予想以上の反響を頂き急遽重版させて頂きます(笑)
そんなわけで陸上部初練習がいきなり合宿という衝撃の展開。
ところが練習するにあたってあることに気付く自分。
『え、こんな走りやすい格好でいいの!?』
数週間前までいた野球部での走る格好といえば夏でも球児達のあのフル装備。
対して陸上部はTシャツ短パンあるいはランシャツランパンという超軽装。
いやいやこれは走れるでしょ…と狐につままれたような感覚でインターバルやらレペなどをこなす。
これが野球部の頃より実に楽。どこに飛んでくるか分からないボールにビクビクしながらミスして周りに迷惑かけないかと怯えてたあの頃に比べ、疲れようがきつかろうが自分1人の責任で済む陸上の何と気楽なことか…
小中9年かけて単純に集団競技に向いていなかったことをようやく悟った自分なのでした(笑)
その後弱小校なりにエースになり、高校駅伝には短距離の選手を借りてやっと人数が組めるようなチームで都駅伝の最長区間個人14位(140チーム中)まで走れるようになりました。そんな環境でなぜここまで伸びたのかはまた別の機会に。
さらにその後大学進学も決まったタイミングで、偶然進学先の体育会陸上部が自分達と同じ織田フィールドで練習をしていると知り、都大会レベルの自分が無謀にも直接ヘッドコーチへ入部を直談判したのです。
「すいません、4月から○○大学に入学するので入部させて頂きたいのですが」
「え、スポーツ推薦じゃないのか?」
「はい。付属校なので特に推薦ではないです。」
「付属校でよく志望したな(笑)5000のベストは?」
「(当時のベストを告げる)」
「うーん、ギリギリなとこか…うちは同好会じゃなくて体育会だから厳しいぞ。それでもいいのか?」
「はい、将来箱根駅伝を走りたいので頑張ります」
「分かった、じゃあ4月になったら練習に来なさい。でも本当にきついから頑張らんといかんぞ」
「はい、ありがとうございます!」
無知って怖い。この頃すでに推薦以外はほとんど部員を取っていなかった陸上部。何とコーチ公認で入部許可されてしまったのです。
今考えると直談判とかとんでもないことをしたなぁと呆れ返るわけですが…
当時の大学の同期は都大路の区間賞やら近畿大会ベスト3やら都駅伝区間記録保持者やら大物揃い。実際に入部してから力の差を知るわけですが、逆に弱小校出身だったことが物怖じしない方向に幸い(?)だったようで。
これもやっぱり偶然の産物なんだと今となっては思うしかないですね。
そんな自分の大学4年間での成果は箱根予選会メンバー入り(予選会直前に故障で離脱)が最高でした。
とはいえ一般入部の自分が長距離適性だけで選抜を競えたのだから、大学生活は良く走れたと思います。
最後の東京国際マラソンで箱根駅伝を走った同期に肉迫する結果を残せた事で、本当のラストに部内に衝撃は残せたようですし(笑)
以上が学生時代の競技遍歴です。
高校時代に一人になってしまった長距離部員の自分に、中距離専門だったにも関わらず色々な参考書を使って専門メニューを組んで頂いたコーチ。
練習相手がおらず一人でトラック練習していた自分に声を掛けて下さり、チーム練習に誘って頂いた某全国常連校の監督。
入学したはいいものの体育会の連絡手段が分からずパニクった自分に、同好会の新歓ブースから快く体育会の連絡先を教えて頂いた先輩。
亡くなる1週間前に「俺に何があっても必ず向こうに行って頑張ってきなさい」と北海道での選抜合宿に送り出してくれた父親代わりだった祖父。
他にもたくさんですがこの人達がいなかったらと思うことだらけです。本当にたくさんの人達に支えられたんだなぁと実感。もちろん今も支えられているわけですが。
お気遣い頂いて見たいと言って下さった皆様ありがとうございました。ダラダラと駄文になってしまいましたが、一風変わった自分の競技生活はお伝えできたかなと。
実はまだ肝心な社会人での陸上再スタート編は綴っていませんが、気分が乗ったら自己満で書いちゃうかもしれません(笑)