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死産に関する記事です。

閲覧は自己責任でお願いいたします。

※このブログは2018年4月末、18週2日で初産で死産をしたことの記録をするものです。
はじめての方はこちらの記事をご覧ください。
 

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※全ての記事に心情の付記がありますこと、あらかじめご了承ください。

 

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◆17週6日◆

 

これほど望まない朝なんて今まであっただろうか。

泣き通しだったとは言え、一縷の望みをかけて蘇生の可能性を願い、何度も色んなワードでネット検索していた。

安定期に入っての心拍停止については、蘇生の可能性はほとんどのケースでない、ということしか分からなかった。

それでも私たちは諦めたくなかった。レイに生きて欲しかった。

でも頭ではわかっていた。レイとお別れしなければいけないことを。

 

朝イチで病院に行くつもりだったけれど、二人とも何となく踏ん切りが付かず、確か午前10時半頃に家を徒歩で出たように思う。夫も会社を休んで一緒に来てくれた。

4月も終わりで暑かったこともあり、ツツジが美しく咲いていた。木々の葉も青々と生い茂り、春というよりは初夏であった。

3月に咲いていた桜を一瞬だけ見れたことがあった。それを見た時は悪阻で桜見なんて出来なくて「来年、三人で見に来ようね」と笑いあったことを思い出して涙が止まらなくなった。

 

途中、児童公園があり、ジャングルジムを見て

「レイもああいうので遊ぶのかな。私も子どもの頃は一番上から飛び降りてたけど、危ないよねえ」

なんて、涙声で言った。

夫は絵にかいたような理系男子なのだけど、物理の計算式でどれくらいの速さで落下するか、それがいかに危ないか、みたいなことを言いだして、ド文系で物理なんてちんぷんかんぷんの私は笑ってしまった。数日ぶりに、本当に笑ってしまったのだ。夫は勿論、至極真面目であるのだけれど。

「レイは理系かもなあ~。お父さんがこれだもんなあ」

そういうと夫も「そうかもしれないなあ」と少し笑ってくれた。

 

病院までは普通に歩けば10分ほどの道のりなのだが、4か月ほど寝たきりの私は体力が本当に落ちている上に、まだ悪阻が続いているので本当にゆっくり進むしかなく、30分ほどかかった気がする。

外をレイと歩く、最後の時間だった。

もっともっと、色んなところに行きたかったし、連れて行ってあげたかった。

 

 

病院に着いた。

当然ながら妊婦さん、それも幸せそうだったり健康そうな人がたくさん順番を待っていた。小さい子どもや一か月検診であろう赤ちゃんもいた。

夫は真っ白な顔で私の手をずっと握りしめていた。

私は唾液が止まらず、頻繁にタオルで覆ったペットボトルに唾液を吐き出し、時折トイレに駆け込んで嘔吐していた。それを何回か繰り返しているうちに診察に呼ばれた。

 

 

やはり、レイの心臓は止まっていた。

先生は「処置」しなければならないと言った。

亡くなった赤ちゃんはもはや「異物」なのだそうだ。お腹の中に長くあると母体に危機が及ぶこともある。だからなるべく早めに処置をせねばならないと言われた。

12wを過ぎた赤ちゃんをお腹から出す場合は、赤ちゃんが大きくなっているため、強制的に陣痛を起こして分娩する。

つまり普通に経腟で産むことになる。

 

書くのが前後してしまったが、私は9w頃に前置胎盤の疑いを持たれていた。(参考リンク:http://www.jsog.or.jp/public/knowledge/zenchitaiban.html)

見つかった時点では子宮口を覆っていたため、帝王切開をするしかない状態だった。

しかし奇跡的に、というべきかは分からないが、ぎりぎり経腟分娩できるレベルに胎盤がずれていた。

帝王切開は母体への負荷が大きく、また、前置胎盤の場合は大量出血のリスクもある。

勝手な想いだろうけれど、私はレイがお腹の中で頑張ってくれたんだと思った。酷い悪阻でまともに栄養もいかなかっただろうに、それでも私を思ってくれたのだと、勝手に今でもそう思っている。

本当にありがとう、レイ。お父さんに似た、優しい子。そう思った。

 

先生からは処置についての説明と、病院の提携している業者が火葬等すること、必要な経費の説明を淡々とされた。

泣き伏していた私たちではあったが、レイとのお別れに際して出来ることはして、後悔したくなかったので、火葬については業者と話し合いをすることにした。

(詳細は後述すると思うが、この病院は「死んだ子は忘れろ」という方針なので、子どもに会うこと良くないとしたり、火葬も業者に丸投げしろと指示してきたりと、グリーフケアなんて思想のない病院だった。)

 

先生から翌日入院を言い渡され、看護師さんに説明を受けて帰宅した。

私は診察中もほとんど声を出すことも出来ず、僅かに頷く程度しか出来なかった。夫も辛かったのに頑張ってくれた。

看護師さんに「赤ちゃんにしてあげられる最期のことなんだから頑張りなさい」と言われて、他人の前なのに涙が滲んでしまった。

最期、だなんて……。

分かっている。分かっているけれど、認めたくなかった。

お腹の中には確かにレイがいるのだ……。

 

病院からの帰り道も、帰ってからも、やっぱり泣いていたと思う。よく覚えていない。

その日も三人でお風呂に入った。

 

つづく