日本がこれだけ貧乏になってしまったワケ



そしてその遠因が日航機墜落事故をアメリカ製造の飛行機の整備不良のせいにしたからという説があるそうですが…

飛行機墜落の真実はどうなんでしょうね😰💧

⭐️⭐️⭐️

ところで日本の上空の制空権を取り戻すには

半導体製品の取り合いをアメリカが中国としなければならなくなった今が

絶好のチャンスだと思うのですけどね

だって日本にはまだ

半導体を製造する装置を作る技術があるのですから



⭐️⭐️⭐️


1985年プラザ合意

それによる急激な円高

土地取引の総量規制

日銀の公定歩合(貸出金利)の急激な引き上げ

それによる住宅ローンなどの破綻者続出

土地の急激な値下がり

株式の暴落

バブル崩壊

銀行の貸し剥がし、企業倒産

ハゲタカの登場

30年続く円高不況とデフレ経済へ…


と、国内の経済を思い出すと色々ありました


⭐️⭐️⭐️

その間のうちの事情はというと

私は土木コンサルを退社後に派遣プログラマをしていたのでずっと生活には困らなかったのですが、

平成元年(1989年)

離れて暮らす私の親は祖父から引き継いだ遺産を全て不動産投資に充てた上に更に1億以上の借金をしてアパートを2件建て、自分達の住まいと弟のマンションを購入


まもなく

バブル崩壊

家賃収入は家の劣化や不景気で減る一方で

不動産を売却しても返済金が残る状態に陥り…

さらに

公定歩合が急激に上がり、信用金庫から借りていたローンの貸出金利も10%へと上昇、返済金が毎月60万円になり支払えないので大手銀行に借り換えを実行したときに担保設定が持っている全ての不動産にかかるようになりました。


しかも税理士による減価償却の元の金額が平成元年の不動産購入時点から誤っていたので所得税、住民税、固定資産税の支払いが多く、その上未納期間があり年金も貰えない状態になっていました。


母が私の千葉のアパートにお金の相談に訪ねてきて私は親の生活の援助をしなくてはなりませんでした。


親は税理士を頼む余裕もなく、私がやむなく親の建てたアパートの一室に戻り、確定申告を担当することになりました。


たまたま税制の改正があり、

過去の確定申告書を見直して税理士の誤りに気づきました。その税理士の方はもう税理士のお仕事を辞めたので相談できません。


そこで過去の確定申告書と

不動産購入時の売買契約書を持って税務署に出向き、確定申告の見直しと減価償却の設定を税務署に相談して修正することから始め、Excelを使って自動計算できるようにしました。


税務署の許可で減価償却額を

毎年度150万円から600万円に引き上げることが出来たので所得税や住民税が劇的に消えて、更に銀行と交渉して毎月40万円の支払いを20万円にすることにも成功しました。ただし返済期限は伸びません。コレは当時の亀井大臣が金融円滑化法を実施してくれたおかげです。


その結果、自己破産せずなんとか銀行支払いを継続可能となり、昨年とうとうローンの最終期限が到来し、残債は三千万円となりました。


担保となっている弟のマンションだけは手放さずに済むところまで来て、昨年アパート2件を売却、アパートローンの返済がようやく終わりました。親の介護などによる借金はまだあるものの、どうにか生活が破綻せず済みました。


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今回の確定申告の相違点は

不動産を売却したので

不動産収支内訳書のほかに

別の申告用紙が必要だった点です


申告書受付のおじさんに言われて

慌てて青い用紙を貰いに行き、その場で書類を、書きました。


焦りまくりましたが

なんとか閉館する五時少し前に書き終えて提出できました。(^◇^;)💧


それは下の用紙です

アパートを2件売ったので2枚書きました



提出し終わり、あらかじめ用意していたコピーに受付印を貰い、提出完了


ようやく重い責任から解放されたなと

今年の確定申告の帰り道にしみじみ思いました


帰りに川越の花屋さんで

自分へのご褒美に

小さな鉢植えを買いました☺️🌈🌸


ところで来年から税務署の受付日のハンコは無くなるそうです


インボイス制度と残業時間制限が始まるので人手不足対策かもしれませんが

私も登録番号を取得すべきかと考え中です



長いトンネルを日本経済と共に走り抜けた

ウチの経済事情でした😅💦💕🌈