私が通う日本基督教団小松川教会で、昨日の夜に行われた祈祷会では、
聖歌は、
聖歌496番「主と主の言葉に」
聖歌604番「のぞみも消えゆくまでに」(参加者のリクエスト)
聖歌498番「歌いつつあゆまん」
を歌いました。
今回歌いました、
聖歌496番「主と主の言葉に」は、
“新聖歌324番”
にもなっています。
参加者のリクエストで歌いました聖歌604番「のぞみも消えゆくまでに」は、
“新聖歌172番”
にもなっています。
また、聖歌498番「歌いつつあゆまん」は、
“新聖歌325番”
にもなっています。
お祈りでは、まず参加者皆で旧約聖書の「ヨブ記36章16節」を読み、私は
「今度の礼拝のこと」
「来週誕生日を迎える信徒のこと」
をお祈りしました。
聖書の学びは、旧約聖書の
「ホセア書7章8〜16節」
を学びました。
8節「エフライムは諸国民の中に交ぜ合わされ、エフライムは裏返さずに焼かれた菓子となった。」
エフライム(イスラエル)は、もはや真理の神に従うその本質を失いかけていますが、それとは気付かない状態です。
他の国々の神に助けを求めるその姿を、例えを用いて表現しています。
国は表面的であるが、それが他国の力に頼んでいることに気付いていない。
それは、軍事力・国力を求める、真理の神から離れる偶像崇拝であり、民は高慢から、真の神を求めることを行わない。
11節「エフライムは鳩のようだ。愚かで、悟りがない。エジプトに助けを求めあるいは、アッシリアに頼って行く。」
と、ホセアは北イスラエルの外交は“愚かな行為”であると断言します。
13節「なんと災いなことか。彼らはわたしから離れ去った。」
と、真の災いは、主から離れることであると彼らは気付かない。
「どんなに彼らを救おうとしても彼らはわたしに偽って語る。」
主は“救い”を差し伸べています。
しかし、彼らは神の愛に“偽り”をもって応答します。
14節「寝床の上で泣き叫び穀物と新しい酒を求めて身を傷つける」
彼らの行為は、主の目には悪事に、全く愚かに見えますが、彼らは止めることはありません。
「ねじれた弓」(16節)
実際には役に立たない物を用いようとしている。
それは、大国から見れば愚かな企みでしかありません。
南北分裂後のイスラエルは、隣国の情勢により左右されてきました
大国の神を礼拝することによって、国の安全を図ろうとしています。
ギリシャ語で“罪”とは“的外れ”という意味です。
彼らの信仰は的外れになっています。
主イエス・キリストの十字架と復活。
これ以外に“的”はありません。
少しでもそれてしまえば、“罪”となります。
“罪”は己を滅ぼします。
日本基督教団小松川教会の祈祷会は、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。