ショーを終えて(超長文)1 | ミニチュア制作 La Petite Fleuriste

ショーを終えて(超長文)1

まずは、検索をかけて辿り着いてしまった方、しょうもないブログですみません。

無事に、ショーが終わりました。



二年前に掲載されていた新聞の記事でこのショーを知り、
実際に見て、自分も作ってみたくなり試行錯誤で始めたミニチュア。
一つ、目標が達成できました。
見る側から見せる側という非常に貴重な経験をさせていただき、

感謝しております。

ブログを見て遠方からお立ち寄りくださった方(数名いらっしゃいました)、

ショーで初めてお会いして私の作品に共感してくださった方、
作家さん、その他多くの方から愛情の篭ったご支援をいただき、

感激しました。
父母、弟、祖母との絆も深まりました。

影で嬉し泣きをしました。。。



実は、三日間に亘り、目の疲れで一睡もできない上

絵具や薬品のアレルギーで顔や体に蕁麻疹とタダレが出るわでボロボロの状態でした。

肝心の制作や調整も間に合わず、協会の決まりごとが書かれた文章も

きちんと読まず、ご迷惑をお掛けしました。

とても反省しております。


今回の経験で、課題が沢山出来ました。

技術がなさ過ぎますし、ちっぽけな自分に今はかなり悲観しておりますが、
強度の面も改善策が浮かんだので、少しずつ成長していければと思います。
もし、ご購入してくださった方で

破損してしまったということがありましたら、ご一報いただければ幸いです。
無料で直します。

値段を伏せたり売らないものが多かったのですが、
初日の売上には御の字です。

まさかの額でした。
実際売れた数は少ないものの、一つも売れないことを想定していたので、

非常に驚きました。
中には二つご購入してくださった方もいらっしゃって、涙が出るくらい嬉しかったです。





以下、今回のショーを終えての感想を書きます。

思い出したことを追加していきますが、2回に亘る更新で

超超長文になります・・・。

宜しければお付き合いください。







絵画の世界でもよくありますが、
感心と感動の違いを改めて知りました。


キャンバスに絵の具が乗っただけのものと扱い、無価値に思う人もいれば、
描かれた世界に共感したり、心を奪われて、
その感動を“大切な思い出の記念”、もしくは“自分の人生をより豊かにするもの”

と感じて大金を叩いて買おうとする人もいる。

芸術はゴミにも財宝にも化ける魔法のようなもの。


ミニチュアにもそれが当て嵌まる可能性があるのではないでしょうか。


ある人にとって、何百万、何千万円の価値があるものが、

道端に落ちていても拾わない人もいるのが
私は芸術だと思っています。


私が仕事の合間に何ヶ月もかけて一生懸命作った作品を

瞬き一回で、何の印象もなく過ぎ去る人もいる。
ゴミ以下の印象にすら残らないものにもなりうるし、

瞬き一回で好いてくれる人もいる。

私が作っていくものが

何十年かかっても一生かかっても、芸術に近付けば、

それ以上望むことはありません。

飽き性且つ怠惰な性格で技術もない私が

どこまで続けられるのか分からないのですが、

誰かが感動するものを制作できれば、どんなに私の心も豊かになるでしょう。

この世界では興味が全くないものや嫌いなものも

好みが変わり、好きになる可能性も秘めています。

例えが大き過ぎますが、
ピカソで言う『青の時代』の作品が好きな人もいれば、

理解できないような抽象的で本質を抽出したような画風の

『キュービズムの時代』の作品が好きな人もいますし、どれも嫌いな人もいます。

『青の時代』が好きだったのに、

数年後、数十年後に『キュービズムの時代』が好きになるかもしれません。

逆もあり得ます。
私はピカソが好きなわけではないですが、夢中になる可能性もあるのです。


非常に面白い世界だと思います。

改めて魅力を感じました。



(続きの“2”は更新済みです。そのままスクロールしてください。)