先日息子と小学生の頃の話をしていた。

息子は時々ズル休み?仮病で学校を帰って来る事があった。
それも、親には内緒で。

私は看護師に成り立てで、仕事覚えるのと、新人が早く帰るとか言いにくい感じで、いつも帰りが遅かった。
実家が近くにあったため、母に子ども達のお迎えをお願いする事も度々。
休みにくい事もあったので、子ども達が体調不良時は、実家に預けていた。

そのためか、息子は仮病で早退する時は、私の母に学校から連絡をいれてもらう。しかも、お母さん仕事で電話に出ないと思うからと。

そして母が迎えに行き、帰ってきてるよの連絡をもらうのである。

仕事から戻ってくると、仮病なのは明らかで、なぜ嘘をつくのか?とよく叱った。

そして、最近その事について息子が話したのは、学校の勉強がつまらなかったからと。
しかも、その理由は某通信教育で先にやっていた内容を、あとから学校でやるので、知ってる内容を学校で聞くのがつまらなかたのだと。

な、なんだって!!そんな事思っていたの?と大学生になった今更知る。

学業が特別優秀という訳ではなかったけど、塾の送り迎えとかできない変わりに、やっていた通信教育が、本人のやる気を削いでいた。

しかも、その通信教育を始めた理由は、私が若い頃、あの時ちゃんと勉強しておけばよかったなぁという後悔を子どもにさせないように。
そして、中学生の時、めちゃくちゃ成績優秀なご兄弟がいて、そのご兄弟がやっているという、噂の通信教育だった。

自分の失敗を子どもにはさせたくない。そして、勉強ができるに越した事はないと言う思いから子ども達には、半ば強制気味にやらせていた。

同じ思いをするかどうかはわからないのに。

高いお金を払って、先取りしていた教育が、学校をつまらなくさせていたなんて。本末転倒。

そして、今になって、やはり学びは本人が主体的しないと、学びにはならないのだと、新人教育をやってみたり、今自分が大学院生になって感じる。

なんでだろ?
知りたいな。
ワォ!!

っていう気づきが起きるとき、それはググッと自分の中に浸透してくる。

自分が勉強しなかったから、子どもには同じ思いをさせたくないっていうのは、大きなおせっかいだったな。
だったらもっと一緒に考える勉強とかができればよかった。

今、息子は医療系の大学に進み、よく病気の事や、事例について話す。
あーでもない、こーでもないといいながら。
そして、それを一緒に話している私も楽しいのだ。

幼い頃から、こうやって一緒に勉強に付き合ってあげていればよかったな。

この気づきは、孫に活かそう。

自分の若い頃の失敗を子どもがするかどうかわからない。
なのに、失敗する前提で話していたらそういうエネルギーは伝わるよね。
それって、失敗してほしくないのに、失敗しろって言ってるようなもの。

だったら、学びをもっと好きになるには?もっと驚き、楽しさに溢れた学びばかりやるには?ってしてみたらどうなのかな?
しかも、机上の学びだけが学びではない。
体験なんかからも学びがある。
やるかやらないかは本人しだい。

私はこの学びを通して、過去も未来も変えていく。

まずは自分の学びを、もっと楽しく、もっと喜びの大井ものにするのだ。