気配り」「心配り」は念頭に努めておりますが、
パートなのに良い意味で悪目立ちしております(笑)
育てて頂き、感謝をしております。
自分のことをずらずらと失礼いたしました。
皆様の顔を思い浮かべながら日々、奮闘しております。
会長、聡子さんお元気でしょうか。
社長もご多忙と事と存じ、書面にて大変失礼致します。
今後も遠くから、石田工務店の成長を心よりお祈りしております。
朝
いつも通り会社へ行く支度をする私。
いつもと何も変わりのない朝
またいつもと変わらぬ一日が始まる
と思っていた。
携帯が鳴った。妹からだった。
こんな朝早くからかかって来たことはない。
いつもと変わらぬ日々が少しだけずれた音が聞こえた
電話の向こうの妹は泣いていた
妹は、喋るのも困難かと思える荒い呼吸を
一瞬だけ整え一言私に伝えた。
「じいじが死んじゃう」
再び妹の鳴き声は響いた。
それを聞いたとき心が一瞬硬直した。
しかし何故かその硬直はすぐに溶けた。
「きっと大丈夫。」と思ったからだ。
祖父は何度か危篤状態になり、
私はその度駆けつけ、大泣きをした。
でも何日かするとケロッとした顔の祖父がいた
だから私には核心があった大丈夫だと。
「なにかあったら連絡して。すぐ帰る」
そう言って私は、会社へと向かった。
いつも通りの日常から少しずれた思いを抱き
いつもと同じバスに乗った。
会社のバス停に降りた時母からメールが来た。
「死んじゃった」
このメールを見た直後の記憶があまりない。
ただ夢中で母に電話をいれた。
「だめだった。死んじゃった」
と電話越しの母が泣いた。
私の人生で一番悲しかった事。
高校を落ちて地元から離れた高校に通うことになったこと
一番苦痛で一番痛い悲しい記憶
だった。
今。その時の悲しさの何倍以上もの感情が私にぶつかった
きっと沢山溢れた涙でさえ
その感情とイコールにならなかった
私が病院についた頃
祖父は検視を受けていて顔さえ見ることが出来なかった
待合室はたくさんの親族がいた。
皆の赤く腫れた目が現実を物語る
それを見てまた涙したが
いつになっても実感は沸かなかった
今日が現実なのかさえも区別がつかなかった
祖父に最後にあったのは祖父が亡くなる3日前
夜遅かった為、たくさんという程の話もしなかった
私が「おやすみ。またくるね」
祖父は「おやすみ」とだけ応えた
それが祖父と交わした最期の言葉だった
その次の日祖父に手を振り会社へと出勤した。
どんな顔していたのか覚えていない。
それが祖父の生きている最期に見る顔
だなんて思いもしなかったから
今目の前にいる祖父は眠っている
安らかな顔で。
いつもと同じ日常。
そう感じる自分は大事なものをまた一つ見逃していて
限りなく少ない大事な時間をまた削ってく





