私が通う小松川教会で昨日の夜に行われた祈祷会では、
聖歌は、
聖歌584番「あたらしき地に」
聖歌292番「きょうまでまもられ」(参加者のリクエスト)
聖歌623番「いつかは知らねど」
を歌いました。
今回歌いました、
聖歌584番「あたらしき地に」は、“新聖歌398番”になっております。
参加者のリクエストで歌いました聖歌292番「きょうまでまもられ」は、“新聖歌171番”にもなっております。
また、聖歌623番「いつかは知らねど」は、“新聖歌465番”になっております。
お祈りでは、まず参加者皆で旧約聖書の「エゼキエル書37章24節」を読み、私は、
「土曜日のハンドベル練習のこと」
「今度の礼拝のこと」
をお祈りしました。
聖書の学びは、旧約聖書の
「ホセア書4章1~19節」
を学びました。
ホセア書4章1~19節は、
“国民の罪”(4章1~3節)
“祭司の罪”(4章4~10節)
“偶像崇拝の罪”(4章11~14節)
“ユダ王国への教訓”(4章14~19節)
に分かれています。
4章1~3節は、ホセアが告げる神の告訴状です。
神はイスラエルを、
2節「呪い、欺き、~流血に流血が続いている。」
と言われています。
経済的繁栄の中にありますが、世の中は荒んでいます。
3節「それゆえ、この地は渇き、~一掃される。」
この世が辿り着く世界を述べています。
この現実は、本来戒めるべき“祭司”が助成しています。
祭司こそまず、悔い改めなければならないと、神はホセアに告げます。
8節「彼らは~当てにしている。」(彼ら→祭司)
律法とは、本来神との関係を良好にするためのものでした。
罪を示し、罪から清められることを目的として守られてきました。
しかし、そこには平安はありません。
罪を犯さないことはありません。
それを祭司は知っています。
そこから引き起こされる“神の裁き”、この世を一掃されようとする神の怒りがあります。
しかし、キリスト者には希望があります。
それは、自らを贖罪の献げ物となった主イエス・キリストです。
再臨の日に私たちは裁かれますが、主イエス様の血潮によって贖われた者は罪を赦されます。
日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては1954年版讃美歌)
を使用しています。
聖歌は、
聖歌584番「あたらしき地に」
聖歌292番「きょうまでまもられ」(参加者のリクエスト)
聖歌623番「いつかは知らねど」
を歌いました。
今回歌いました、
聖歌584番「あたらしき地に」は、“新聖歌398番”になっております。
参加者のリクエストで歌いました聖歌292番「きょうまでまもられ」は、“新聖歌171番”にもなっております。
また、聖歌623番「いつかは知らねど」は、“新聖歌465番”になっております。
お祈りでは、まず参加者皆で旧約聖書の「エゼキエル書37章24節」を読み、私は、
「土曜日のハンドベル練習のこと」
「今度の礼拝のこと」
をお祈りしました。
聖書の学びは、旧約聖書の
「ホセア書4章1~19節」
を学びました。
ホセア書4章1~19節は、
“国民の罪”(4章1~3節)
“祭司の罪”(4章4~10節)
“偶像崇拝の罪”(4章11~14節)
“ユダ王国への教訓”(4章14~19節)
に分かれています。
4章1~3節は、ホセアが告げる神の告訴状です。
神はイスラエルを、
2節「呪い、欺き、~流血に流血が続いている。」
と言われています。
経済的繁栄の中にありますが、世の中は荒んでいます。
3節「それゆえ、この地は渇き、~一掃される。」
この世が辿り着く世界を述べています。
この現実は、本来戒めるべき“祭司”が助成しています。
祭司こそまず、悔い改めなければならないと、神はホセアに告げます。
8節「彼らは~当てにしている。」(彼ら→祭司)
律法とは、本来神との関係を良好にするためのものでした。
罪を示し、罪から清められることを目的として守られてきました。
しかし、そこには平安はありません。
罪を犯さないことはありません。
それを祭司は知っています。
そこから引き起こされる“神の裁き”、この世を一掃されようとする神の怒りがあります。
しかし、キリスト者には希望があります。
それは、自らを贖罪の献げ物となった主イエス・キリストです。
再臨の日に私たちは裁かれますが、主イエス様の血潮によって贖われた者は罪を赦されます。
日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては1954年版讃美歌)
を使用しています。