今のように中国大陸で漢民族が圧倒的に優勢になったのはいつ頃からなのでしょうか。かつては様々な人種が色々な文化をもって暮らしていたようです。
古代の中国人は白人だった より編集
http://www.amezor.to/shiso/080907143515.html
2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝 WANG Liらは、約2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨、及び現代の臨シ住民から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果を発表した。それによると、三つの時代の臨シ人類集団が異なる遺伝的構成を持つことが明らかになった。
約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、
約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近く、
現代の臨シ住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらないものであった。
この研究により、2500年前にユーラシア大陸の東端に現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団が存在していたことが明らかになった。
また、2500年前から2000年前の500年間に臨シ集団に大きな遺伝的変化が生じたことから、過去に人類集団の大規模な移動があったことを示唆している。
中国当局は、遺伝子検査の結果を受け入れて、中国のタリム盆地で1980年代に発見された、4000年前の貴婦人のミイラと3000年前のミイラをコーカソイド(白人)と認めた。この地域やってきた人類はこの白人が最初で、東アジア人より1000年も前のことであった。
中国当局は当初この結果を認めるのを躊躇していた。その理由は政治的なもので、新疆ウイグル自治区の最初の人類は白人ということになると、イスラム分離派に理論的根拠を与えるというものだ。
ミイラと関わってきた西欧の科学者Victor Mairは、「現代のDNAと古代のDNAのテストの結果、ウイグル、カザフスタン人、キルギス人などの中央アジアの人々は、東アジア人とコーカソイドの混血である」という。
中国から出た最初のコーカソイドのミイラは、Yingpan Manという2000年前のもので、東京江戸博物館に展示されたという。
http://icke.seesaa.net/article/3245364.html
現在の中国語には、互いに外国語であるかのような種々の方言が存在し、北方方言と南方方言に二大別される。この南方方言の分布域が、黄河文明と対峙する長江文明の栄えた領域と大まかに重なり合っている。しかも、伝説上の南方の支配者蚩尤の統治領域ともほぼ重なる。そして歴史時代における中国文化は黄河文明を源流とするものであり、史書もまたはっきりとそのように記している。一方、ミトコンドリアDNAの研究が示しているのはユーラシア西部に起源を持つ人々が黄河文明の南端付近にいたがその後現代のような「黄色人種」である漢民族に徐々に置き換わっていったという事実である。これらの諸事実を統一的に説明する仮説は以下のようになろう。
「長江流域にモンゴロイドが稲作を基礎とする文明を築いていた。一方、西から移動してきた麦作と牧畜を基礎とした文化を携えたコーカソイドが黄河流域に定住した。武力に勝る北方黄河文明の支配者は、人口においては優勢な長江文明の人々と戦い勝利した。人口に勝るモンゴロイドは政治的軍事的文化的には敗者であったが、遺伝子的には黄河文明の人々をしのいで現代漢民族は『黄色』になった。」
さらに追加するならば、戦士である長江文明の男たちの多くは殺されたが、残った女たちのミトコンドリア遺伝子が引き継がれていったことも大いに寄与したと思われる。また、中国の南方では長江文明を担った人々の言語の影響を未だに受けているのである。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-61.htm
秦の時代にもいたペルシャの人夫
【北京29日傍示文昭】29日付の中国各紙によると、陝西省西安郊外にある秦(紀元前221―同206年)の始皇帝陵の副葬墓から出土した約2200年前の人骨が、ペルシャ系とみられる20代の男性のものであることが分かった。古代中国と古代ギリシャ・ローマとの間に開かれた陸上交通路「シルクロード」ができる前に、中央アジア以西の民族が中国中部まで入っていた事実が明らかになったのは初めて。専門家は「従来の学説より約1世紀早く、東西交流史を塗り替える発見」と指摘している。
■2200年前のDNAを鑑定
28日、中国・西北大の考古学者らが明らかにした。発表によると、副葬坑は2003年、等身大の兵士像などで有名な「兵馬俑(へいばよう)博物館」から約500メートル離れた場所で見つかった。陵墓建設に従事した労働者を埋葬した墓とみられ、約50人の遺骨を発掘。一部をDNA鑑定した結果、一体はペルシャ人かクルド人と同じ遺伝子を持つ男性であることが分かった。
これまで、古代中国と中央アジア以西の民族の接触は、秦の後の漢代以降に始まったとみられていた。研究者は「西方から強制的に連れてこられて陵墓建設に従事させられていた可能性もある」と指摘している。
陝西省考古研究所の段清波研究員は「シルクロードができる前に、すでに東西交流が行われていた可能性もあり、東西文化の交流史に大きな意義がある発見だ」と話している。
=2006/06/30付 西日本新聞朝刊=
唐の時代、安史の乱(この反乱が原因にて玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇がおこり・楊貴妃は皇帝により殺害される)にて有名な安禄山・史思明両人も、またトルコ系・ウズベキスタン系のコーカソイド(白人種)であったといわれ、唐軍を破り、一時は双方とも自ら大燕皇帝を名のり権勢をふるいます。史思明と同族の唐代初期の武将(高官)史道路は遺体より彼がコーカソイドであったことが立証されており、政治中枢にまで人種関係なく(貴族政治への反発・脱却など諸因はありますが)有能な人材が登用されていたことがうかがえます。
また、学校の教科書で一度は拝見したでしょう、だれもが知っている紀元前221年に中国最初の統一王朝秦初代皇帝となった、始皇帝 政、彼もまた胡人(イラン系白人種)であったとの伝説があり、一説には金髪碧眼であったとも、赤い髪・青い目・高い鼻と白人種の特徴が顕著であったとも謂われています。
始皇帝が実施したその政策は、アケメネス朝ペルシャ(秦の中国統一の少し前に滅亡)の制度とよくにており、その関連性は否定できず、中国歴史家のなかでも秦帝国の存在は後の王朝と区別されて考えられるべきとの見解を有している方も多数おられます。
http://www.xinhua-real.net/history.html
安禄山は碧眼だったらしい
楊貴妃の容姿や日常生活が詳しく書かれた中国の古い文献には、イラン系の人で独特な臭いをはなっていたと記述されており、その臭いについても詳しくかかれてました。楊貴妃の臭いはハッキリと漢字でワキガと書かれていました。玄宗皇帝は匂いフェチだったのかしら…
中国の華夏民族は、白人の末裔
山東省博物館の考古学及び中国古生物分子遺伝学研究所は、山東省の新石器時代におけるブンコウ文化時代の遺跡・春秋時代の山東省古墳群にあった古代人の遺骨中から採取した遺伝子標本に対する鑑定の結果、次のように表明した。
儒教の発祥地である山東地域に、新石器時代から春秋戦国末期に至るまでの間、土着していた人類の特徴は、明らかにコーカサス人(白人)である。
ここから推して知るべしだが、儒教の創始者である孔子も疑うことなくコーカサス人としての性質が混じっていたというべきである。
それから隋唐の時期に至るまで、山東の土着民の特徴は、コーカサスとモンゴロイドの混合系(現在の新疆人のような白人と黄色人種の混合系)へと変化していった。
その後、明・清にかけて、現在の純粋モンゴロイドへと変換していったのだ。
10投稿者:777 投稿日:2008年09月08日(月) 22時13分01秒
はるか昔にコーカソイドが北京の東まで来ていたという。河北・遼寧・内蒙古あたりに紀元前6000年頃の興隆窪文化、前4500年頃の趙宝文化、前3000年頃の紅山文化と呼ばれる龍と玉の文化があった。そこで碧眼の象嵌をした女性(女神)像が出ている。コーカソイドとモンゴロイドとの混血人により「龍」の文化がうまれたのである(安田氏の本を以前紹介した)。
中原の文化の代表である前4000年頃の仰韶文化も、西域の影響を受けた彩陶に特徴のある文化であった。元々、旧石器時代に黄土高原には人が住んだ形跡があった。しかし旧石器時代の末期には2000年間の空白期がある。この間の紀元前6000年頃は、黄河中流域の磁山・裴李崗文化と呼ばれる粟の栽培に特徴のある文化があった。再び黄土高原に住めるようになり西域からの影響を受けて麦作農業となったものが仰韶文化である。先に書いたように前6000年には東北地方までコーカソイドは来ていたのであるから、より西域に近い黄土高原にも当然入っていたのである。埋葬も頭を西を向けている。
黄河下流~淮河流域には、紀元前6000年より前から粟を栽培していた後李文化があった。埋葬時には頭を東に向けていた。5000年頃の北辛文化がそれを引き継いだ。更に前4000年頃からの象牙製品に特徴のある大シ文口文化、前2500年頃からの龍山文化という流れとなったものである。大シ文口文化は仰韶文化と時期が重なり、彩陶も出ていることから両者の交流が分る。また、龍山文化は黒陶と城砦に特徴があった。軍事的にも文化的にも黄河の下流域は中流域より進んでいた。
中原にあった<夏>を<殷>が征服した。殷王朝は黄河下流から中原へと入り、黄河文明の基盤を築いた。周はそれを受け継いだ。殷(商)の出自は東夷だと言われている。東夷は山東省から江蘇省北部を指す。龍山文化後期、いよいよ中国の歴史が始まったのである。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books134.htm
中国古代遺跡で発掘された青い目の女神像
中国東北部に位置する遼寧省で、5500年前の紅山文化に属する遺跡から、青い目をした女神像が発掘されています。
モンゴロイド系人種の容貌なのに、青い目をしているのは何でだろう?
このことについて、『古代中国と倭族』(鳥越憲三郎著)に、その謎が解説されています。
1985年、紅山文化に属する遼寧省西部の凌源・建平の県境にある牛河梁(ぎゅうかりょう)遺跡で、紅焼土に埋まった堆積層から、珍しい「女神廟」と積石墓群が発見された。今から5575±110年前の数価を持ち、問題の女神廟は遺跡の最も高い場所にあり、数多の泥質彩塑女神像や動物塑像のほか、この地独特の彩陶の祭器や建築材なども見つかっている。
それらの中でも特に注目されるのは、廟の円形主室の西側で発見された一体の彩塑女神の尊像である。総体的に見ると、方円形の平たい顔で、頬骨が突起し、目は斜めに吊り上り、目のくぼみは浅く、鼻すじは低くて短く、鼻先と鼻翼はは円頭状で低平であり、鼻孔はやや上に反っている。
以上の容貌から明らかなように、モンゴロイド系人種に属するものと判断されている。ところが女神像の目は驚くことに青い玉がはめ込まれているのである。そのことをどう理解したらよいのであろうか。
少なくとも女神像の目が青いのは、中央アジアの人種の血をうけていることを示している。しかし、容貌は明らかにモンゴロイド人種である。そのことは、混血の女性をモデルにしたといえるが、当時の社会に混血の女性が多く、違和感がなかったからであろう。それだけに混血に時期は遠く遡るものとみてよかろう。
中国東北部の女神像の分布からみて、その信仰は広域にわたっていたといえる。しかも地母神としての女神像の信仰が新石器時代早期から見られるので、そのことから中央アジアからこの地への渡来、その時代まで遡らせる可能性もあるであろう。というのは、女神信仰がメソポタミアに起源し、それが中央アジアに広く波及したからで、アナウ文化に女神像を部屋に祀る習俗がみられるのもそのためである。そこで、コーカソイド種族がこの信仰をもたらしたと考えることもできるであろう。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2006/11/000060.html
15投稿者:777 投稿日:2008年10月25日(土) 08時40分41秒
甲骨文字より古い?中国・山東省で記号刻んだ獣骨発見
【北京=佐伯聡士】
新華社電(電子版)によると、中国山東省昌楽県で、計約600もの記号が彫られた獣骨片約100点が見つかり、考古学専門家が考証した結果、中国最古の体系的な文字とされている殷墟(いんきょ)の甲骨文字よりも古い約4500年前の文字だった可能性があることがわかった。
この獣骨片は、愛好家が2004年に同県の遺跡で発見し、専門家が研究を続けてきた。内容はまだ解読はされていないが、古代文字の変遷を研究する上で貴重な証拠になるという。
http://asyura2.com/08/news7/msg/104.html
2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝 WANG Liらは、約2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の中国山東省の遺跡から出土した人骨の比較研究の結果を発表した。
約2500年前の春秋戦国時代の山東省住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と非常に近く、2500年前にユーラシア大陸の東端に現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団が存在していたことが明らかになった。
国東北部に位置する遼寧省で、5500年前の紅山文化に属する遺跡から、青い目をした女神像が発掘されています。
モンゴロイド系人種の容貌なのに、青い目をしているのは何でだろう?
このことについて、『古代中国と倭族』(鳥越憲三郎著)に、その謎が解説されています。
1985年、紅山文化に属する遼寧省西部の凌源・建平の県境にある牛河梁(ぎゅうかりょう)遺跡で、紅焼土に埋まった堆積層から、珍しい「女神廟」と積石墓群が発見された。今から5575±110年前の数価を持ち、問題の女神廟は遺跡の最も高い場所にあり、数多の泥質彩塑女神像や動物塑像のほか、この地独特の彩陶の祭器や建築材なども見つかっている。
それらの中でも特に注目されるのは、廟の円形主室の西側で発見された一体の彩塑女神の尊像である。総体的に見ると、方円形の平たい顔で、頬骨が突起し、目は斜めに吊り上り、目のくぼみは浅く、鼻すじは低くて短く、鼻先と鼻翼はは円頭状で低平であり、鼻孔はやや上に反っている。
以上の容貌から明らかなように、モンゴロイド系人種に属するものと判断されている。ところが女神像の目は驚くことに青い玉がはめ込まれて
いるのである。そのことをどう理解したらよいのであろうか。
中国人は色彩感覚が抽象的なのに、物理的に青かったから青い風に書いてあるとかどういう勘違いをしたらそうなる?
青いという意味を付加しただけだろう
25投稿者:白人かも 投稿日:2013年12月08日(日) 23時41分53秒
黄河文明のあの気味の悪い人形見て思ったんだけど
あれ、鼻も目も全くモンゴロイドの顔立ちじゃないのでおかしいと思っていた。ローマ人みたいなワシ鼻だったり、目がやたら大きくて
コーカソイドの鼻と目。
あと、唐の服とかさ、現代の中国人が着ると
恐ろしく似合わない。
モデル使ってようやく見られるようにしているけど
100年前の中国人だと無理。
26投稿者:光 投稿日:2013年12月23日(月) 19時41分40秒
シナの歴史与太話は、下鮮と同じで、ただのおとぎ話で済まず、
これが事実だから、あちこちの現在の小国が自分の国だ、よこせ、とか、ある民族を虐待するのは、数千年前に自分たちがされたことへの仕返しだ、とか言い出しかねないきちがい妄想に発展するおそれがあるからなんだよね。
古代の中国人は白人だった より編集
http://www.amezor.to/shiso/080907143515.html
2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝 WANG Liらは、約2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨、及び現代の臨シ住民から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果を発表した。それによると、三つの時代の臨シ人類集団が異なる遺伝的構成を持つことが明らかになった。
約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、
約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近く、
現代の臨シ住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらないものであった。
この研究により、2500年前にユーラシア大陸の東端に現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団が存在していたことが明らかになった。
また、2500年前から2000年前の500年間に臨シ集団に大きな遺伝的変化が生じたことから、過去に人類集団の大規模な移動があったことを示唆している。
中国当局は、遺伝子検査の結果を受け入れて、中国のタリム盆地で1980年代に発見された、4000年前の貴婦人のミイラと3000年前のミイラをコーカソイド(白人)と認めた。この地域やってきた人類はこの白人が最初で、東アジア人より1000年も前のことであった。
中国当局は当初この結果を認めるのを躊躇していた。その理由は政治的なもので、新疆ウイグル自治区の最初の人類は白人ということになると、イスラム分離派に理論的根拠を与えるというものだ。
ミイラと関わってきた西欧の科学者Victor Mairは、「現代のDNAと古代のDNAのテストの結果、ウイグル、カザフスタン人、キルギス人などの中央アジアの人々は、東アジア人とコーカソイドの混血である」という。
中国から出た最初のコーカソイドのミイラは、Yingpan Manという2000年前のもので、東京江戸博物館に展示されたという。
http://icke.seesaa.net/article/3245364.html
現在の中国語には、互いに外国語であるかのような種々の方言が存在し、北方方言と南方方言に二大別される。この南方方言の分布域が、黄河文明と対峙する長江文明の栄えた領域と大まかに重なり合っている。しかも、伝説上の南方の支配者蚩尤の統治領域ともほぼ重なる。そして歴史時代における中国文化は黄河文明を源流とするものであり、史書もまたはっきりとそのように記している。一方、ミトコンドリアDNAの研究が示しているのはユーラシア西部に起源を持つ人々が黄河文明の南端付近にいたがその後現代のような「黄色人種」である漢民族に徐々に置き換わっていったという事実である。これらの諸事実を統一的に説明する仮説は以下のようになろう。
「長江流域にモンゴロイドが稲作を基礎とする文明を築いていた。一方、西から移動してきた麦作と牧畜を基礎とした文化を携えたコーカソイドが黄河流域に定住した。武力に勝る北方黄河文明の支配者は、人口においては優勢な長江文明の人々と戦い勝利した。人口に勝るモンゴロイドは政治的軍事的文化的には敗者であったが、遺伝子的には黄河文明の人々をしのいで現代漢民族は『黄色』になった。」
さらに追加するならば、戦士である長江文明の男たちの多くは殺されたが、残った女たちのミトコンドリア遺伝子が引き継がれていったことも大いに寄与したと思われる。また、中国の南方では長江文明を担った人々の言語の影響を未だに受けているのである。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-61.htm
秦の時代にもいたペルシャの人夫
【北京29日傍示文昭】29日付の中国各紙によると、陝西省西安郊外にある秦(紀元前221―同206年)の始皇帝陵の副葬墓から出土した約2200年前の人骨が、ペルシャ系とみられる20代の男性のものであることが分かった。古代中国と古代ギリシャ・ローマとの間に開かれた陸上交通路「シルクロード」ができる前に、中央アジア以西の民族が中国中部まで入っていた事実が明らかになったのは初めて。専門家は「従来の学説より約1世紀早く、東西交流史を塗り替える発見」と指摘している。
■2200年前のDNAを鑑定
28日、中国・西北大の考古学者らが明らかにした。発表によると、副葬坑は2003年、等身大の兵士像などで有名な「兵馬俑(へいばよう)博物館」から約500メートル離れた場所で見つかった。陵墓建設に従事した労働者を埋葬した墓とみられ、約50人の遺骨を発掘。一部をDNA鑑定した結果、一体はペルシャ人かクルド人と同じ遺伝子を持つ男性であることが分かった。
これまで、古代中国と中央アジア以西の民族の接触は、秦の後の漢代以降に始まったとみられていた。研究者は「西方から強制的に連れてこられて陵墓建設に従事させられていた可能性もある」と指摘している。
陝西省考古研究所の段清波研究員は「シルクロードができる前に、すでに東西交流が行われていた可能性もあり、東西文化の交流史に大きな意義がある発見だ」と話している。
=2006/06/30付 西日本新聞朝刊=
唐の時代、安史の乱(この反乱が原因にて玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇がおこり・楊貴妃は皇帝により殺害される)にて有名な安禄山・史思明両人も、またトルコ系・ウズベキスタン系のコーカソイド(白人種)であったといわれ、唐軍を破り、一時は双方とも自ら大燕皇帝を名のり権勢をふるいます。史思明と同族の唐代初期の武将(高官)史道路は遺体より彼がコーカソイドであったことが立証されており、政治中枢にまで人種関係なく(貴族政治への反発・脱却など諸因はありますが)有能な人材が登用されていたことがうかがえます。
また、学校の教科書で一度は拝見したでしょう、だれもが知っている紀元前221年に中国最初の統一王朝秦初代皇帝となった、始皇帝 政、彼もまた胡人(イラン系白人種)であったとの伝説があり、一説には金髪碧眼であったとも、赤い髪・青い目・高い鼻と白人種の特徴が顕著であったとも謂われています。
始皇帝が実施したその政策は、アケメネス朝ペルシャ(秦の中国統一の少し前に滅亡)の制度とよくにており、その関連性は否定できず、中国歴史家のなかでも秦帝国の存在は後の王朝と区別されて考えられるべきとの見解を有している方も多数おられます。
http://www.xinhua-real.net/history.html
安禄山は碧眼だったらしい
楊貴妃の容姿や日常生活が詳しく書かれた中国の古い文献には、イラン系の人で独特な臭いをはなっていたと記述されており、その臭いについても詳しくかかれてました。楊貴妃の臭いはハッキリと漢字でワキガと書かれていました。玄宗皇帝は匂いフェチだったのかしら…
中国の華夏民族は、白人の末裔
山東省博物館の考古学及び中国古生物分子遺伝学研究所は、山東省の新石器時代におけるブンコウ文化時代の遺跡・春秋時代の山東省古墳群にあった古代人の遺骨中から採取した遺伝子標本に対する鑑定の結果、次のように表明した。
儒教の発祥地である山東地域に、新石器時代から春秋戦国末期に至るまでの間、土着していた人類の特徴は、明らかにコーカサス人(白人)である。
ここから推して知るべしだが、儒教の創始者である孔子も疑うことなくコーカサス人としての性質が混じっていたというべきである。
それから隋唐の時期に至るまで、山東の土着民の特徴は、コーカサスとモンゴロイドの混合系(現在の新疆人のような白人と黄色人種の混合系)へと変化していった。
その後、明・清にかけて、現在の純粋モンゴロイドへと変換していったのだ。
10投稿者:777 投稿日:2008年09月08日(月) 22時13分01秒
はるか昔にコーカソイドが北京の東まで来ていたという。河北・遼寧・内蒙古あたりに紀元前6000年頃の興隆窪文化、前4500年頃の趙宝文化、前3000年頃の紅山文化と呼ばれる龍と玉の文化があった。そこで碧眼の象嵌をした女性(女神)像が出ている。コーカソイドとモンゴロイドとの混血人により「龍」の文化がうまれたのである(安田氏の本を以前紹介した)。
中原の文化の代表である前4000年頃の仰韶文化も、西域の影響を受けた彩陶に特徴のある文化であった。元々、旧石器時代に黄土高原には人が住んだ形跡があった。しかし旧石器時代の末期には2000年間の空白期がある。この間の紀元前6000年頃は、黄河中流域の磁山・裴李崗文化と呼ばれる粟の栽培に特徴のある文化があった。再び黄土高原に住めるようになり西域からの影響を受けて麦作農業となったものが仰韶文化である。先に書いたように前6000年には東北地方までコーカソイドは来ていたのであるから、より西域に近い黄土高原にも当然入っていたのである。埋葬も頭を西を向けている。
黄河下流~淮河流域には、紀元前6000年より前から粟を栽培していた後李文化があった。埋葬時には頭を東に向けていた。5000年頃の北辛文化がそれを引き継いだ。更に前4000年頃からの象牙製品に特徴のある大シ文口文化、前2500年頃からの龍山文化という流れとなったものである。大シ文口文化は仰韶文化と時期が重なり、彩陶も出ていることから両者の交流が分る。また、龍山文化は黒陶と城砦に特徴があった。軍事的にも文化的にも黄河の下流域は中流域より進んでいた。
中原にあった<夏>を<殷>が征服した。殷王朝は黄河下流から中原へと入り、黄河文明の基盤を築いた。周はそれを受け継いだ。殷(商)の出自は東夷だと言われている。東夷は山東省から江蘇省北部を指す。龍山文化後期、いよいよ中国の歴史が始まったのである。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books134.htm
中国古代遺跡で発掘された青い目の女神像
中国東北部に位置する遼寧省で、5500年前の紅山文化に属する遺跡から、青い目をした女神像が発掘されています。
モンゴロイド系人種の容貌なのに、青い目をしているのは何でだろう?
このことについて、『古代中国と倭族』(鳥越憲三郎著)に、その謎が解説されています。
1985年、紅山文化に属する遼寧省西部の凌源・建平の県境にある牛河梁(ぎゅうかりょう)遺跡で、紅焼土に埋まった堆積層から、珍しい「女神廟」と積石墓群が発見された。今から5575±110年前の数価を持ち、問題の女神廟は遺跡の最も高い場所にあり、数多の泥質彩塑女神像や動物塑像のほか、この地独特の彩陶の祭器や建築材なども見つかっている。
それらの中でも特に注目されるのは、廟の円形主室の西側で発見された一体の彩塑女神の尊像である。総体的に見ると、方円形の平たい顔で、頬骨が突起し、目は斜めに吊り上り、目のくぼみは浅く、鼻すじは低くて短く、鼻先と鼻翼はは円頭状で低平であり、鼻孔はやや上に反っている。
以上の容貌から明らかなように、モンゴロイド系人種に属するものと判断されている。ところが女神像の目は驚くことに青い玉がはめ込まれているのである。そのことをどう理解したらよいのであろうか。
少なくとも女神像の目が青いのは、中央アジアの人種の血をうけていることを示している。しかし、容貌は明らかにモンゴロイド人種である。そのことは、混血の女性をモデルにしたといえるが、当時の社会に混血の女性が多く、違和感がなかったからであろう。それだけに混血に時期は遠く遡るものとみてよかろう。
中国東北部の女神像の分布からみて、その信仰は広域にわたっていたといえる。しかも地母神としての女神像の信仰が新石器時代早期から見られるので、そのことから中央アジアからこの地への渡来、その時代まで遡らせる可能性もあるであろう。というのは、女神信仰がメソポタミアに起源し、それが中央アジアに広く波及したからで、アナウ文化に女神像を部屋に祀る習俗がみられるのもそのためである。そこで、コーカソイド種族がこの信仰をもたらしたと考えることもできるであろう。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2006/11/000060.html
15投稿者:777 投稿日:2008年10月25日(土) 08時40分41秒
甲骨文字より古い?中国・山東省で記号刻んだ獣骨発見
【北京=佐伯聡士】
新華社電(電子版)によると、中国山東省昌楽県で、計約600もの記号が彫られた獣骨片約100点が見つかり、考古学専門家が考証した結果、中国最古の体系的な文字とされている殷墟(いんきょ)の甲骨文字よりも古い約4500年前の文字だった可能性があることがわかった。
この獣骨片は、愛好家が2004年に同県の遺跡で発見し、専門家が研究を続けてきた。内容はまだ解読はされていないが、古代文字の変遷を研究する上で貴重な証拠になるという。
http://asyura2.com/08/news7/msg/104.html
2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝 WANG Liらは、約2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の中国山東省の遺跡から出土した人骨の比較研究の結果を発表した。
約2500年前の春秋戦国時代の山東省住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と非常に近く、2500年前にユーラシア大陸の東端に現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団が存在していたことが明らかになった。
国東北部に位置する遼寧省で、5500年前の紅山文化に属する遺跡から、青い目をした女神像が発掘されています。
モンゴロイド系人種の容貌なのに、青い目をしているのは何でだろう?
このことについて、『古代中国と倭族』(鳥越憲三郎著)に、その謎が解説されています。
1985年、紅山文化に属する遼寧省西部の凌源・建平の県境にある牛河梁(ぎゅうかりょう)遺跡で、紅焼土に埋まった堆積層から、珍しい「女神廟」と積石墓群が発見された。今から5575±110年前の数価を持ち、問題の女神廟は遺跡の最も高い場所にあり、数多の泥質彩塑女神像や動物塑像のほか、この地独特の彩陶の祭器や建築材なども見つかっている。
それらの中でも特に注目されるのは、廟の円形主室の西側で発見された一体の彩塑女神の尊像である。総体的に見ると、方円形の平たい顔で、頬骨が突起し、目は斜めに吊り上り、目のくぼみは浅く、鼻すじは低くて短く、鼻先と鼻翼はは円頭状で低平であり、鼻孔はやや上に反っている。
以上の容貌から明らかなように、モンゴロイド系人種に属するものと判断されている。ところが女神像の目は驚くことに青い玉がはめ込まれて
いるのである。そのことをどう理解したらよいのであろうか。
中国人は色彩感覚が抽象的なのに、物理的に青かったから青い風に書いてあるとかどういう勘違いをしたらそうなる?
青いという意味を付加しただけだろう
25投稿者:白人かも 投稿日:2013年12月08日(日) 23時41分53秒
黄河文明のあの気味の悪い人形見て思ったんだけど
あれ、鼻も目も全くモンゴロイドの顔立ちじゃないのでおかしいと思っていた。ローマ人みたいなワシ鼻だったり、目がやたら大きくて
コーカソイドの鼻と目。
あと、唐の服とかさ、現代の中国人が着ると
恐ろしく似合わない。
モデル使ってようやく見られるようにしているけど
100年前の中国人だと無理。
26投稿者:光 投稿日:2013年12月23日(月) 19時41分40秒
シナの歴史与太話は、下鮮と同じで、ただのおとぎ話で済まず、
これが事実だから、あちこちの現在の小国が自分の国だ、よこせ、とか、ある民族を虐待するのは、数千年前に自分たちがされたことへの仕返しだ、とか言い出しかねないきちがい妄想に発展するおそれがあるからなんだよね。