**この文章は、1ヶ月前に書いてupしていなかったものです**



先日、NYの某テーマパーク料理店で話していたことなのだが。

人間の脳には、「単純接触の法則」というものがある。


要は、視覚的に接触回数のより多いものを、脳に印象として深く刷り込む。

CM等で用いられるサブリミナルと同じ。簡単に言ってしまえば、会ったもん勝ち。


とある実験で、椅子に座らせた男性被験者に対し、初対面の女性の写真を5枚用意する。

それぞれ1枚ずつ、カーテンの閉ざされたブースに入れ、端から順に、A,B,C,D,Eとしよう。


1秒ずつ。要はブースの中をよく確認しえない時間のみ、ランダムに、カーテンを開閉する。

ただし、回数はそれぞれ差異があり。Aから順に10、2、8、6、4回だったとしよう。


試験後に男性に、「どの女性がもっとも好印象ですか?」と問うと

決まって、最も回数の多い女性を選ぶそうである。

これは、同様に別の女性を並べても同じ結果で

3秒ないし5秒程度、顔の識別がつく長さの開閉をした際に選ぶ女性と、

識別がつかぬ長さで開閉をした際では、選ぶ相手が違う。

識別がつかぬ際には、露出回数の多い女性を決まって選ぶそうである。


単純に接触回数の多い人ものに、愛着をもち好感を抱くということ。


遠くの本命より、近くのセカンド。

身近な人に恋心を抱くということは、きわめて自然なことであるということです。



そんなことを予備知識として。本題。


先日、辛い恋を終わらせた方から、メールをいただいた。

私も、三十路も中盤に差し掛かろうとするのに、まだ独り身でいるということは。

それは、辛い恋を幾度となく経験しているわけでございます。


傷ついた心を癒す、一般的な女子的処方箋としては


尽きるまで話す

枯れるまで泣く

食べる

飲む

買う


多々方法はございますが、やはり特効薬は新しい恋。

データをデリートできない場合には、上書きしないと、前の文章は消えないというわけです。


別れた男を考える時間 < 新しい男を想う時間


となった時、傷ついた心は、また次のエナジーを蓄え新しい苦難の旅へと、否、幸せへの道を歩むのです。


雰囲気に流されると、小姑にも言われた私でございますが

気になる男が2人並列する際。軍配が上がるのは、やはり連絡がまめな男。単純接触です。


ふと、吊れない男が気になったりもしますが

根がめんどくさがり故、どう考えても接触回数が多いほうが優位。

毎日毎日電話をくれる相手がいると、なんとなく、気持ちがハッピーになったりするものです。

これにも、理由があります。メールではなく電話。あるいは手紙。これが大事。

五官のうち、視覚は常に新しいものが飛び込んでくる。常に刷新されているため、

今目の前にいる人と離れた数分後、その人の顔を精緻に思い出すことは、非常に困難。


よって、単純に接触回数が多いほうが優位性があるのだと思う。


対して聴覚や嗅覚は、違う。すべての音を拾ったり、認識しているわけではない。

脳の深部に刷り込まれ刷新のスピードが遅い。


ゆえに、声や、相手を彷彿とする香りに触れた瞬間、

それは鮮やかに記憶を呼び覚まし、相手を強く想い出させるのだ。

恋人と同じ香りとすれ違ったりすると、つい振り返ってしまうのは、この作用である。

女子に限定して言及するならば、これは肉体的にも接触回数が優位であるそうで。

毎回記憶がリセットされる男子と違い、女子は行為の記憶がリフレッシュされない。

女性は性交渉の記憶を肉体と脳幹に蓄えるが、男性は常にその瞬間がピーク(と聞きました)ゆえ、

肉体的にも接触回数の多い相手に体は追従し、バイオリズムが合うようになっているとか。

きっとこれは、男は数多く種を捲き、女は子を産み護る本能欲求にも由来するのであろう。


これについては、またいずれ。


失恋は、新しい恋で。男の傷は、男で癒せとはよく言ったものだ。

しかし、恐るべし単純接触。


~ここから余談~

個人的には、肉体の接触は、必ず性交渉を指すのではないと考える。

逆に。一晩中、一日中、そっとその大きな手と、広い背中でただ頭を撫で抱きしめてくれる人は、

情熱と憔悴と喪失を伴うセックスとセックスの間を繋ぐ、中和剤とでも言うのか。

上書きはできずとも、イコライザー。何より信頼しえる、かけがえのない相手なのではないかと思う。



ちなみに、私にとって、兄はそんな人である。そんなあったかい時間を過ごした、NYの夜。

今までも、きっとこれからも。ずっとこうやって男と女ではなく、もっとも大切な人として

彼は、ずっとそこに在り続け、誰よりも私を想い、守ってくれるのだと思う。。

誰にも変えがたく、誰よりも大切な人であると思った。



ふと。ふと気づく。

Bのことを、あまり考えなくなった。

もちろん、彼を忘れることはできず、折々で彷彿とすること、話題に上ることもあるわけだが

それでも、節分を過ぎ。何かひとつ、過去のものとして客観視できるようになったと思う。


NYで、Bの友人と会った。暖かいその雰囲気に引っ張られ、自分の話をした。


すべては過去のこと。でも、すべては消えないことだから。