邪馬台国の位置について、仲の悪かったという南の隣国の狗奴国から考えてみました
以下
狗奴国は関東説から考えました
狗奴国は毛野という説があります
毛野は今の群馬県霞ヶ浦まであたりです
その北に邪馬台国があるとすると
霞ヶ浦を挟んで南北の両岸だったのではと推測
邪馬台国と狗奴国が争う原因は
霞ヶ浦の運航権や漁業権、
ヒスイや金銀などの資源ではないかと考えました
やがて、西から倭王権が侵攻
邪馬台国と狗奴国は倭王権の仲立ちで和議を結び
ともに倭王権の支配下に服従し、
倭王権の出先機関として
邪馬台国に鹿島神宮、
狗奴国に香取神宮がそれぞれ
建立されたのではという仮説。^^;
倭王権はおそらく対立する相手をインクルードするというか丸め込むために相手を徹底的に持ち上げ祀りあげる戦略をとっていて、その上で実権を掌握して国政の安定化に成功していたと見られます
なので九州熊本のヤマト町に最初に立てた
幣立神宮もヤマトタケルのクマソ国の平定後だったのかもしれません
出雲には大社を建立、神の集う国とし、関東には鹿島神宮と香取神宮を建立、卑弥呼女王を大和に連れてきてアマテラス大神として伊勢神宮に祀ったのかも…
という妄想でした。
ところで
卑弥呼には一緒に邪馬台国を統治していた弟がいます。
彼はどう処遇されたのか?
もしかすると倭王権に連れ去られた姉を奪還する為に反乱軍を組織したかもしれません。
任那の日本府へ渡りあわよくば倭王権を倒そうとする新羅の人々と共に出雲に上陸?
と、アマテラスの弟のスサノオ神話のストーリーを絡めてみました。
その話と、実際に伊勢神宮から三種の神器の草薙の剣が新羅人によって盗まれたが取り返したという話が結び付けられてスサノオがオロチを退治して体内から刀を得るという話になったのではという古代妄想へジャンプ❣️(^^;;
結局
卑弥呼の弟は出雲国の姫と婚姻して邪馬台国には帰らなかったのかも。
そしてスサノオとして八坂神社に祀られている?
ついでに
どうやって霞ヶ浦から糸魚川あたりまで
川を遡ったり下ったり往来したのか考えてみました
それは軽量で持ち運べる
霞ヶ浦に大量にあるアシで作った葦船かも
日本には『豊葦原の瑞穂の国』という呼び名もあり葦船はお手軽な古代のカヤックだったのでは
🌟🌟🌟
日本はなんで多神教なのか
ずっと不思議だったのですが
日本を平定して
国としてまとめるために
これほど便利な賢いシステムは無いのかもと
思いました。(^◇^;)💦
🌟🌟🌟
今日のおやつは菱餅のきな粉餅
卑弥呼は何故倭王権に連れ去られたのか。
それは中国から授かった金印があるからでは?
きな粉とゴマと黒蜜で頂きながらの
古代への妄想でした ^^;
ワタシ、実は高校の時クラスメートから付けられたニッネームが『ヒミコ』だったのです❣️😅💧