同じ美を売りにする仕事でも、モデルと女優と言うのは、違うものと感じた話。
これもまた、とある会社役員から聞いたもの。たいした裏話じゃないのでごめんなさい。
とある広告の立会いにて、今をときめく森泉ちゃんと、1日一緒だったとか。
もうそれはそれは美しくて。お人形さんのようだったと、自慢話は鼻息荒く1時間。
「でも、彼女ってさ。なんかキャラがない。個性が全くない真っ白い感じなんだよ。」
聞けば、眼前にいる間はその煌くオーラに惹き付けられるものの。
一度離れると、何の印象もイメージも残らないんだとか。
「gluの方が、よっぽどキャラがたってて、個性強いよ。ははは」
当たり前です。ワールドクラスの美と背景を備えた彼女には、強い個性は必要ないんです。
そこにいるだけで、美は万国共通。同じ土俵に上がっていないわけですから。
まあ、そんな彼女の裏話をいくつか伺ったのですが
それは、優等生的というのか。あまり面白くない(失礼)ので割愛。
ただ、ひとつ。
「人に気を遣わないというか、周りを巻き込むパワーはないんだよね」とおっしゃるので
「それは、モデルさんだからでしょう。個性が強いと、仕事にならないのでは?
モデルは、個性の強いデザイナーと着衣の雰囲気に馴染まなくてはならないから」
以前は数多くシューティングも見ましたが、規格外のモデルは選ばれない=食いっぱぐれる。
身を包む着衣を美しく見せる職業ですから。用意された着衣、イメージに合うモデルを探すわけで。
ランウェイの常連クラスになれば話は別だが。そこに昇り詰めるためには、
まず"モデルサイズ"に合う体であることは最低必須条件。あくまでその枠内での個性を求められている。
極論を言ってしまえば。キャラの立ったモデルと言うのは、ケイトやナオミクラスになってしまうわけで。
みんな、枠の中に収まるようになっている。
モデルの仕事は、必要以上の自己主張や人格は求められていないんじゃないですか。と言うことになった。
続いて、じゃ、女優はどうなんだと言うことで談義。
ただ今ヘビロテOA中のCM 。PricelessなCMの立会いもあったそうで、その時の話にシフト。
さんまさん元妻、大竹しのぶさんが、娘とNYのJazzBarにてプライスレスな体験をするもの。
モデルと比較すると。女優は、その役柄と人となりを最上に演出する職業。
人間性や人格がないと、仕事にならないのでは。
しのぶさんというのは非常にチャーミングな方で
とりたてて美人なわけでも、スタイルがよい訳でも、もちろん、お若いわけでもないけれど。
その場に居合わせる者全てを引き込む独特の空気感があるのだとか。
そして、このCMに関しては。共演者は若いお嬢さんなので問題はないそうであるのだが
ラブシーンがあったり、恋人、夫婦の設定の相手のことを。本当に、愛してしまうんだそう。
役に入りきってしまい、公私の切り分けができないのが、お悩みだとか。
その不器用さが悩みなの。
そう、こぼしていたとか。
CMを観た時も、なんとなくあったかいような気がした。
もちろん、一流の女優さんであるから演技であることには間違いが無いのだが
「あの女の子は、いまるちゃんじゃ、無いんですよね?」思わず、聞いてしまうような自然さがあった。
そして、全く別の知人から。彼女の元夫の話を聞いたことがある。
かなり、公私の区別線引きをしている人だと。メディアの姿と実際は、かなりギャップがあると。
なんとなく、うまくいかなかった男女の姿を垣間見たような気がした。
私はもちろん、その辺に転がる石ころ。市井の一般人であるが。
なんとなく、分かるような気がしてしまった。
目の前の役を演じきってしまう。目の前の相手を愛してしまう女。
だからこそ、可愛らしく。あたたかみのある女優さんであるのだが。ちょっぴり淋しげ。
遠い存在であるのにもかかわらず。ちょっとだけ、身近に感じてしまった夜である。
いつも言っていること。人生、舞台です。主演=私。助演女優になってはいけません。
そして、舞台は本番一回勝負。リハーサルも、TAKE2もありません。
だから、いつでも全力投球。なんですがね。
いったい、いつになったら幸せに満ちた一幕を演じる日が来るんだろうか。
一人舞台ではなく、相手とハッピーエンドで緞帳が下りる日は、来るんだろうか。
出会いを生んだ、うたかたの恋愛ツアー代:¥250,000.-
嬉々として使用したマイル:65,000.-
甘い時を享受した国際電話2か月分:¥140,000.-
再会のデートのために買ったワンピースとランジェリー:¥50,000.-
ヘアサロンとエステ代:¥30,000.-
きらきらした夢のような日々。愛した人とビタースウィートな想い出。再認識した大切な仲間。
ちょっぴり大人になった自分と、見つけた新しい夢。
:Priceless!