第11回 ジャパンギルド・ミニチュアショー終わりました。
こんばんは。
検索して、このブログを見付けてしまった方、
ガッカリさせてしまったことと思います(泣
さて、
お忙しい中、お立ち寄りくださった方々、ご購入された方々にお礼申し上げます。
本当にありがとうございました!
なんとか無事に終えることができました。
他に目標ができ、ギルドの参加は最後です。
私は、3年前の新聞の広告欄にギルドショーの告知を見つけ、
興味本位で立ち寄ったことがきっかけで自分も制作をするようになりました。
元から芸術など、見ることには貪欲ですが、クリエイティブな人間ではないので、
まさか自分が制作することになるとは思ってもいませんでした。
様々な縁を作ってくれたギルドには感謝してもしきれません。
制作することによって、自分という人間を新たな角度から観察したり、
実感することができるようになったと思います。
自分の内に秘めたものが外へと向かい、コミュニケーションを図る手立てにも
なっていると感じます。
そういった意味では、自分を癒す作業でもあると思います。
ミニチュアは小宇宙です。
それと、制作する立場になって思ったのは、
作品が嗜好の対象として目に入るや否や、粗探しをしたり、
気になった自分の目に狂いがないか隅々まで確かめるのが人間の本質だということで、
よく見て申し分のないくらい精密に制作されていたり、心動かされるものがあって初めて観察者の心を捉えるものだということです
(そもそもその一瞥の対象にすらならないことが殆どですが…)。
よく見た結果、“あら”や“知識不足”、“構造上ありえない”と判断したことは
制作者にとって好きでわざとやっている場合もあります。
ハンダなんかがその例です。私にとって、花以外の存在は、犠牲愛としての存在で、
主役の花を支えている脇役です。引き立て役の脇役にすぎず、精巧に作りすぎていたり、
新品のような綺麗さがあっては主役と喧嘩するので、
バランスが非常に難しいと痛感しました。
“花”を始めとした植物以外の存在に“華”はいりません。
他は汚いくらい汚れていて良いと思っています。
花や植物は鑑賞者(主役)の意味を込めてもいます。
主役は様々なものによって支えられています。
あまりゴチャゴチャしすぎると主役が目立たなくなってしまうので、
見せたい対象が多くても、絞らざるを得ません。
私は、精密で本物をそのまま縮尺した新品のような家具などに感心はするものの、
そこに人間の温かみを感じたり、感動をすることはなく、
人間によって使い古されたり、一時は持て囃された存在が見捨てられ
老朽化していくかのような雰囲気に、愛や物語性、既視感を感じたり、
過ぎ去った時間を思慕し、感傷に浸ったりします。
それは子供のころに感じていた純粋な気持ちであったりします。
そんな感情を手にしたいという気持ちは、写真でも音楽や絵画など、
あらゆる芸術の分野に通じているようなことでもあると思います。
ミニチュアでも、汚れていたり、
壊れかかっていたほうが人間の温かみや愛情を感じますし、
そういった湧き出るような感情を観察者に提供できるような
芸術性のある作品を作ることができればと考えています。
ただその汚さだったり、シャビーな古びた感じは、
精巧さの上に成り立つものなので、
精巧な作品も作ることができないとならないのですが・・・。
まずは、技術を身につけ、センスを磨かないと!
とにかく、制作の時間をあまり割いていなかったので、
本気でもっと頑張らないと。
今回出展した作品の写真は、少しずつ更新していこうと思っています。
宜しくお願いします。