敬愛の念 | ミニチュア制作 La Petite Fleuriste

敬愛の念

更新します!!
 
最後の更新から約4年も経ち、なんだか浦島太郎のようで、気付いたらおばちゃんになっていました(笑)。
ログインも4年振りでブログってどうやるんだっけ状態です。
 
改めまして、お久し振りです!
もう流石に存在が忘れ去られてしまったかしら。
コメントを沢山いただいていたのに、反映させずにいたようで、消えてしまいました。
コメントしてくださった方、ごめんなさいT^T そしてありがとうございます。
久々の更新なので、とても長文になります。
私の性格上、何もなかったかのように活動は再開できないので、ある程度綴らせてください。
4年前から今現在のことと向き合うのは辛いことなので、見ている人も気分の良いものではないと思います。
それを付け加えて本題に入りたいと思います。
 
 
祖母は2014年12月27日に亡くなりました。
以下は祖母の話です。
2014年12月半ばから、私は毎日毎日今に至るまで自責の念を手放せず、制作も殆どしておりませんでした。
というのも、仕事を一旦辞めて週5日以上、祖母の身の回りのお世話をさせてもらっていましたが、頚椎症と疲労で、毎日の病院通いを数日お休みしました。
その間あることが起きていて、次に病院に行ったときには、祖母は私が行かなかった数日間ご飯も水も口にしていなく、薬も一切与えられず、点滴も何もされておらず、話すことも歩くこともできなくなっていました。
それまでいつも私が来る時間までに薄化粧をして髪の毛を整え、ちょこんと座って待っていた祖母は、ただただベッドに横たわっているだけでした。
家族で何度も懇願して、漸く点滴だけできました。
程なくして肺炎になりました。
私が数日お休みする直前には一緒に手を繋いでお散歩をしたり、おやつでみたらし団子を食べたり、会話もしていました。
早めにあげたクリスマスプレゼントは子供のように嬉しそうに開け、喜んでいました。
度々病院であることを目撃して以来、証拠を残すようにしていましたし、あまりにも色々なことがあり、祖母本人や家族の希望もあり、急いで在宅介護の準備を進めていて、年内に帰宅する予定でした。
当時はこれからが長い自宅介護の生活だと思っていたのです。
無理して私がいつものように病院に行っていたら、こんなことにはなっていなかったのです。
当時は一生懸命でしたが、そのときはもっと頑張れたはずですし、ちょっとした痛みと疲労で行かなかった自分に対する後悔の念には4年間毎日苛まれています。
 
痰が取れず苦しんでいた祖母をどうにかしたく、慌てて痰を吸い取る機械の講習を受け、自分で実験をしたりもしましたが、もうそのようなものが使える状態ではなく、なす術がなく、現状を受け入れる他ありませんでした。
詳しくは話せませんが、亡くなったその日まで病院で色々なことを目撃してしまいました。
週5日以上昼過ぎから夕方まで通い、祖母の他のことにも事細かに観察し、口を出すこともありました。
ただ祖母を守りたかったのです。
ある負の事象と対峙したとき、それを対処する能力と覚悟が欠如した状態で行動を起こせば、中途半端に終わり、且つ、自己や周囲へのリスクは想像以上であるはずで、それこそ再起不能になる可能性すら秘めています。
それは分かっていて、途中で踏み込むことは辞めました。
あるファイルを開いたら、また新たな事実を知り、多分私は私でいられなくなることでしょう。
なので、開きません。
時間をおいて再帰的に振り返っても有益ではなく、自己の感情を置いて、転換的な思考が必要となっているのが今の現状です。
 
 
当時、病院で祖母を看取るために母と寝泊まりをしていましたが、私も母も運悪く風邪を引きました。
私はそれが悪化し、深夜の救急外来へなんとか自分の足で行ったところ、急性気管支炎の悪化で肺炎の疑いがあるとのことでCTの撮影を勧められましたが、ここで撮ったら看取ることはできなくなると思い、薬だけ貰って、耐えました。
肺炎(?)な上、泣いたことで鼻が詰まり、過呼吸になり、十二指腸潰瘍にもなり、なんだかもう死ぬかもと思いました^_^;
そうなったとしていいやという想いが強かったですし、祖母はもっと辛いだろうし、ここまで色々やってきて看取ることができないことは悔やみきれないことだという想いが強く、必死でした。
祖母の心配事を取り払おうと声を掛け、感謝の気持ちを伝え続けました。
最期に祖母はそれに頷き、家族で看取ることができました。
語弊があるかもしれませんが、
解放された祖母はこの世のものとは思えない美しさで、尚且つ神々しく、何かキラキラとした光りが空中に舞って光っていました。
 
亡くなったのが、クリスマスでも大晦日でも正月でもないのが祖母らしいです。
祖母は、頑張り屋で苦労人でお茶目で人懐こく、優しくて可愛い可愛い人でした。
また、深い愛に満ちた人で私をずっと可愛がってくれました。
怒ることもせず、不平や不満、愚痴も家族誰一人聞いたことがありませんでした。
私にとっては永遠のお手本です。
宗教はしませんが、仏教でいうところの菩薩のような雰囲気で、六波羅蜜をなんとなく感じました。
菩薩の修行は、施しを与える(布施)、戒律を守る(持戒)、何事にも耐える(忍辱)、努力する(精進)、真理を見極めるために智慧を磨く(禅定)、物事の本質を見抜く(般若波羅蜜)の6つが六波羅蜜です。禅定以外の全てを感じました。
そんな祖母が1日1日弱っていくのを見、祖母が祖母でいられる時間が毎日毎日減っていることは経験したことのない辛さでした。
今では私にそういった役目を与えてくれた家族、頼ってくれた祖母本人にも感謝しています。
辛いことは沢山あったけれど、一緒に過ごせたことは本当に幸せでした。
 
お棺には祖母が大切に保管していた私と弟の書道の作品やミニチュアの作品、想い出の品や手紙を添えました。
小学校のときに書いたお正月の書き初め「敬愛の念」「大切な命」などの言葉は祖母にぴったりでした。
お寺で書道を習っていたときの作品で祖母が喜んで眺めていたものも添えました。
大切な思い出と共に送りました。
 
亡くなった数日後の大晦日は祖父と母とで家で過ごしました。
毎年恒例のNHKの「ゆく年くる年」の除夜の鐘を聞き、0時になると同時に、窓も開いていないのに風が吹き抜け、お骨を納める前の仮祭壇のロウソクがフッと消えました。
「もう私のことは終わり」と聞こえました。
祖母への愛が強過ぎて、心配を掛けてしまったようです。
「成仏できなかったら困る」と想いを改めたものの、それから2年間はとてもとても不思議なことが何度か起きました。
でも最近は何もありません。
もう自責の念も他へ転換させなければならない時期だと思っています。

制作するということはセラピーでもあるし、他者とのコミュニケーションでもあるという想いが強いです。

もう大分歳を取ってしまったし、一人だし、私には何もない。
脈々と続いてきた生命のリレーも自分の代で終わってしまうようだし、何も生み出せずに絶えてしまうのは、潜在する恐れとして最も大きなものです。
大体のことは努力をすれば一定水準に達することができると過信していたけれど、実は私は何もできないことに今更気づきました・・・。
そもそもセンスも技術も取り柄もない。
ないからこそ打開しようとする向上心はどうも消え去らないのです。
時間は有限だと身に沁みているので、覚悟を決めて制作に時間という命を注げればいいです。
大したものはできないかもしれないけれど。
そろそろモチベーションを上げて制作していきたいと思っています。
今は制作する時間が割けず、2ヶ月に1日取り組むことができるかできないかという現状ではありますが、細々とでも続けていこうと思っています。
本当は仕事しないで制作だけできたら良いのですけど(笑)。
 
大きな作品を作りかけていましたが、自分にしては壮大すぎて頓挫してしまい、小さめの作品を作り始めました。
作品はまだ一つしか仕上げられていませんが、次回から制作仮定と作品の写真をアップします。
自分の小者感に辟易としていて、需要があるかわかりませんが、活動再開に向けて頑張りたいなぁと思います。
今月31日から1週間、都内の展示に出させていただく予定です。
予定です^_^;
私の作品は場違いかな?T^T
ボツになるかな?
展示の会場の雰囲気すら分かっていません・・・。
ちょっと無謀かな。
 
詳細は30日にお知らせしたいです。