NYに着き、久々に会う兄と友人N。
2人とも、2年ぶり。気づけば10年以上付き合いになるが、大好きな2人。
でも、なぜかいつも会っているような気がするねと話しながら。
Nのベイビー、可愛いダックスのqooを連れ、初日はとアパートの周辺、chalseaをぷらぷらと。
思ったより寒くないので、さらに兄の住むnolita周辺まで移動。
私が以前見ていた、いわゆるところのmidtownとでも言えばいいのか、
"ざ。にゅーよーく"と言うのか。グラセンやロックフェラー。昔のイメージをとどめる北側と違い、
あまたの軒を連ねるブランドショップ。midtown南側は、とてもイマドキだなあと感じる。
さらにそのまま歩き、チャイナタウンへ。疲れた身体に優しく沁み入るお粥(porridge)をランチに。
時差ボケもあり、みんな金曜それぞれが飲み過ぎということもあり。
うだうだモード。chelseaのアパートに戻り、だらだらコーヒーを飲みつつ犬と戯れる。
早めの夕食を食べに、korean gardenへ。途中、なつかしいFITを通る。
以前はちょっと恐くて、1本路を間違えて入った28thは恐くて足早に抜けものだったが、
今はとっても明るくなっていて、もはや路上で飲んでいるおっさんなどいなく。変化にただ驚いた。
昔話に花を咲かせつつ、皆の近況を話す。焼酎を飲んだら、眠くて仕方なくなって来た。
そんなわたしを気遣い、21時には解散。家まで送ってもらう。
夜の冷たい風の中、家主は私をゆっくり休ませようとの気遣い、彼の家に泊まりに行くとのこと。
ありがとう。
送ってもらう道すがら、歩きながら兄と話す。
犬を連れ、信号を走っていくNの後ろ姿は。すっかり、この街の住人。
フリーランスの写真家として、ワーキングビザを取った時にも驚いたものだが。
もはや、兄よりも街に詳しく、頼りになり頼もしくなったねと。2人で見送った。
そう。この2人。
実は以前はカップルだった。
兄は、私が以前携わっていたフットボールチームの選手だった。
その彼と付合っていた当時、7年程前だろうか。
NYに赴任となった兄を追いかけ、当時OLだったNは、単身NYへとやってきたのだった。
言葉を話すこともできず、何も所属を持たず。ただ、彼を追った可愛い女の子だった。
いつしかこの街で暮らすうちに、彼女は時間潰しにと写真を始めた。
半年も経たぬうちに、あっという間に写真を学ぶための学校へと入り、我々の度肝を抜いた。
そして、その2年後。彼女は首席で卒業し、見事この街で働く資格を得た。
その頃、兄は既に日本へ帰任が決まり。NはNYに単身残った。兄の元から飛び立って行った。
私は、兄より優しく懐の広い男性に出逢ったことは、未だかつてない。
そんな彼だから。誰よりもNを応援し、手放したんだと思う。
そして、Nはとても純粋で、頭が良い女の子だ。
知り合った当時、22、3歳だっただろうか。
日本でNの周囲に居た女の子達は、いわゆる、”私たちって、お嬢さんなのよ”と
全身でアピールしていたように感じたが、その頃から仲間の女の子達とは、ちょっと毛色が違った。
もちろん、何が違うって。
ひとつは、Nはとびきり美人ちゃんだった。
透き通る白い肌、長い睫、欧米人モデルのような鼻筋。
そして、よく動く透き通ったその瞳。
話していて思わず惹き込まれ、じっと見入ってしまう程に、美しい女の子だった。
私の当時の彼とじゃれている姿をみるたび、"絶対惚れる"と、一抹の不安を感じたものである。
そして、やんちゃだった。
私たちはよく一緒に雪山に遊びに行き、ボードに興じた。飲んでは騒いだ。
そのたびに、夜通し良く話したものだが。
彼女は純粋で、思い悩み、夢を語り。そして昼間見せる顔と違う一面を見せた。
その当時からわたしは、彼女の大ファンであったわけだが。
久々に会った彼女は、ますますその輝きを増していた。
兄は、どんな想いで再びこの街に舞い戻り、今度は別の家で、同じ街に暮らすのだろう。
そんなことを思いながら、兄とアパートのドアの前で別れた。
誰よりも私を気遣い護ってくれ、そして叱ってくれるこの2人のいる、この、大好きな街。
憔悴しきった私が、真っ先に選んだ来訪地。
きっとこの2人から、あったかく穏やかな気持ちをもらえることを、わかっていたんだと思う。
この2人の恋物語が、いったいどこに向かうのかわからない。
もう、その2本の線が交わることはないのかもしれない。
それでも、きっと支え合い尊敬し合う2人をうらやましく眩しく思いつつ、私は深い眠りに落ちて行った。