私が通う日本基督教団小松川教会で昨日の夜に行われた祈祷会では、
聖歌は、
聖歌460番「わが胸にひびく歌あり」
聖歌472番「人生の海のあらしに」(参加者のリクエスト)
聖歌478番「救いをなしたもう」
を歌いました。
今回歌いました、
聖歌460番「わが胸にひびく歌あり」は、“新聖歌260番”にもなっています。
参加者のリクエストで歌った、聖歌隊472番「人生の海のあらしに」は、“新聖歌248番”にもなっています。
また、聖歌478番「救いをなしたもう」は、“新聖歌19番”にもなっています。
お祈りではまず参加者皆で、新約聖書の「コリントの信徒への手紙II3章18節」を読み、私は、
「今度の礼拝のこと」
「聖歌隊練習のこと」
「今週お誕生日を迎える信徒のこと」
をお祈りしました。
聖書の学びでは、旧約聖書の、
「ホセア書2章4~15節」
を学びました。
4節前半「告発せよ、お前たちの母親を告発せよ」
この“母親”とは、具体的にゴメルに現される偶像礼拝、バアル信仰を示しています。
“告発せよ”と原告になるように促されるのは、“イスラエルの民”を示しており、この裁判長は“父なる神”を示しています。
4節後半「彼女はもはやわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫でもない」とは、当時の離婚裁判の判決文です。
神がバアル信仰に従う者と縁を切る。
神が契約を破棄することを示しています。
この文は、「取り除かせよ」で結ばれています。
契約を破棄することに、神は猶予を与えています。
この忌まわしい現実を“取り除かせれば”、神は再び契約を守ってくださいます。
しかし、“さもなければ”神は実力をもってバアル信仰の特徴である、“豊穣の神”の豊かさを取り除き、渇きで死をもたらすと預言されます。
カナンの地に入り、遊牧から農耕へ、その生活様式を変えたイスラエルの民は、その土地が豊かな作物を作るように、“豊穣の神バアル信仰”へ変わっていきました。
実は、その豊かさも、バアル像を作った金銀もそれは、“父なる神”が与えたものである。
表面的な豊かさの故に、真の信仰から離れているイスラエルの民に、父なる神は存在の確かさを示しています。
11節「それゆえ」の後には“父なる神”の思いが続きます。
神は“見出だせないようにする”“奪い取る”“やめさせる”“荒らす”という様々な手段で、偶像礼拝を滅ぼそうとします。
もう1つ記されているのは、偶像礼拝の中で揺れ動くイスラエルの民です。
9節「初めの夫のもとに帰ろうあのときは、今よりも幸せだった」
これを基にイエス様は“放蕩息子のたとえ”を話されました。
困窮に陥った息子は、我に帰り、父の元に帰ろうと決意します。
この世を創造された神だからこそ、私たちがそれぞれの偶像から離れて帰ってくることを待ち続けてくださいます。
日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては1954年版讃美歌)
を使用しています。
聖歌は、
聖歌460番「わが胸にひびく歌あり」
聖歌472番「人生の海のあらしに」(参加者のリクエスト)
聖歌478番「救いをなしたもう」
を歌いました。
今回歌いました、
聖歌460番「わが胸にひびく歌あり」は、“新聖歌260番”にもなっています。
参加者のリクエストで歌った、聖歌隊472番「人生の海のあらしに」は、“新聖歌248番”にもなっています。
また、聖歌478番「救いをなしたもう」は、“新聖歌19番”にもなっています。
お祈りではまず参加者皆で、新約聖書の「コリントの信徒への手紙II3章18節」を読み、私は、
「今度の礼拝のこと」
「聖歌隊練習のこと」
「今週お誕生日を迎える信徒のこと」
をお祈りしました。
聖書の学びでは、旧約聖書の、
「ホセア書2章4~15節」
を学びました。
4節前半「告発せよ、お前たちの母親を告発せよ」
この“母親”とは、具体的にゴメルに現される偶像礼拝、バアル信仰を示しています。
“告発せよ”と原告になるように促されるのは、“イスラエルの民”を示しており、この裁判長は“父なる神”を示しています。
4節後半「彼女はもはやわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫でもない」とは、当時の離婚裁判の判決文です。
神がバアル信仰に従う者と縁を切る。
神が契約を破棄することを示しています。
この文は、「取り除かせよ」で結ばれています。
契約を破棄することに、神は猶予を与えています。
この忌まわしい現実を“取り除かせれば”、神は再び契約を守ってくださいます。
しかし、“さもなければ”神は実力をもってバアル信仰の特徴である、“豊穣の神”の豊かさを取り除き、渇きで死をもたらすと預言されます。
カナンの地に入り、遊牧から農耕へ、その生活様式を変えたイスラエルの民は、その土地が豊かな作物を作るように、“豊穣の神バアル信仰”へ変わっていきました。
実は、その豊かさも、バアル像を作った金銀もそれは、“父なる神”が与えたものである。
表面的な豊かさの故に、真の信仰から離れているイスラエルの民に、父なる神は存在の確かさを示しています。
11節「それゆえ」の後には“父なる神”の思いが続きます。
神は“見出だせないようにする”“奪い取る”“やめさせる”“荒らす”という様々な手段で、偶像礼拝を滅ぼそうとします。
もう1つ記されているのは、偶像礼拝の中で揺れ動くイスラエルの民です。
9節「初めの夫のもとに帰ろうあのときは、今よりも幸せだった」
これを基にイエス様は“放蕩息子のたとえ”を話されました。
困窮に陥った息子は、我に帰り、父の元に帰ろうと決意します。
この世を創造された神だからこそ、私たちがそれぞれの偶像から離れて帰ってくることを待ち続けてくださいます。
日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては1954年版讃美歌)
を使用しています。