ゴルフ部時代の親友R子に子供が生まれた。

別の友人と連れ立ち、早速べびちゃんと対面することに。目黒駅にて待ち合わせ。


出産にあたり、彼女は今実家に隣接する、ご両親が建てたマンションに住んでいる。


大学時代、何度も通った彼女の家。老舗のお菓子屋さん。

練習の後、私とR子とNの3人で、よく彼女の家で呆れるほどたくさんのお菓子をご馳走になったものだ。


およそ10年ぶりに訪れる彼女の家は、何も変わらず静かな佇まいだった。




実は、予定日はまだ2ヶ月も先。予定日よりかなり早く生まれたとの一報をもらっていたものの

その後、名前も、写真も何一つ連絡はなく。何かあったのではないかと、内心とても心配していた。


某IT企業にて財務をしている彼女。慌しく最終出社日を迎え、部下に見送られ産休へと入った。

その足で愛育へと向かい、定期検診を受けると

中毒症で絶対安静。即入院、帝王切開と言い渡されたそうだ。


しかし、母子ともに漸く退院し、実家で元気に育っていると聞き。早速、会いたくて遊びに行く。


玄関を元気に開けてくれたR子。少し痩せたように思う。

聞くと、なんと8ヶ月で15キロも太ったとか。そりゃ、中毒症になるよな。

しかし、出産3週間であっという間に10キロ痩せたとか。聞いて驚愕。


そう言えばこのR子。4姉妹の次女。学生時代からかなりのマイペースだったことを思い出す。


笑いの逸話を数々持つ女である。



冷蔵庫、洗濯機、加湿器、空気清浄機・・・。

初孫を手放しで喜ぶじいじ(お父様)が揃えた、新しい家財道具に囲まれたベビは男の子。

とても元気で、1500g足らずで産まれたとは思えないほど大きく。既に3800g。

とても大人しいが、保育器に1ヶ月入っていたため母乳が上手く吸えないのが悩みだとか。



しかし、彼女は逞しい。


「バウンサーが好きなの」と言って。ベビを載せ、かなり激しくスィング。見ているこちらがはらはらするくらい。

腰の悪いR、急に重くなったベビが重たくて重たくて、抱くのが限界と言っていたためか。

抱いていても、首が取れちゃうんじゃないかと思うくらいのずり落ち加減。

抱かせてもらうと、周りがみな「安定感があるね。慣れてるね。gluがお母さんみたい」

と言ったほどである。


車で出かけることになり。

これまたじいじが買ってくれた新しいベンツに乗せる時も。

・・・ちょっと、着せすぎじゃない?と思うような気ぐるみ。

着膨れでベビーシートのベルトが嵌らない。

それでも、「えい、えい、えいっ」

「ちょっときついかな?ま、短いから我慢ね♪」

そう言って力ずくでベルトを締めた。

後部座席に乗った私はそっと、ベルトを緩め、

着ぐるみに埋まった顔を出しておいた。


一向に意に介す素振りは無い。

一人目の赤ちゃんであるにもかかわらず、なんとも肝っ玉の据わったお母さんであることに心底感心。尊敬すら覚えた。


そう。そうなのだ。

いくら子供の扱いに慣れていても。手際よくオムツを変えたり抱いたりできても。

私は、お母さんじゃない。

私には、母親になる資格がないのだった。おっぱいをあげることはできないのだ。

いくら上手に抱いてあやしても。抱いているのは、自分の子供ではなく、他人の子供。


なぜ、私にはべびがいないんだろう。この手に自分の子を抱くことができないんだろう。

こんなに、子供が好きなのにな。


ふと、自分だけが幸せの一角から取り残されたような、寂しさと寂寥感を感じた。


出産も一段楽し。ご主人が1分1秒でも長く子供の傍にいたいから、と

実家を出て、ガーデンプレイスかヒルズに引っ越そうかと思っていると話していた。なんていいパパ。

可愛いベビ、子煩悩で愛妻家の旦那、優しいご両親。順調な仕事。絵に描いたような幸せ。

一点の曇りもない晴れやかな生活。Rがとても眩しく見えた。

もう一人同行した友人も、新婚1ヶ月。披露宴でなぜか号泣した私。

友人の結婚も、Rの出産も、心から嬉しかったし、躊躇いなくおめでとうと言葉が出た。

羨ましいと、いい目標になってくれている。幸せオーラを分けてもらえる気がする。

友人って、いいものだなと思う。


幸せの渦中にいた彼女たちには、私の細かい状況を話さなかったが。

彼女たちも、それぞれ大変な時期があったことを、ふと思い出した。


Rも、新婚当初。社内結婚だったご主人、彼女双方が会社を離れ仕事を辞めた。

彼女はすぐに次が見つかったが、ご主人が1年次が見つからなかった。

それまで、高給取りだった共働き夫婦のゴージャスな生活が、一気に彼女の細い肩に圧し掛かった。


R一人で働き、40万の家賃を払い、ご主人に食べさせ、面接に行く経費を渡していた。

ご両親に話せば、反対され離婚させられると、黙って1年間、ひとりで耐えた。

結局、彼女が復帰依頼に応え、元の職場へ戻る条件に、ご主人も引っ張ってもらい終幕。

憔悴しきっていた彼女の姿も、今は笑って話のネタにできる。


今のRだけを切り取ったら、何と甘く、恵まれ幸せなのだと思う人は多いだろう。

でも、彼女が誰よりも苦労したことを、私は知っている。

だから、今があるのだと思う。


それは、新婚の友人も同じ。

5年経っても結婚に踏み切らない彼。業を煮やし彼女が全てをドライブし、ようやく結婚に結び付けた。


要は。

少し幸せじゃない瞬間、満たされない瞬間も、自らの力で幸せに繋げるドライブ力のある彼女たち。

幸せになる資格があるのだ。私も見習わないとな、と思う。


意地を張り、無理をしなくても、いいように。可愛く、甘えられるように。少しは、弱さを見せられるように。

それは、私を恋人から母に変え、結果してうまくいかなくなってしまう敗因。

何も無理をして分別のあるふりをすることは無いのだ。素直に、想いを相手にぶつけられるように。


いつか、母になれる日を、幸せのうちに迎えられるために。


私に、その日が来るのか。その想いが届く日が来るのか。今は、まだ一寸先も見えないけれど。