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死産に関するブログです。

閲覧は自己責任でお願いいたします。

※このブログは2018年4月末、18週2日で初産で死産をしたことの記録をするものです。
はじめての方はこちらの記事をご覧ください。

 

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※全ての記事に心情の付記がありますこと、あらかじめご了承ください。

 

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◆死産後45日目◆

 

色付きのおりものはなし。終息へ無事に向かいますように。

 

昨日は夫とショッピングモールでお買い物してきました。生活雑貨やちょっとだけ服を買ったり、レイの為にちょっと珍しいお菓子を買ってあげたり。

お昼も外食して美味しくて。楽しかった。

 

体力が落ちまくっているので絶賛リハビリ中の私ですが、昨日は1万歩近く歩いたことで疲れるというか、疲れすぎて眠れなくなってしまいました。(最近は4000~5000歩を目標にしていた)

もちろん指示されている睡眠薬は服用していますが、突然過負荷をかけたから、副交感神経がおかしくなってしまったのですね。反省です。

お陰で午前4時起きです、苦笑。

 

 

毎朝の空の写真です。

 

 

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今日は雨ですね。梅雨ですし、何だか台風もきているとか。

低気圧に元々弱い性質で、頭痛とか心の重みを感じるタイプなので今日はしんどいかも。

 

金・土曜日は夫と一緒にいられる時間が長くて安定してたけど、またちょっと崩れそうだなあ。

両日、すごく楽しく過ごして心も楽に感じていたんですけど、今朝起きたら

 

「私だけがこんな楽しい想いをしていいのか?」

 

という疑念というか訝ってしまって。

 

レイの為に何ができるのか。

ずっとずっと考えていることです。

レイに生きて笑って欲しかった。今更こんなことを言っても詮無いことですが、本当に本当にそう思っていた。

それなのに、私は笑っていいのか?楽しいなんて感情を抱いていいのか?

不意に掠めるその感情が、今朝は塊になって目の前にあった。

 

辛い、重い、苦しい、悲しい。

 

そういう辛い想いを、喪に服すという意味でも続けなければいけないのではないだろうか。心のどこかでそういう考えを持っていました。

個人的な考えですが、それも大事ですが、故人は、少なくともうちのレイは、それを望んでいないような気がしているのも勝手な妄想です。

 

 

今日は死産から45日目。間もなく四十九日がやってきます。

我が家は納骨をしておりませんし、近々でお寺さんなどにお願いする予定もなく、しばらくは自宅供養のつもりです。

特定の宗教を我が家は信じておりませんが、日本人なのでいつかはお寺さんに、どういう形であれ納骨する時が来るとは思います。

かと言って仏教の教えを守るという訳でもないので四十九日に特別何かをするという予定も今のところありません。

 

本当に私個人の経験上から得た考えと調べて得た知識なのですが、四十九日とは、急なお別れで心の整理がつかない遺族の為のものでもあるとする考え方もあるのだそうです。

亡くなってしまったけれど、四十九日の間は近くにいるからその間に心の整理を少しずつ進めていく。そして故人は空へ行く。

そんな考え方もあるのだそうです。

私は、弔いというのは故人の為もありますが、やはり遺された人々の心の為にあると思っています。私たちは悲しい気持ちを受け入れて生きていかねばなりません。

その為の儀式であり、時間なのだと思っています。

 

だから、夫にはそうでなくとも、私にとっては四十九日はある意味、一区切りの時なのかもしれません。

まだまだ涙を零さない日はありませんが、それでも心が少しずつ上を向いてきました。

それでもまだ戸惑いも深い悲しみも残っている。

後者は消えることはないのだろうけど、消えなくていいと思っています。

レイが宿ってくれた喜びも、失った悲しみも、一生抱えて生きていきたい。そう思っています。

 

何だろ、全然文章がまとまらないですね。すみません。

とにかく私が言いたいことは、レイちゃんと夫を心から愛していること。

一生大事にしていきたいという心があること、かな。

本当に本当に、大好きだよ。