クリティカル・シンキング。自分について自問自答、考えてみました。わが身の振り返り。


お別れした彼、B男さん、J氏。その関係と想いを整理するために。ひとつずつ、紐解きをいたしましょう。

ただし、この振り返り。相当みっともなく酷い私の四半世紀振り返りです。

同じような体験、共感を覚えてくださる方のみならず、ご立腹なさる方もいらっしゃるでしょう。

忌憚ない、個人の振り返りです。その辺り、ご承知置きくださいね。不愉快な方は、読み飛ばしてくださいませ。


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本日は、第一回。私の恋愛観の変遷について。


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まず、独白いたしますと。私お恥ずかしながら、

所謂ところの"どうしようもない女"だったのであります。

幼少の頃、私はちょっとかわいい子だったので、

街を歩けばスカウトや盗撮(?!)をされることしばしば。

TV雑誌等のメディアに露出したり、ナルシスティックなダメ女街道をまっしぐら。

厳しい学校に通っていたことと、ごくコンサバティブな両親の元に生まれ育ったのが幸いし、

泡の世界からあっという間に市井の人(笑)となりましたが、それでも、ちやほや傲慢人生が続くのです。



そんなわけで、なんとも低俗下品なものとも気づかず。

学生時代、男性に甘やかされること、愛されることは当然だと思っている節がありました。

懐かしの「アッシー車」「メッシーナイフとフォーク」「本命ドキドキ」「大蔵省王冠1」「知恵蔵メモ」等々。男は、用途で使い分け。

フタマタミマタなどは、罪悪感のかけらもなく、自己弁護の詭弁を放っていたわけです。


そりゃあもう、ひどいものでした。


新車audiで現れた男子に、「この車キライ。あっちがいいわ」とSAABを指差し、結果買換えさせてしまったり。

免許を持っていなかった私。7時から始まる練習場まで、荷物が大きいので、ほぼ連日送っていただくのも習慣。

また、当時、部活の朝練がハードだった私。車に乗ると、彼らは即、私のシートを倒してくださいます。

そう、私は目的地に到着するまで、そこで仮眠を取る習慣がありました。


ある時は、男の子「何が食べたい?」女の子「。。。何も。強いてあげるならソフトクリーム」と言って夢の世界へ。

目覚めると、そこは清里。次の予定に!門限に間に合わない!!と烈火のごとく叱咤したことも。最悪ですね。


そんなわけで。私を取り巻く男性は、自分を好きで当然だと思っていた寒い過去があります。

なんという、馬鹿女だったんでしょう。みなさま、今まで隠蔽していてごめんなさい。



前置きが長くなりましたね。

さて、そんな空恐ろしい過去から脱却、したはずの私ですが、やはりその後もこんなことを言って憚らずした過去が。



「肉体と精神は乖離することもある」


 体の相性が悪いが、愛する男。肉体的欲求は満足だが、心許せぬ男。話題は面白いが、恋愛対象にならぬ男。

 これらは、並立、同時進行することで、個々と自らのストレスを軽減し、潤滑油としよう、と考えたり、



「美を保つためには、緊張感が必要である。これ即ち、日々是恋愛推奨」


 愛情が生活に変わった時、人は緊張感を失い、幻滅、衰退が始まります。

 スウェットで一日過ごしたり、髪型肌艶、ボディラインに無頓着になったら、フェロモンの分泌は減少します。

 よって自らに緊張感を課し、いつも潤み目ばら色の頬、細い腰を保つためには、恋愛が必要なのです(極論)。

 恋は、実らぬものでなくてはならず、リスクの少ないものでなくてはなりません。

 ですから、身近かつ実らぬ恋の種蒔きを、日々欠かさぬようにしましょう。



等、数々のおバカ発言を繰り返してきたわけです。


しかし、元来不器用な私。しかも嘘のつけない体質。いくつものお付き合いをパラレルで動かすことは到底無理。

ストーカーに遭ったり、元彼女に逆恨みを買ったり。垣間見るだけの母にも「いつか、刺されるわよ」と言われる始末。


さらには、自ら招いたことですが。

自らの気持ちを捻じ曲げ、手の内を見せない。「好き」と悟られたら、言ったら負け!と信じていたような。


これが、恋愛・幸せ不感症に至る恐ろしい導火線であることなど、当時は知る由もなく。


そして、25歳。切れ目なく彼氏を作り続けた後(リレーのバトンエリアの如し、リードタイムがありましたから汗)。

今の私の原点を形成した彼と、お付き合いを始めました。これが、元婚約者です。

実は、その前に彼の友人とお付き合いをしておりましたので、彼とも数年前から友人として親しくしていました。

その前の彼(マザコン君)とお別れした際、一番近くで支えてくれたのが、この元婚約者だったのです。

マザコン君の、元彼女(結局元鞘に戻ったのですが)から激しいストーキングと嫌がらせが続き、

すっかり疲れていた私の気持ちを、そっと傍らで支え続け、丁寧に解きほぐしてくれたのです。

私は、長いこと元婚約者を友人以上には感じ得ず、何度も、何度も求愛を断り続けました。およそ1年近く。

それでも変わらず愛情を湛えてくれた元婚約者に心を打たれ、お付き合いを始めました。


この期間、この彼に、私は人を愛すること。愛情を惜しまず表現することの楽しさを教えてもらったように思います。



その後、29歳。既に双方の両親も親交を深め、互いの実家を行き来するようになっていた時。

2人は結婚へすることを決めました。

いつも共に過ごし、双生児のように気持ちを共有し。互いの機微すら、手に取るようにわかる2人となった頃。

それは、2人が歩んできた道の先に、当然のように辿り着く場のように思えました。


両親・友人から見ても、私たちは仲睦まじく、あったかいカップルだったのです。


しかし、結婚式の具体的な準備を始めた頃。

元婚約者の転職が訪れました。これは、私の両親に結婚の挨拶をした際、

収入があまりに少ない彼に、父が苦言を呈したことが契機だったと後日知りました。


ここから、私たちのすれ違いは始まってしまったのです。


正直、当時は私もあまりに薄給な彼の収入だけで暮らせる自信も覚悟もなく。

私が仕事を辞めたら、食べることすら危うい彼の状況に不安を感じることがありました。

結婚するからには、母になることを望む私には、絶望的な状況のように感じてしまったのです。


今は、お金を得る手段など、いかようにもなると思いますけれどね。甘かったんです。

どっかりとおんぶして頂き、指揮をとりつつ幸せゴールまで連れて行ってもらおうと思っていたのかもしれない。



結果、その半年後。

彼は、都心にマンションを所有し、お料理上手で心身共に母親のような女性に惹かれ、私から去ったのです。


そして、結婚目前にして婚約破棄。しかも、浮気とフタマタ。もしそ訴訟になれば、彼に勝ち目はありません。

彼を追い込んだわけでも、非難したわけでもないのですが、自らの輝く未来に曇りを残したくなかったのか。

その彼が採った方策は、私の人格を全否定すること。私の、家族も。

生命の危機を感じるところまで追い詰められたものは、生物学的にも、捨て身の反撃に出るのは当然。


そこから、真の私の恋愛地獄が始まりました。



当時の私は、元婚約者と過ごす時間が、ほぼ生活のすべてになってしまっていました。


そこに、ぽっかりと、抜けた穴。

なにも、ない。


街中で、日常で起きた面白いこと、悲しいこと、腹を立てたこと。共有する人がいない。


そして、その悲嘆にくれる日々において、私に降りかかるWパンチ。

当時、自転車通勤をしていた私。まだようやく暗くなりかけた時刻の自宅付近で、暴漢に襲われたのです。


不幸中の幸い、ちょうど犬の散歩で通りかかった親切な方が助けてくださったため、大事に至ることはなく。


しかし、男性不審のみならず。人間不信。対人恐怖症。

表に出ることすら、できなくなってしまいました。


日々、Amazonで10冊本を買い、一睡もせず、一食もとらず、自室で本を読み続ける。

家族は、どれほど心を痛めたことでしょう。


今振り返ると、これまでの自分のKarma。天誅なのだと思いますが、当時は本当につらかった。


その孤独と不安の淵に落ちた時、周囲がほんとうにあったかい愛情で包んでくれたから、今があるんです。


いつも眠れるまで傍にいて、何も言わずに旅に連れて行ってくれたり、話を聞いてくれた家族。

姉、母、父、弟。叔父、叔母。


そして、私を愛して、求めていると言って。送り迎えをしてまで、連れ出してくれた大切な友人たち。

兄、妹、Yuka、taeco、Nori、Mie。chica。Tom。Tina。みんな。


環境と人に対する感謝、今まで素直に言えなかった「ありがとう」に気づいたのです。


「そんなの、当たり前。だって、私だって努力してるもん」→「ありがとう」となったのです。



しかし、それだけでは私はまだ歩き始めることができませんでした。


彼に言われた「お前は、ダメなやつだ」

その一言を、乗り越えなくてはならなかったから。


まずは、「やりたい」と思っていたことを片っ端から片付けることにしました。

免許、サーフィン、旅行、そして、転職。


当時の私は、製作業=自由業だったため、自分の時間が持てました。結婚するなら、ちょうどいいと思っていたのです。

でも、自分の足で立って歩いてゆくために十分な収入と、安定した立場は保証されていませんでした。



空っぽ、身一つになった私にできることは。

日々感謝をし、がむしゃらに努力をすることだけ。



そう思った矢先。最も信頼して、助けられていた姉親子は海外へ。そして、母が突然病に倒れました。

父は、折りしも仕事で重要な局面にあり、海外。弟は、目前に受験を控えてナーバスに。


またも、私の眼前には大きな障壁。

当時の仕事を辞め、一人で、日々憔悴し悪化してゆく母の病床に就き、介護をするしかなく。

まだまだ、人にやさしくなれず、余裕がなく、甘えた自分を、否応なしに気づかされることとなりました。


幸いにも、母は奇跡的な回復を見せ、生命の危機から脱すると、驚異的な快方に向かいました。


この時、両親の存在と愛情の大きさをひたひたと感じ。側にいて、可能な限り感謝を伝えていこうと思いました。



愛情とは、与えられて当然ではありません。

でも、与えるのは至極当然の成り行き。溢れ出る筆舌に尽くせないものなのだと。


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ふー。すっかり長くなりましたね。延々とお付き合いいただき、ありがとうございます。



その後、転職をし、超仕事人間。アーンド、自暴自棄となった30歳を経て。

2年以上のブランクの後に出会ったのが、J氏、B男、元彼の3人なのです。


次回は、この恋愛を振り返りしましょう・・・。